離別 3
真唯佳の状況は、彬が想像する範囲で決してよくはない部類だった。
最悪の事態は、目覚めた瞬間に彼女の能力が暴走し、ニーベルから大勢の援軍を派遣しないと制御できない状況。
それが起きなかったのは救いである。
しかし端的にいうと、一緒に住むようになってから後天的に形成された真唯佳の人格及び記憶は、なんらかの理由により一切封じ込められていた。
つまり、目覚めた彼女の記憶は、真唯佳がまだ両親とともに住んでいた頃に、彬の部屋を訪れた当時で止まっていた。
なので、彼女が目を覚ました時にそばにいた青年が、小学生から中学生に成長した姿の彬だと咄嗟にわからなかったのだという。
あれから4年の歳月が流れていること、また彼女の両親とは離れて住んでいることを説明したが、納得できていない表情だった。
中学校のクラス写真や、部屋に置いてある制服を見せても、真唯佳は全く反応を示さない。
しかし今、彬が検討すべき課題は、彼女の記憶を呼び覚ますこと自体ではなく、なぜ記憶喪失になったのか、である。
それはすなわち、今後彼女の身になにが起き得るか、そしてそれに備えるためにどう動くべきか——
ピンポーン
彬と真唯佳がリビングでくつろいでいたところ、チャイムが鳴ったので、彬が玄関で扉を開ける。
「こんにちは」
淡い水色の上品なワンピースを来た鈴乃と、すぐ後ろにGパンに白いポロシャツ姿の絢祐もいる。
「悪いね、わざわざ来てもらって」
ここ数日、真唯佳も彬も欠席しているので、週末に二人は真唯佳のお見舞いに来てくれたのだ。
「いいのよ、そんなことは全然。それより、真唯佳は大丈夫?」
「元気は元気なのだけど、やっぱり中学での記憶が全くない状況で……ま、まずは入って」
鈴乃の質問に彬はそう答え、3人はリビングに入る。
「こんにちは」
そう鈴乃が真唯佳に挨拶をする。
真唯佳は蚊が鳴いているような小さな声で、こんにちは、と訪問者に挨拶をする。
やはりダメか……
彬が、彼女の最近の記憶だけではなく、人格が封じ込められていると思った理由。
それは、彼女の受け答えはこれまでの明るく朗らかな風ではなく、小学生の時にいじめられていた当時の、内気で常に何かに怯えたような話し方に戻っていたからだ。
それでも、少しは家族同様の生活を数年もした習慣が染み付いていたのか、彬や叉夜と話すときはまだ意思疎通が取れていた。
だが、今入ってきた友人には、明らかに人見知りをしている。
全くの別人格の真唯佳を見て、鈴乃と絢祐は思わず顔を見合わせた。
「真唯佳、鈴乃さんと絢祐君だよ。いつも学校で親しくしていた二人が、お見舞いにきてくれたんだ。」
と、真唯佳に説明しつつ、友人には「二人ともどうぞ座って」と、リビングのソファを指差す彬。
「これ、どうぞ。私たちから。お口に合うといいのですが」
そう言って鈴乃から渡された、お菓子が入っているような小さな箱を彬は受け取り、それをキッチンにいた叉夜に渡し、自分も真唯佳の隣に座る。
そして彬は二人から、休んでいる間の学校の出来事を教えてもらい、その様子を、叉夜が入れたお茶を啜りながら真唯佳が耳を傾けている。
そうして4人で2-30分ほど過ごした後。
「あまり長居すると真唯佳が疲れちゃうから、そろそろ失礼するわ。もうすぐ夏休みになってしまうけど、その前に来れたら是非登校して」
鈴乃が真唯佳に話しかける。
「そうだね。そろそろ終わりにしよう。駅まで送るよ」
代わりに彬が答える。
「真唯佳も、駅まで行くかい?ここ数日外に出ていないから、散歩を兼ねて」
少し思案してから、彬は提案する。
真唯佳は少し考え込んでから、コクンとうなずき、小さな声で「支度をしてくる」と言って二階へ上がっていく。
「びっくりした、全然違う人になってるじゃん」という絢祐。
