葛藤 15
王宮の執務棟
ジュリアンは、今日は比較的スケジュールにゆとりがあった。
午前中の会議の後、そのまま参加メンバーと一緒に王宮内の大食堂で昼食を終えたところだった。
彼は、アシスタント数名と執務室に戻ろうと、食堂から行政府へと続く小道を歩いていた。
「ジュリアン様、あの……!」
息を弾ませて近づく女性が一人。
確か彼女は、マディラの侍女の一人。
侍女のその慌てた様子を見ただけで状況を察知し、ジュリアンは部下たちに先に仕事場に戻るように指示をし、彼らが少し離れたところで彼女に話しかける。
「何かあったのですね」
息が少し弾んでいたのを、何度か大きく呼吸をして整えていた侍女が話を切り出す。
「あの……、なんとご説明差し上げれば良いかかわからないのですが……。王家のラウンジで、姫様が急に苦しみ出してしまい、様子を見ていただけないかと」
こっちです、と歩きながら、ラウンジでマディラとリヒトが食事をした後の様子を説明しながら、道案内をする侍女。
かなり早い足取りの彼女についてくジュリアン。
目的地はここから100メートルちょっとで、そう遠くはない。
生垣で、外から様子が伺えない形になっている建物の入口に入ってすぐの部屋で、マディラが蹲っていたのが見えたが……
侍女の証言通り、先日も少しだけ見た黒い荊の冠をかぶっており、額の数カ所が血で滲んでいた。
「マディラ姫、大丈夫ですか。これは一体……」
そう言いながらマディラのそばにしゃがみ込み、彼はそっと彼女の背中に触れる。
顔を上げて彼を見た瞬間、姫はジュリアンの手を払いのけた。
「触らないで!あなただって私を利用し……」
そう言いながら彼と目が合った瞬間、言葉が途切れる。
「……て——」
沈黙のまま、数秒間見つめ合う二人。
いつの間にか荊が消えていた。
マディラは右手の平で目の辺りをそっと覆うようにし、考え込んだ後、ぽそりとつぶやく。
「何かが見えて、咄嗟に声を上げたものの、何を言おうとしたか忘れてしまいました」
「先日も少し見ましたが、消えてしまった荊の冠は一体……」
ジュリアンはそう言いながら、侍女から差し出されたハンカチで、しゃがんだままマディラの額のあたりに滲んでいる血を優しく拭き取りながら、質問をした。
拭いてもらっていることに対して、ありがとう、と小声で言うものの、その質問には答えず
「駆けつけていただき感謝いたします。しかし申し訳ありませんが、一人にしてください」
そう、他院行儀に言いながら立ち上がるマディラ。
彼女はそのままゆっくりとした足取りで部屋の奥に歩いて行き、ソファに深く腰をかけて肘をつき、視線を窓の外の庭に移したまま動かなくなってしまった。
どうやら出血は止まっているようだった。
その一部始終を見届けた後、ジュリアンもゆっくりと立ち上がる。
「……承知いたしました。何かございましたら、いつでもご連絡ください」
そう言い残し、ジュリアンは部屋を出た。
出口付近で、せっかく呼んだのにマディラのそっけない態度に申し訳なさそうな様子で立っていた侍女に、「ひとまず重大事にはならなくてよかった」と声をかけ、ジュリアンはゆっくりと執務室に向かう。
――――――――――
あなただって私を利用して——
か。
人間界を立ち去る前日に言われたその言葉が、彼女の口から出たということは、あの瞬間は、封じ込められているはずの記憶が戻っていたと言うことか。
その前に、リヒトとのやり取りをきっかけに何かを思い出し、全身が発光した次の瞬間、荊が出現し苦しみながらうずくまってしまったという侍女の証言。
察するに、何かの力を発動させようとすると、荊がストッパーの役割をすると考えられる。
リヒトは一体、何をしようとしたんだ……
そう思いながら、侍女が駆けつける前にすれ違った彼が、泣き出しそうな感じで小走りで行政府の敷地に来た様子を思い出した。
話を聞いたところで、侍女の証言以上のものは聞けなさそうだなとジュリアンは思う。
姫に、能力の行使を制御する細工を施すなど、陛下の指示しかあり得ない。
しかし、あんな風に人目につく形で発現するのは良くないのではないか。
どういった条件が揃うとああなるのか、いつか確認した方がいいかもしれない。
ふぅっと大きなため息をつきながら、ジュリアンは行政府の建物に消えていった。
――――――――――
城の北側のスラム街を抜けたところ
町外れの森の奥、魔女の家の扉が、数回コツコツとなる。
「ほーう、こんな薄汚いところに宝石が転がり込んできたぞ、姿を隠してもわかるわい」
ボサボサの白髪の老婆が扉を数センチ開けた。
暗いチャコールグレーの、全体を隠すフード付きの長いコートを着て、フードを被り仮面をしている男が立っていた。
「あんたのほうがよっぽど薬に詳しいじゃろ、わしはあんたに用事はない」
そう言って魔女は扉を閉めようとしたが、彼の力は案外強く、扉を閉めることができない。
「惚れ薬の成分を聞きたい」
「なんのことだか」
魔女はとぼける。
依頼者本人が自供したんだよ、と言われ、しらを切り通すことができないと悟ったらしい。
魔女は、渋々仮面の男を部屋の中に通すことにした。
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数日前 ファラン家応接室
「英知翁、ジュリアン・ソレイユ様がお越しです」
先日、王宮内で騒動を起こした件で、ユリウスは軟禁状態になっていた。
王家の者が事情聴取をするまでは、無期限の謹慎処分とのことだった。
ユリウスが応接間に行くと、胸あたりまで伸びた黒に近い濃紺の髪を一つに束ねた、濃い緑色の瞳の、長身だが細身の若い男が座っていた。
ユリウスは、文官がどうも好きになれない。
戦場に出て一撃で敵を倒す力こそが、真の価値だと信じている彼にとって、非力な彼らはちっぽけな存在に思える。
「英知だかなんだか知らないけど、所詮文官は、机の上の世界しか知らない連中だ」と考えていた。
そんな彼は、ジュリアンに一切の敬意を払おうとはせず、事実確認も不機嫌そうに「覚えてないっす」、マディラに飲ませたのは何の薬か、どう入手したかなども、のらりくらりと返事をしていた。
そこに、英知翁が来ていると連絡を聞いたレオナルドが慌てて帰ってきて、応接間に入ってきた。
「なんだよ、親父。どうしたんだよ」、そう声をかける息子の声を無視して、開口一番「この度は大変申し訳ありませんでした!」と言って、ジュリアンに深々と頭を下げる父親。
ジュリアンに、「どうです、息子は素直に白状していますか?」と質問をする。
そこで「ちょうど、姫に飲ませた薬の入手経路を教えて欲しいと話していたのですが」と、ジュリアンがユリウスを見ると、「あんたに教える必要なんてないだろ」と、不貞腐れた返事が返ってくる。
「と、お答えいただいております」と、肩をすくめながら困った風にジュリアンがレオナルドの方を見る。
「こら、お前、ちゃんと話さないとダメだろ!ヴィンランド家のご子息に対し、なんと無礼な態度を。」と言って、ジュリアンに生意気を言っている息子を叱り倒す父親。
「え?陸軍最高司令官の?」
どうやら土翁は、この騎士団長親子に尊敬される漢のようだ。
その追加情報で、急にジュリアンへの態度を変えるユリウスを見て、彼はちょっと複雑な心境になった。




