離別 2
笹薙家 リビング
読書をしていた彬のそばに真唯佳が来て、彬の婚約を知った事と、蒼に告白されたことを切り出す。
「で、君はどうしたいの?」
「どうしたいってわけじゃないけど……。きっと誰かを大切に思う気持ちは素晴らしいことなんだろうけど、イマイチわからないから。羨ましいなと思って。」
「両思いならね」
「あ、ごめん」
報われない想いだと言っていたので、彬はきっと婚約者と違う人が好きなのだろう。
ひょっとして傷口に塩を塗ってしまったのだろうかと真唯佳は思った。
「別に謝られることでもないから」そう、彬はそっけなく返す。
暫く沈黙の後、真唯佳が口を開く。
「……きっと甘えだよね」
「甘え?」
「彬は、私が聞けばちゃんと答えてくれるから、つい色んな事を聞いてしまうけど。
どうしたいとか、どうあるべきかは、自分で考えて行動しないとだめなんだろうな。
……ほんといい人だよね。任務とはいえ、私なんかのそばにいてもらって申し訳ないと思ってる。
そろそろ独立しないとダメだね。彬は、ずっと一緒にいてくれるわけではないのだから」
そして、読書の邪魔してごめん、と付け足して真唯佳は立ち上がり、リビングの扉の前で一度止まる。
「わたくしのことは大丈夫ですから、幸せになってくださいね」
背中を向けたまま、そう言い残して、彼女は扉の向こうに消える。
「真唯佳?」
今の人格は、まさか……
「……「ずっと一緒にいられるわけではない」か。」
言われた言葉を反芻し、彬はその意味を噛み締めていた。
――――――――――
臨海学校という、1学期最大の行事も終わり、もうすぐ夏休みという日の放課後。
美術の課題が終わらない蒼は、空き教室にて居残りで作品を仕上げようとしていた。
一人で孤独にやりたくないから、といって真唯佳に付き合ってもらっている。
「ほら、俺ってゲージュツ家肌だから、なんか色にこだわっているうちに、みんなから遅れちゃったんだよね……」
そう言いながら、彼はぺたぺたと画用紙に絵の具を載せていく。
真唯佳は、蒼の前の座席に座ってその様子を眺めている。
こちらが何も話さなくても、彼はずっと独り言を呟いているので、自分は必要ないのではないかと思うのだけど、寂しいから、何もしなくていいから目の前に座っていて、と言われている。
「よーし、終わった。ちょっとパレット洗ってくる」
満足気に自分の作品を眺め、そう言って教室を出る蒼。
陸上部はまだやっているのか、ちょっと気になったので窓際に行き、グラウンドを眺める真唯佳。
4階の、グラウンドから一番遠い部屋なので、みんなが小さく見える。
多分、真唯佳が観察していることに気づく生徒はいないだろう。
まばらに人が走っているので、それぞれの種目に分かれてトレーニング中のようだ。
大会も近いし、ちょっとやってから帰ろうかな……
夕方のそよ風が気持ちよく、窓を開けて暫く窓辺にいた。
カーテンを束ねていなかったので、教室から見ると、自分よりもずっと大きい布にすっぽり覆われた真唯佳は見えない形になる。
そこに蒼が戻ってきて、カーテン内にそっと入ってきて、後ろからぴたりと彼女に抱きつく。
異性にそんな風に引っ付かれたことがないので、動揺する真唯佳。
「真唯佳ちゃん」
そう呼びかけられ、そっと蒼の大きい掌が彼女の顔に触れられて、彼の方を向くように促され、そして彼女の唇に柔らかい感触が伝わる。
「!!」
何かが、無理やり真唯佳の口の中に入ってきた。
ゴクリ
あまりの強引さに、思わずそれを飲み込んでしまう。
その瞬間、咄嗟に蒼を突き放す真唯佳。
彼は不気味な、悪辣な笑みを浮かべていた。
「蒼君、今、一体何を……!」
そう言いながら、真唯佳は両手を喉元に当てる。
もう奥まで入り込んでしまい、それを吐き出すことができない。
「ふふふ……やったね、ちゃんと飲んでくれたね。これでもう君は僕たちのものだよ」
不気味な笑いを浮かべた彼が、そう答える。
まずい!
