葛藤 12
ニーベル国王宮 大広間
壁際には大ぶりの花々が惜しげもなく飾られ、開け放たれた窓からは夜風に混じって庭園の香りが流れ込んでくる。
重なり合う笑い声。裾を翻しながら行き交う、色とりどりの衣装。
舞踏会の開始がそれとなくわかる音楽が流れ始め、やがてマディラとリヒトが踊り始める。
みな、ダンスが苦手なリヒトがリードに失敗すると思っていたが、会場全体がどよめきに包まれる。
今回はほぼ完璧に二人が踊っているのである。
「え、どういうこと……王女がお相手だったら、猛特訓できるってこと!?」
マルゴーもショックを受けている。
ジュリアンは、この展開を予想していた。
なぜなら、マディラが完璧に彼を陰で支えることを知っていたからである。
それを証拠に、たまにリヒトの顔がマディラの口元まで近づき、そこで彼女が指示を出している。
さらに、彼女の体幹は人並外れており、彼を支えてもなお軸をぶらさない。
それだけではない。リズム感も非常に良い。
この曲は数回しか聞いていないはずだが、恐らく完璧に彼女の頭に入っているか、曲の一部を聞いただけで、おおよその進行がわかるようだ。
今朝の夢で、彼女がダンス部に入っていたことも思い出された。
何を隠そう、真唯佳は中学校の時、実技教科の成績が恐ろしく良く、仲間内でつけたあだ名が「実技の鬼」。
どの教科も、どんな課題が来ようとも、大した練習もせず、一発合格。
体育で言えば、大抵生徒の見本役に抜擢される。
遠泳も、彼女の中で比較的苦手というだけで、女子の上位10%の速さ。
音楽は、歌もさることながら、楽器のセッションも飛び入り参加できる。
鈴乃が使っていたサックスを、一度説明を聞いただけで使いこなし、二人で即興演奏をしていた。
料理だって、知らない間に叉夜に教わっていたらしく、彬は真唯佳が作ったと気づかないで普通に食べていた事もある。
難易度の高いチョコレートケーキだって、ほぼ本人が作ったと言っていた。
絵画も器用に静物画を描いていた。
唯一、プログラミングだけは流石に彬には敵わず、テスト前に彼と特訓していた。
運動神経の良さは、彼女の特殊能力の一つだろう。
ただ、音楽やダンス、絵画といったものは、幼少期に教育係の指導を受けていたのであろう。
料理も、王宮で毎日良い物を食べて、味覚が発達していたのではないかと想像する。
ともかく、彼女がパートナーであるかぎり、リヒトはどんなダンスも失敗しない。
恐らく、彼はダンスが苦手だと聞いても、自分がリードすればいい話だと姫は全く意に介していなかったはずだ。
彼女は、そういうことで人を値踏みしたり、見下すような人間ではない。
ジュリアンは、姫のダンスを見ながら、夢に出てきた人間界での生活を懐かしく思い出していた。
「もうすぐ入るよ」
マディラとリヒトのダンスを冷静に分析していたジュリアンは、自分たちが加わっても問題がなさそうな事を確認する。
短くマルゴーに声をかけて、ステップの準備をする。
二番手のカップルとして二人はフロアに入り、マディラたちと踊り出す。
途中、マルゴーが大きく一歩を踏み出したせいでマディラ達と非常に近くなり、誰もが二組の衝突を予想した。
リヒトなら避けられないだろう、と。
リヒトがターンをする前に、かなり近くを通過しようとしているカップルに彼は動揺をし、硬直した表情で何度もジュリアン達を見る。
この時点ではまだ回避可能だ。
リヒトの動揺はジュリアンにも伝わり、最接近前に別のミスを誘発するのではないかと、見ているこっちがハラハラしてくる。
明らかに焦っているリヒトの表情を見たマディラは、そっと彼に「大丈夫、信じて」と耳打ちする。