「あれが、本来の真唯佳なんだ。鈴乃がもし、地元の小学校に転校してきた時の真唯佳を覚えているなら、当時はどちらかといえばあんな感じに近かった。中学校に行って、君たちが友達になってくれたから、今のように多少社交的になったけど」
彬のその説明に、「あー、確かに。一年の最初はあんまり喋った記憶ないわ。」と答える絢祐。
「どうしてあんな風になったか、きっかけはあるの?」
鈴乃が彬に質問をする。
「それが、僕が部活をしていた時に呼ばれた気がして校舎に行ったんだ。それで、倒れている彼女を発見した時にはほぼ意識がなくて。
階段から落ちたらしく、頭を強打したようなのだけど、それが原因なのか……。そしてなぜ階段から滑り落ちるような状況だったか、わかってないんだ」
彬が回想しながら説明をする。
「それ、いつの話だった?」
再び鈴乃が彬に聞く。
「4日前かな」と彬が答えると、「そういえば」と、何か思い出したように絢祐が話し出した。
「確かその日、各務と一緒にいたはずだぜ。あいつに放課後呼び出されてるから部活遅れるって言ってた」
「各務?」
彬が怪訝な表情で聞き返す。
「そういえば蒼君、今週学校来ていたかしら」と、鈴乃が質問をすると
「どーかな、覚えてない。あいつ真唯佳がいないと静かだし、そもそもクラス違うし」と、返す絢祐。
「彬君、各務君とは連絡取ってみた?」
そう、鈴乃に質問をされる彬。
「いや、全然。それどころではなかった。君たちから連絡が来なければ、こちらから声をかける余裕が全くなかったから、今日も会えてなかったよ。」
「蒼君に声をかけるのは乗り気じゃないかもしれないけど、真唯佳はあんな状況だし。何か知っていると思うから、ちょっと連絡してみたら」と、鈴乃が彬に薦める。
その時、真唯佳が再びリビングに現れたので、3人の話がそこで途切れる。
「準備できたようだね、行こうか」
彬がみんなに声をかけて、4人で玄関に向かう。
本格的な夏になろうとしているので、外は夕方といえどもまだまだ暑い。
冷房が効いた部屋にいた分、余計にその暑さが実感できる。
鈴乃と絢祐が歩く後ろを、彬が続く。
さらに数歩遅れて、真唯佳がついてくる。
道を覚えていないかもしれない。
そんな彼女の様子に、外出はまだ心的負担が大きかったかな、と思案する彬。
「手、繋ぐ?」
後ろを振り返り、彼は真唯佳に提案してみる。
少しでも安心させたかった。
真唯佳が無言でスッと手を出してきたので、何年かぶりに二人は手を繋いだ。
小学生の頃は、瞑想をするときによく手を繋いでいたのは覚えているけど、最後に繋いだのはいつだっただろうか。
やはり、彬と手を繋ぐことで真唯佳は安心して歩けたのか、4人の歩くペースが揃ってきた。
そんな感じで10分弱歩いたところで、彬たちの家の最寄り駅の入り口に到着する。
「今日は来てくれてありがとう。じゃあ」
そう言いながら、彬たちは友人二人が改札の向こうに消えるのを見届ける。
「帰ろうか」と彬が真唯佳に声をかけて、来た道を戻っていたところ、遠くの方でサイレンが聞こえる。
かなり離れたところでボヤが発生しているのか、よく見ると、少しオレンジがかった空に黒い煙が上がっているのが見える。
「火事かな……」
そう彬が呟いたと直後に、しまった、と後悔する。
「か……じ……?」
顔が硬直して、無表情に呟く真唯佳。
気づいた時には、既に進行方向と逆向きに彼女は走り出し、すぐそばの交差点を駅と反対方向に曲がっていく。
その素早さに一瞬反応するのが遅れたが、すぐに彼女を追いかける彬。
だがしかし……曲がった先に、真唯佳はいなかった。
「真唯佳―!」
彼女を探す彬の呼びかけだけが、虚しく中を漂っていた。