そう思いながら、彼女はダッシュで教室を飛び出す。早く彬の元に行かなければ。
ハハハハハハハハっ!
後ろで蒼の高笑いが聞こえるが、同じフロアには二人以外誰もいないので、この異様な雰囲気に気づく者はいない。
廊下を走りながら、真唯佳は考えを巡らせていた。
今日はバスケ部の活動日だから、体育館に行けば……
飲み込んだものは、おそらくカプセル状の薬……のはずだが、通常のものより溶け出すのが早く、効き目が出てきたのか、彼女はだんだん頭がクラクラしてきた。
アキラーーー!
頭の中で、ありったけの力を振り絞り叫ぶ。
お願いだから気づいて!
そう思いながら階段を駆け降りるが、段の最後の方で足がもつれ、その拍子に壁に頭を強打し、数段分体から滑り落ちる形で真唯佳は踊り場で止まる。
意識が遠のいていき、目の前が霞んでゆく。
何か青いものが目の前に見え、「しっかり、何があったの?」と知っている声が聞こえる。
よかった、ちゃんと伝わっていた。
真唯佳は安堵の笑みを浮かべる。
「ごめんなさい、ちゃんということ聞かなくて、もっと注意すべき……だったのに」
「そう君に……なにかを、のまされて……」
彼女は喉に手を当てながらそう呟くのが精一杯で、そこで意識が途絶えた。
――――――――――
真唯佳の部屋
ベッドには、この部屋の主が眠っている。
頭には包帯が巻かれていて、そんな彼女のそばに彬がついていた。
彼は部活でシュート練習をしていた時、ただならぬ真唯佳の叫び声が脳裏に直接響いて、緊急事態だと察知する。
それと同時に、校舎の映像が一瞬流れ込み、ちょうど階段の2の文字が見えたので、慌てて体育館を抜け出して人気のないところから、中等部のクラス棟2階の階段に瞬時に移動する。
ちょうどその時、上でダダダっと何かが落ちる音がしたので、3階に行こうとしたところの踊り場で、頭から血を流して真唯佳が倒れていた。
付近の壁に赤い血痕のようなものが見えたので、そこで頭を強打したらしく、左のこめかみからはかなりの出血が見られた。
「ごめん……、ちゃんと……だったの……」
彼女はそう小さく呟いた気がしたが、正確には聞き取れていない。
「……うくん……か……のまさ……」
そこで、真唯佳が意識を失ってしまったので、詳細はわからない。
喉に手を当てていたので、ひょっとして何かを服用した可能性はある。
大事になってしまうと面倒なのと、最低限の医療の知識を持っていたので、彬は彼女を抱き抱えて一旦すぐに家に瞬間移動をする。
頭の出血を処置しつつ、彼女の脈拍や瞳孔を確かめたが、少し動悸が早いくらいで、異常な発熱や痙攣などの症状は見られなかった。
容態の急変には気をつけながら、あとは彼女が目覚めるのを待つしかない。
真唯佳は、曲がりなりにもニーベル王家の者だ。
能力が高い者は生命力が強いので、ちょっとやそっとでは命に関わるような深刻な事態にはならないだろう。
それは、火災現場で彼女に傷一つなかった経験からも、容態に関して最悪の事態は想定されにくかった。
なので、彬は救急車を呼ばずに、自宅で彼女の様子を見ることにした。
問題は、意識の方だ。
倒れる直前の記憶はあるのか、一方、意識を取り戻した際、彼女に眠る「別人格」が現れると厄介なことになる。
慎重に容態を見守りながら、過ぎること丸二日。
彬と交代で見守っていた叉夜が、真唯佳の頭の包帯のズレを直そうと額にそっと触れたところ、真唯佳はピクリと軽く痙攣をし、意識が少し戻るような気配が見えた。
わずかながら瞼が痙攣し、指も少し動きを見せる。
そうして、少しずつ顔全体がかすかに動き出し、ついに目を少しずつ開ける。
慌てて彬を呼びに行く叉夜。
二人が部屋に入ると、上半身を起こした真唯佳が不思議そうにこちらをしばし見つめ、そうして呟いた。
「もしかして……笹薙君?」




