不協和音 9
臨海学校 2日目午後
無人島での活動が終わり、港から船で生徒も教師も宿舎のある岸に戻る。
しばしの休憩後、みんなキャンプファイアーの準備に取り掛かっている。
小学校の時の火事のトラウマから、大きい炎を見たくなかっった。
真唯佳は、体調がすぐれないからという理由で、救護テントで一人休んでいた。
昼間、みんなより遠回りをして泳いでいたので、泳ぎの苦手な真唯佳にとって、それは嘘ではない。
教師側もその出来事が念頭にあったのか、なんの疑問も抱かずに、救護テントに彼女を受け入れていた。
遠くで催し物の声が聞こえ、それをぼんやりと眺めていた。
付き添いの、保健室の教師が席を外した隙に、彼女の意識は朦朧とし、気づかぬうちに人影がそばに立っていた。
真唯佳が一人でぼーっとしていると、昼間の蒼とのやりとりが思い出される。
彼女は、人影には全く気付いていない。
あれで……よかったよね。
そう自問していたところ。
人影は静かに呪文を唱え、真唯佳に催眠術をかける。
「今夜お前は夢を見る……その夢の中で私の言うことをすべて聞くんだ……」という声が、彼女の意識の中に染み込んでいく。
教師が戻ってきて、人影はサッといなくなる。
真唯佳の意識は再びはっきりしてくる。
あ……今、座りながら夢を見ていた?私……
昼間も変なことがあったし、ちょっと疲れてウトウトしたのかな……
宿舎に戻ったら、早く寝ようと真唯佳は考えていた。
その日の夜中。
1日目が悪天候で行事が行えず、2日目がかなり活動的だったので、どの生徒も騒ぐことなく、消灯後すぐに夢を見出した頃。
真唯佳は、先ほどの救護テントでかけられた催眠術に抵抗できず、ゆっくりと目を開け、まるで夢遊病者のように宿舎を抜けだす。
月明かりの下、彼女はフラフラと砂浜へと誘導される。
砂浜に着くと、彼女を待っていたかのように、怪しい生き物は、闇の中からゆっくりと姿を現した。
月明かりに照らされ、薄暗い影のように浮かび上がるその姿は、まるで人間の形を歪ませたかのよう。
全体的に黒く、滑らかな体表はぬめりを帯びており、見る者に不気味な印象を与える。
生き物の体は異様に細長く、四肢は人間よりもやや短いが、手足の先端には鋭い爪が光っている。
顔はほとんどなく、ただ二つの赤い目が光っているだけで、口らしき部分はひび割れたような線が入り組んでいる。
口元からは時折、細い舌のようなものが覗き、砂をなめるように動いている。
この生き物の存在感は、まるで深海から引きずり出された怪物のようで、現実のものとは思えないほど異様で、恐ろしいものだ。
生き物の動きは滑らかで、音もなく砂浜を這いずりながら、真唯佳にじりじりと近づいていく。
その姿勢は、まるで獲物を狙う捕食者のようで、見る者に本能的な恐怖を与えるが、真唯佳は催眠術にかかっているので動じずにその場に立っている。
生き物が息を吸い込むたびに、周囲の空気が冷たくなり、風が止んだかのような静寂が広がる。
彼女に近づくにつれ、その姿がさらに異形じみて見えてきた。
最も不気味なのは、生き物の背中から伸びる無数の細い触手。
それらは風になびくかのように揺れ、彼女に向かって静かに伸びてくる。
触手の先端には小さな鋭い鉤があり、それで彼女を捕らえようとした。
その瞬間!
真唯佳とその生き物の間に何かが飛び込んできたので、捕獲に失敗する。
と同時に、真唯佳に向かって黒い物体が飛び込んできて、彼女と一緒に砂浜を何回か転がっていく。
それは、真唯佳を抱き、その勢いで敵から遠ざかる彬だった。
男子宿舎の学生たちは、エアコンが効いていない部屋を涼しくするために、窓を開けて眠っていた。
彬が、夜中にふと目を覚ます。
通常、風の音や波の音が微かに聞こえるはずなのに、異様な静けさが宿舎全体を包んでいることに気づく。
不気味な沈黙に違和感を覚えた彼は、心がざわついた。
何かが起きているのではないかと感じて、部屋の外を窓から確認したところ、真唯佳が外を一人で歩いているのを見つけた彬が異変に気づき、急いで駆けつけたのだ。
「真唯佳、大丈夫か!」
彬は意識が朦朧としている真唯佳に話しかけるが、目は虚ろで返事がない。
彼は驚きつつも冷静さを保ち、彼女を守るために立ち塞がる。
異様な生き物は彼を翻弄するかのように、何体にも増え、周囲を取り囲む。
彬は目を凝らして、何体いるか見極めようとするが、ゆらゆらゆれる影に惑わされ、なかなか対処できない。
「これは……分身ではないな、幻影か……!」
結界を展開しながら、彬は迫る攻撃を受け流す。
同時に視線は一切逸らさず、相手の挙動を追い続ける。
数を増やしているように見えるが、違う。
すべてが同じ動きをしているわけではない。
呼吸の間、重心の移動——
ごくわずかなズレ。
(……そこだ)
本体だけが、ほんの一瞬遅れる。
その瞬間を見逃さず、足元に転がっていた棒を拾い上げる。
躊躇なく力を込め、一直線に投げ、棒は正確に本体の目を射抜く。
甲高い悲鳴。
同時に、周囲を覆っていた幻影が霧のように消えた。
間髪入れず、彬は砂を掴み、前方へと撒き散らす。
「——焼けろ」
短く呟くと、ばら撒かれた砂粒が一つずつ熱を帯びる。
触れた箇所から、じわじわと焼き潰していく。
生き物はもがき、形を保てなくなっていく。
縮んだ。
今だ。
彬は光の剣を生成し、迷いなく突き立てる。
抵抗は一瞬だった。
不気味な断末魔とともに、化物は崩れ落ち、やがて跡形もなく消えた。
怪しい生き物が消え去ると、座った状態だった真唯佳はその場に崩れ落ち、催眠術から解放される。
彬が彼女を抱きかかえ、優しく声をかける。
「あれ、彬?私……」
「大丈夫?もう安全だよ。」
真唯佳は少しずつ意識を取り戻し、彼の声に安心する。
彬は彼女を女子棟に送っていき、自分も男子棟に戻っていく。
こんなところまで配下の不気味な生物を送り込むなんて、黒幕は、本格的に彼女を手に入れようと動き出している。
彬は、室内に戻って横になりながら、今後の対策を考え始める。
本当は、あの生き物を生け取りにできたら、黒幕の正体を聞き出せたろうに。
自宅から遠く離れたこの場所では、あれを殺すのが精一杯だった。
再び静かな夜の中、真唯佳も彬もそれぞれ眠りにつくが、彼らを取り巻く状況がますます危険なものになっていくことを、彼らはまだ知らなかった。




