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葛藤 11

真唯佳(まゆか)たちの屋敷の玄関


部活で帰宅が夜遅くなった真唯佳は、見知らぬ青年たちに囲まれた。

そこに彬が駆けつけ、二人で帰宅したところだった。

真唯佳が廊下を進んでリビングの方へ消えていき、玄関はいつもの静けさに戻っていくはずだった。


「……」

ふと、耳に触れるものがあった。

風でも、家鳴りでもない。

もっと近く、もっと曖昧な——“囁き”。


彬はゆっくりと玄関の大きな鏡の方を振り向く。

そこに写っていたのは、自分よりも小さな影。

3、4歳ほどの男の子。


少年は、ゆっくりと口を開いた。

「——夜の帳(とばり)よりも、いと黒き光。ボクはすでに、存在する者——」

静かな声があたりに響くというより、直接思考に落ちてくる。

彬の眉がわずかに寄る。


少年は一歩、こちらに近づくように見えた。

けれど、距離は変わらない。

「……何を」

彬が問いかける。


だが、その言葉を遮るように。

「ボクの存在を、消さないで」

その一言だけが、はっきりと残った。

空気が揺らぐ。


次の瞬間。

少年の輪郭が、わずかに薄れる。

「待って」

彬は思わず手を伸ばす。


玄関の鏡に触れる。

冷たい感触。

「……待て」

だが、その奥には届かない。


少年の姿は、霧が晴れるように消えていく。

最後に残ったのは、あの言葉だけ。

——ボクの存在を、消さないで。



ーーーーーーーーーー



「——待って!」

手を伸ばした、その瞬間。

視界が弾けた。

はっと息を吸い込む。


視界に入るのは鏡ではない。

もっと遠くにある、見慣れた天井。


微かな朝の気配が、部屋の輪郭を浮かび上がらせている。

「……」

ジュリアンはしばらく瞬きを繰り返した。

呼吸を整えながら、ゆっくりと身体を起こす。


自分の部屋。

ヴィンランド家の、いつものベッド。


「……夢、か」

呟く。

だがその言葉は、どこか確信を欠いていた。

やけに、鮮明だった。

ほんのついさっきまで真唯佳に触れた感覚も、空気の温度も、あまりにも現実に近すぎる。


別々の学校に通い

互いに言葉にしきれない感情を抱えながら

それでも争いとは無縁の場所で日々を重ねる


望んでいたはずの、人間界での穏やかな生活。

「……」

小さく息を吐く。

きっと前日に、人間界での出来事を調書で読んだからだろう。

夢とは思えないリアルさだった。


しかし。

胸の奥に、わずかな引っかかりが残る。

——最後に現れた、あの子供。

ジュリアンは無意識に、窓の方へ視線を向けた。

夜の名残が薄れていく空。

その中に、先ほどの光景を重ねる。


「……“すでに存在する者”」

言葉を反芻する。

「……“消さないで”、か」

あれは一体なんだったのか。

彼が幼い頃の自分でないなら、いずれ生まれる、自分の子供……?


だが——

「“夜の帳(とばり)よりも、いと黒き光”……」

小さく呟く。

その響きに、わずかな違和感が残る。


(闇……それとも、光か)

思考が自然と分析に向かう。

(マディラと同じ、“深淵に属する”存在……?)

可能性を並べる。

だが、結論は出ない。

そして——


「……」

ふと、思考が止まる。

これ以上考えても、意味はない。


ベッドから足を下ろす。

床の冷たさが、意識を現実へと引き戻す。

ゆっくりと立ち上がり、窓辺へ歩く。

朝焼けが、世界の輪郭を染めていく。

その光を受けながら、ジュリアンは目を細めた。


一瞬だけ、あの少年の言葉がよぎる。

——ボクの存在を消さないで。

ジュリアンは、わずかに口元を引き締めた。

(……どんな運命であろうと)

部屋の扉を開け、静かに閉じた。



ーーーーーーーーーー



皇太子が、若者の交流のために定期的に開いている舞踏会。

今回の目玉は、マディラ姫のお披露目と英知翁(おう)の初参加である。


参加者名簿を見ながら、姫がリヒトを選んだと聞いた時、ジュリアンは一瞬意外だと思った。

歳が一つしか違わない伝令翁が、自分と同じように相手が決まっていないなんて、何か理由があるのではないか——

自分の事を棚に上げておいて、彼はそんな疑問を抱いた。

しかし、彼のお見合い連敗記録の原因を聞き、マディラなら気にしない理由だとわかり、腑に落ちた。

彼は家柄も能力も悪くない。

だがある一点を理由に、令嬢たちから敬遠されていた。



――――――――――




ニーベル国王宮 大広間


夕刻。


着飾った男女の招待客が続々と会場入りし、開始前に歓談をしていた。

ジュリアンはマルゴーに、彼女の友人達への挨拶に連れまわされていた。


「お初にお目にかかります、ジュリアン様。また国王秘書官へのご就任おめでとうございます」

「ありがとうございます」

婚約者の友人から祝福の言葉を受けて、にこやかに対応をするジュリアン。

「マルゴー、素敵な人を見つけたわね。ご本人を前にして申し上げるのは憚られる気もしますが、冷たい方だと耳にしておりましたが、全く逆ですわね。すごく穏やかな方」

「そうなのよ。お見合いまで心配していたけど、人の噂って当てにならないわよねぇ」

ジュリアンは、彼女の友人のパートナーと目配せをし、話を振られるまでお互いに女性同士の話を遮らないように笑顔で隣に立っていた。


会場の奥、皇太子夫妻の席の近くでは、パトリックの横で、マディラ姫が伝令翁と共に関係者への挨拶をしている。

今朝の夢を思い出し、意識しまいと思いつつ、本人と目が合わないようにジュリアンはつい彼女を目で追ってしまう。


……?

違和感。

彼女は笑顔で歓談しているように見えるが、合間合間にため息が混じったり、一瞬顔が歪んでいるのだ。

パーティーが乗り気ではないという次元ではなく、明らかに体調が悪そうである。

しかし、それは彼にしかわからない事のようだ。

誰一人、王女の体調を気遣うものは周りにいなさそうだった。


舞踏会の開始がそれとなくわかる音楽が流れ始め、皆定められた席や位置に移動を始める。


「マディラ姫、お相手はリヒト様なんですね」

そう言いながら、ダンスを最初に披露する参加者が集まる一角で、クスクス笑うマルゴー。


「ジュリアン様、ご存知ですか?彼、ホントにダンスが下手でね……私(わたくし)も彼のお見合い写真はもらったのですが」

ちょっと憐れむような、小馬鹿にするような口調。

「彼とダンスをした友達から評判を聞いて、すぐに除外しましたわ。マディラ様はずっと国外にいらしたと聞いております。姫はきっと、その事をご存知ないのですよ」

ジュリアンは思わず、婚約者をたしなめる。


「人のことを、そんな風に悪くいうものではありません」

「ジュリアン様も、ご存知ないのですよ。どれだけ酷いのか……」

「"学院"の一個下なんだ。彼が、実技が苦手だったのは知っている」


そんなヒソヒソ話をしているうちに、開会宣言もされた。

すでに広間の中央に移動した、マディラとリヒトのダンスが始まる。

みんな、リヒトがリードできずに、ダンスがめちゃくちゃになるのを想像していたが……


会場全体がどよめきに包まれる。

なんと、いつもヘマをしていたのに、今回はほぼ完璧に二人が踊っているのである。

「え、どういうこと……王女がお相手だったら、猛特訓できるってこと!?」

マルゴーもショックを受けていた。

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