葛藤 14
マディラの寝室
この部屋の主は、現在ベッドで眠っている。
薬の服用後数日で目が覚めるはずだ。
彼女の生命力なら、命に別状はないであろう。
「王女様のご様子は?」
そろそろ目が覚めそうなタイミングで、ジュリアンはマディラの私室を訪問した。
ニーベルに帰国した日、彼女との別れを決意したのに——。
まさかこんな形で、ここを訪れる事になろうとは。
もう会わないと決めた後に、彼女のプライベートな空間にいるなんて皮肉なものだ。
幼少時も、彼女には庭でしか会っていない。
彼は生まれて初めて、王女の私室に足を踏み入れている。
複雑な心境を抱えながら、ジュリアンは彼女の首元にそっと手を当てて脈を取る
一瞬反応をしたたので、もうじきマディラは目覚めるかもしれない。
「ずっと変わらず静かにお休みです」
「そうですか」
彼は静かに返答をする。
その雰囲気が冷淡というよりは穏やかだったため、意外そうな顔でジュリアンを見つめる侍女。
「——何か?」
その視線に気づいて、彼は侍女に質問を投げかける。
「いえ、その……英知殿は、もっと怖い方かと思ってました。他の翁からも冷徹な方だと聞いたこともありますし……」
侍女は少しためらいながらと答える。
ふふっ、と静かに微笑みを浮かべてジュリアンは口を開く。
「よくそう言われます。役割を演じることは必要だし、職務中は私情を殺すから無愛想かもしれない。でも24時間気を張っていたら疲れるので」
そう静かに答えたところ——。
二人の会話が聞こえてきたのだろう。
ベッドに横たわっていたマディラの表情が少し歪み、そうして徐々に目が開く。
「気づかれましたか?」
「あ、はい……」
二人に心配そうに覗き込まれて、状況がわからず、戸惑いながらも返事をするマディラ。
「ご気分はいかがでしょうか、舞踏会ではお加減がよろしくなさそうだったのですが、その後、トラブルに見舞われて、数日間寝込まれていたのですよ」
そう声をかけ、体調を確認するジュリアン。
「そうだったのですね……。頭はぼーっとしていますが、気分は悪くないです」
そう受け答えする姫の雰囲気は、以前と違って他人行儀だった。
まさか、と思い、彼は恐る恐る質問をする。
「私のこと、ご存知ですか?」
「え?お医師のかただと思ったのですが……違うのですか?」
どうやらマディラは、人間界での記憶や、それに関連してジュリアンの事を覚えていなかった。
――――――――――
察するに、後天的な人格は、一部の刺激には弱いのかもしれない。
蒼が催眠術導入剤を使用したときも、今回も、真っ先に「真唯佳」の人格が記憶の障害を起こしている。
マディラほどの能力者なら、劇薬でもない限り、こんなに簡単に昏睡状態に陥ることはないと思う。
だが、今回も数日間目覚めなかった。
ジュリアンはそんなことを考えながら、マディラの意識が戻った後、国王に姫の状況報告のために謁見した。
「あの娘の記憶があろうがなかろうが、国の秩序が乱れたり予の命が脅かされない限り、どちらでも良いわ」
興味がなさそうに淡々と返事をする国王。
「風翁と言い、騎士団長ファランの息子と言い、下心があるやつはあの娘を利用しようと近づく傾向があるのか?以前は、帰国後すぐにでも僻地に隔離しようと思っていたが、利用価値があるやもしれん。」
そう、考えながら話を続ける国王。
「役に立たなくなったら辺境の地へ追いやり、最後は蛮族掃討作戦で戦死でもさせるか。戦死なら、予言を無視したことになるまい」
そして、何か名案を思いついたように、彼は一段明るいトーンで独り言を呟いている。
ジュリアンは、無言でその一連の話を聞いている。
「お前なら、余に刃向う者の噂の一つや二つ、知っているのではないか。アレを使ってそいつらを炙り出すような案をいくつか出せ。」
国王からの命令に無表情のまま、畏まりました、と一言返事をし、退室するジュリアン。
謁見の間から執務室への回廊を、足取り重く進むジュリアン。
マディラが、父親が命ずるがままに色んな事件に巻き込まれ続け、その指示を出しているのが自分だと知ればどんな風に思われるのか。
彼女は、どんな形であれ、祖国の平和のために貢献できると前向きに捉えるのか。
それとも、どれだけ貢献しても父親の信頼を得ることができないと知り、絶望するのか。
国王の命令とあれば、どんなに彼女を思い遣っても限度がある。国王の秘書官として、時には残酷な任務を立案せざるを得ない。
人間界での最後の日の朝、これからの自分の身に降りかかることを知っていて、寂しそうな表情をしていた姫の表情を思い出す。
あの美しい顔が、今後どれほど苦痛に表情を歪ませる時が来るのか。
しかもそれは、数年間一緒に暮らしていた、彼女をよく知るジュリアン自身の手で引き起こされる。
そんな仕打ちを受け続け、彼女が廃人と化す様を、国王の側近として半永久的という途方のない時間見続けるのは、ジュリアンにとって生き地獄だ。
そして最後は、誰にも看取られず彼女が朽ち果てる事は容易に想像できるのに、それに対して無力な自分はどこまで正気が保てるのか。
彼は思いを巡らせていた。
――――――――――
王宮の芝生広場の奥
ここには、王族に招待されたものだけが入れる庭園がいくつかある。
そのうちの一つに併設されている小さな建物に、マディラとリヒトがいた。
舞踏会後のトラブルで、マディラは数日寝込んでいたものの、目が覚めてからは、いつもの生活に戻っていた。
多少、思い出せないことがあるものの、大半が人間界での記憶で、日々の生活で思い出す必要がない内容であった。
マディラは、先日のダンスパーティで途中退席したお詫びに、ここの庭がよく見える食堂の窓際の席で、リヒトと昼食をとっていた。
既に何度か会っている二人は、だんだんとカップルらしい雰囲気になってきた。
この日は平日だったが、リヒトの業務時間の合間で会うことになり、執務棟近くの庭園で会うことにしたのだ。
「そろそろお時間です」
マディラの侍女にそう声をかけられて、他愛のない話で盛り上がっていた二人が名残惜しそうにしている。
「そこまでお見送りしますね」
そう言い、席を立ってマディラが先に歩き出し、すぐにリヒトもそれに続く。
食堂の扉の少し手前で、立ち止まるマディラ。
その立ち位置が、リヒトが思っていたよりも彼に近かったため、二人は至近距離で立つことになる。
ぶつかりそうになったリヒトは、思わず姫の腰に手を回し、キスができるほど顔が近づいたその時。
マディラの脳裏に急に見えた光景。
揺れるカーテン
遠くに見える運動場
微かに聞こえる生徒たちの声
近すぎて焦点が合わず、ぼやけて見える青年の顔
これ以上近づいてはいけない、ここで離れなければいけなかったのに!
そう思った瞬間、マディラの体が発光し、リヒトを軽く突き飛ばす。
その時だった。
(オマエはチカラを使ってはナラナイ!)
そう脳裏に声の低い老人の声が直接響き、と同時にマディラの額の周りに黒い荊の冠が出現し、ぎりぎりと彼女の頭を締め付け出した。
あーーーっっっっっ
そう、うめくような叫び声を上げながらその場にうずくまるマディラ。
リヒトは一瞬の出来事に事態が飲み込めず、勇気を出してキスをしようとしたのに、それを拒絶されて恥ずかしい上、姫にドンっと突き放されたショックでパニックとなる。
彼は、マディラを気遣うどころか、逃げるように退出してしまった。