ジュリアンが、本来一回転するところ9/10くらいで止め、マディラがあまり傾かずに、靴一つ分内側にステップを取る。
結果、拳一つ分の隙間を開けて、ダンスの流れが不自然に歪まず、流れるように両カップルがすれ違う。
マディラもジュリアンも、目配せどころか全く相手の顔すら見ようとしない。
だが、さもジュリアンとリヒトがうまくかわしたかのように見せかけて、お互いが空気感だけで回避を成功させ、見ているものを魅了した。
そして、他の主役級のカップルもどんどん加わって、ダンスが進行する。
曲が終了し、主催者の皇太子は、会の出だしが好調なことに満足そうな顔をしている。
リヒトもダンスで初めての成功体験をし、喜びと興奮のあまり顔が赤くなっている。
対してマルゴーは、ジュリアンの隣で少し不満げな顔だった。
その表情から察するに、恐らくわざと接触を誘いリヒトにアクシデントを起こさせ、彼が笑い物になることを期待していた。
しかし無事に回避されたお陰で、かえって彼が注目を浴びることになった。
マディラは、少し照れくさそうに目を伏せてゆっくりと深く礼をし、自分の席に戻って行った。
だが椅子に座った途端、再び彼女の顔から笑顔が消え、時折眉を寄せて何かに耐えている。
顔色は青白く、額にはうっすらと汗がにじんでいる。
胸を手で押さえ、息を整えようとするが、その肩が微かに震え、苦しそうな様子が伝わってきた。
あんなに辛そうなのに、よくダンス中はそんな様子を微塵も感じさせず、むしろリヒトをリードしていたものだ……
関心すると同時に、だからこそジュリアンは余計に心配になった。
彼女の症状が悪化しているのではないか、と。
――――――――――
「ごめんなさい。開場前にお話ししたのですが……ちょっと気分が悪くて。医務室でお薬をいただいて参りますわ」
マディラは、隣に着席していたリヒトにそっと耳打ちをする。
二人で揃って会場入りする時から、彼女はなんだか胃もたれのような症状を感じていた。
何か変なものを食べた記憶もないのだが、時間が経過しても一向におさまる気配がない。
「あ……、ご一緒した方がよろしいでしょうか?」
リヒトが心配そうに席を立とうとするも、それを止めるマディラ。
「ここで二人とも動いてしまうと、目立ってしまうのでよくないですわ。私はすぐに戻りますので」
リヒトにそう言い残して彼女は立ち上がる。
皇太子の席の横を通り過ぎさま、「ちょっと離席しますがすぐに戻って参ります」と小声で呟く。
会場後ろの主催者控えの間を通過して、大広間を後にした。
――――――――――
皆も踊りだし、華やかな舞踏会が盛大に行われていた。
美しい衣装を纏った若い貴族たちが音楽に合わせて優雅に踊り、辺りには笑い声と華やかな会話が響き渡っている。
はじめのダンスを終えて、マルゴーは自分の席で満足気に皆のダンスを眺めていた。
一番に目立ちたかったという思惑はある。
その目標は達成できなかったにせよ、ダンス自体は成功した。
国王秘書官の将来の妻のお披露目としては、まずますだと自認している。
ジュリアンも、さぞかし満足しているはずだ。
ひと休憩したし、友人達に自分たちの踊りの感想を聞きに行こうと、彼女は席を立とうとしたところ。
「ジュリアン様?」
自分より一呼吸先に席を立とうとして腰を浮かせたジュリアンに、マルゴーが話しかける。
「すまない、ちょっと席を外すよ。すぐ戻ってくるから」
その横顔に、笑顔はない。
「あの、どちらへ??」
彼の様子に動揺を隠せないマルゴー。
「ちょっと、仕事を思い出して。様子を見たらすぐ戻るから」
ジュリアンはそういうと、婚約者の顔も見ずに素早く離席をし、会場横の出入り口に行ってしまった。




