離別 8
「僕が君に近づいた理由、それは……」
そこで彬は言葉を一度切り、一瞬ためらう。一生口に出すまいと心に誓っていた事。
声に出さなければ、永遠に事実とならないはずの事。
目を閉じ、そして意を決して、目を開けて、彬は再び話し出す。
「君のことが、好きだからだよ」
「バ、馬鹿にしているの?二度とそんな手には乗らないわ!甘い言葉を口にすればコロリとなびくと思ったら大間違いよっ」
怒り出す真唯佳。
蒼に続いてあなたもか、とでも言いたげな口調だ。
「馬鹿になんかしていない。周りから狡賢くて冷徹な人間と思われて結構。ただ……君にだけは知っていてほしい。僕は、決して君をだまそうと思って、利用するために近づいたわけではないことを」
知らない他人が、自分のことを冷徹と思うのは一向に構わない。
役割とあらば、姫をも利用する狡賢いやつを演じるのも平気だ。
ただ、自分の愛する人に、利用するために彼女に近づいたと誤解されるのだけは、彬はどうしても耐えられなかった。
「そんなのおかしいわ、だってそんな素ぶり見せたことないし、大体好きな人がいるって……
かなわぬ恋をしているって言ったじゃないっ。
そうよ、それにあなた婚約者がいるじゃないの、言ってることが滅茶苦茶にもほどがあるわ」
「相手が君だから、叶わぬ想いだと言ったんだよ」
「え……?」
「……貴族にとって、王家の姫君は十分高嶺の花だよ。王族の女性は、普通王族同士で結婚するから」
不意をつかれたような表情を浮かべる彼女を見て、やれやれ、と言った表情を浮かべてそう呟く彬。
やっぱりそういう自覚はなかったのか。
いつだったか、彼女は自分の事を「家で一番下っぱ」と表現していたことを思い出す。
国王側の血縁関係ならともかく、母方の従兄弟なんて、王家に対してそんなに強い影響力はない。
内気な彼女と少しでも打ち解けたくて、砕けた会話をしてきたけど、本来なら叉夜のように常に敬語で接しなければならない。
その結果、二人の間のこの大きな壁を、彼女がすっかり忘れていたのは良いのか悪いのか。
「だけど、ニーベルの上流社会は政略結婚を主とした一夫多妻制。
手が届かない花を眺めているうちに周りに置いていかれぬよう、身の丈に合った相手といち早く一緒にならないと。それがその後の人生を大きく左右するからね」
彬もそれはわかっていたのだが、異世界にいる事をいいことに、かなり婚約が遅くなってしまったのだけど。
「そんな……そんな……。
だけどいつから私を好きになったの?おかしいじゃない、出会って数年間、そんな風に想われるきっかけなんて……」
真唯佳はいくら思い返しても、自分がヘマをして彬に怒られた記憶しかない。
「いつから好き……か。難しいな。正確にはわからないけど、今思い返せば、きっと初めて出会ったころから気になっていたのかもしれない」
「初めて?」
「そう、初めて出会ったのは……君が2-3歳のころじゃないかな、王宮の庭で。
あのころ、僕はよく君の兄君のところに遊びに行っていたから」
そう懐かしそうに、何かを思い出す表情をする彬。
「それからしばらくして、君の姿を見かけなくなったけど、その数年後、人間界にて君を守るという密命を聞いたとき、純粋に思ったんだ」
そう言って彼は目を伏せ、当時のことをしばし思い出してから、再び口を開く。
「もう一度、君に会いたい、と。他にもいろいろ理由はあるけど、その事もあってここに来たんだ。
こっちで初めて会った時は、思い出の君と見た目も境遇もまったく違っていたから衝撃を受けたけど」
そう、彬は姫の変わり果てた姿に、初めは彼女の事を憐んではいても、恋愛感情などなかったはずだ。
「一緒に住むようになって、思ったんだ。
「ああ、あの姫君は確かにあの子だ、そして僕はこの子に惹かれているかもしれない」って。
何か特別なきっかけがあったわけではなく、寧ろ何気ない日常の一コマの積み重ねで少しずつそう思うようになってきた」
いろいろと思い出しがなら、淡々と、穏やかにそう語る彬。
「正直、各務がうらやましかったよ、素性がどうであれ、自分の気持ちを素直にあそこまで表現できるなんて。
きっと彼は、本当に君のことが好きだったと思うよ。
色んな不幸が重なって残念な結果になったけど、でも彼の気持ちにうそ偽りなかったと思う。
ただ、それよりも優先すべきことがあったんだ。彼にも」
学校の廊下で。
飾らぬいつもの調子で友達と談笑している真唯佳を、追いかけるようにして一生懸命話しかける蒼の姿を、彬は度々見かけた。
そして、一言二言交わした後の満足げな彼の表情から、彼女を利用するためだけにそばにいることではない事に、彬は気づいていた。
自分には決して許されない感情を、蒼はいつも表に出していた。
真唯佳の護衛として蒼を見るたびに湧き上がる感情の名前を、彬は知っていた。
それは嫉妬だということを。
「そんな……そんな……」
そういいながら、真唯佳の目から涙が再び流れ落ちる。
「わたし、わたしどうすれば……」
「泣かないで」
そういいながら彬はベッドに腰を掛け直し、そばにあった小さなタオルでそっと真唯佳の涙を押さえる。
「泣かそうと思って話したんじゃない。何かを望んでいるわけではない。ただ、誤解を解きたいだけなんだ。初めから騙そうと思って近づいたんじゃない。それだけは、どうか信じて」
しばらく泣きじゃくる真唯佳。
「ごめん、もう頭の中がぐしゃぐしゃで、何も考えれない」
そう呟くのが精一杯だった。
「真唯佳……」
彬は優しく彼女の頭を何度もなでる。今、彼ができるのはそれが精一杯だった。
本当なら、本心を打ち明けた今、彼女の心に寄り沿いたい。
しかし、彼女が能力に目覚めてしまった以上、明日になれば、別々の道を歩き始める二人。
今ここで慰めたところで、ニーベルでの彼女は、余計に孤独を深めるだけだ。
真唯佳は、彬の胸元に額を押し当ててきた。
外は本格的な荒れ模様らしく、激しい雷鳴が鳴り響き、ザーッと滝を打つような雨音が聞こえてくる。
「もう何もわからない……何が本当なのか。何を信じていいのか。ただ——
今はただ、ぬくもりがほしい」
それを聞いた彬は、躊躇いながら、彼女をそっと抱きしめる。彼女の願いを、拒絶する事なんて出来ない。
彼の腕の動きに合わせるかのように、真唯佳もまた、彼の背中に手を回す。
「彬……彬、もっと強く、抱きしめて。もう何も考えなくていいくらい、強く」
彼女を抱きしめたまま、目を見開く彬。
もうお互いに理性など保ってはいなかった。
鳴り響く雷鳴の中、二人はお互いのぬくもりを確かめあっていた——




