不協和音 3
真唯佳がお見合い写真を見つけてから一週間。
球技大会でバレーを選択した鈴乃と、バスケを選択した彬は、二人でクラス練習の順番待ちをしていた。
いつもなら、他愛のない話題を鈴乃が持ちかけ、それに合わせて彬が受け答えをする。
だが今日は少し違っていた。
隣に並んで座っているのに、二人とも無言だった。
鈴乃は、ある出来事を思い出していた。
先週末、鈴乃が所属する吹奏楽部の演奏会へ向かう途中のことだ。
キャップを目深に被った背の高い男子と、その腕に親しげに絡みつく女子大生の姿があった。
よく見知った体格だと思い、注意深く青年の顔を見てみると——彬だった。
幸い、その場にいた誰もその話題を口にしていない。
気づいたのは自分だけのようだった。
彬は中等部で人気があり、彼に関する噂は、すぐに広まってしまう。
しかし、女子大生との関係など聞いたことがないので、おそらく真唯佳を含め、中等部でこの事実を知っている者はいないだろう。
鈴乃は勇気を出して口を開いた。
「……この前、大学生の人と仲良さそうに歩いていたけど、真唯佳は知っているの?」
二人とも壁にもたれて座り、他クラスの練習風景を眺めながら話している。
彼女は彬と視線を合わせないまま、そう問いかけた。
なんとなく、彼の表情を見るのが怖かったのだ。
返事はない。
あるいは小さく何か言ったのかもしれないが、ボールが床に当たる音ばかりが体育館に響いていた。
鈴乃は、そのまま言葉を続ける。
「この話、真唯佳にはしてないけど……もし何かのきっかけで伝わったら、まずいんじゃない?軽蔑されるかもしれないし。お役目もやりにくくなるんじゃないの」
先ほどは沈黙していた彬が、今度ははっきりと答えた。
しかし、その内容は彼女の想像とは少し違っていた。
「僕は聖人君子じゃない。むしろ、自分の欲望に勝てない弱い心を持ち、主君を実験台にするような冷酷な人間だ」
彬の言わんとしていることは、鈴乃には見当がつかなかった。
確かに、彼だって完璧な人格者ではないだろう。
それでも、仮にそういう一面があったとしても、真唯佳の前では見せないようにしている気がしていた。
「きっと彬くんの理想は、私たちが思うよりずっと高いのよ。自分では完璧じゃないと思っていても、私たちから見れば、十分立派な人だと思うけど」
意味が分からないながらも、鈴乃はフォローを入れる。
そして話を続けた。
「——真唯佳ね、彬くんのこと、本当に信頼してるの。すごくいい人だって、いつも言ってるよ。
『任務がなければ、本来自分みたいな人間と関わることもない、素晴らしい人だ。自分にはもったいないし、四六時中気にかけてもらって申し訳ない』って」
真唯佳が彬本人に同じことを言っているのかは分からない。
だが隠すような話でもないと思い、鈴乃はその言葉を口にした。
最近は、お見合いの話や蒼の件で不満をこぼすこともある。
それでも、この言葉だけは、二人きりになるたびに口にしていた。
「これは私の勝手な思いだけど……そんな真唯佳が、彬くんのことで傷ついてほしくないな。最近、なんだか二人の関係、前みたいじゃない気がして。このままだと、蒼くんに取られちゃうかもよ」
蒼の名前を出してよかったのか少し迷ったが、今ではあり得ない話でもなくなってきている。
彼女は思い切ってその話題を出した。
それまで黙っていた彬が、そこで一気に話し出す。
「真唯佳が僕を評価してくれるのは身に余る光栄だけど、任務を遂行するために一緒にいるだけだよ。
あの二人がお互いをどう思おうが、僕には関係ない。もっとも——彼女を好きになっても、待っているのは破滅だけだ」
「だいたい、彼は……」
そう言って、彬はさらに続ける。
「そもそも本気で彼女を好きなのかも怪しい。何か目的があって近づいている可能性だってある。君だって覚えているだろう?始業式の日の、あの強引な近づき方。
仮に本気だったとしても、お互い住む世界が違いすぎる。残念だけど、その想いは報われない」
彬の指摘にも一理ある。
始業式の日の蒼の接し方は、確かに少し強引だった。
それに真唯佳と彬はいずれ異国の地へ帰ってしまう。
だが、その日が来るまでに、蒼と真唯佳が両思いになる可能性だってある。
日本で充実した日々を送る未来も、決してあり得ない話ではない。
鈴乃の胸に、どこか釈然としない思いが広がった。
そして、それが次の言葉につながる。
「この前言ってた、好きな人って……」
——真唯佳のことじゃないの?
ずっと気になっていたことを、彼女は勇気を出して口にした。
しかし、その瞬間——ブザーが鳴った。
ちょうど練習の交代時間だった。
立ち上がった彬の顔を、鈴乃は見上げる。
彼には、ちゃんと聞こえていただろうか。
「王家から疎まれている者と付き合うのは、そんなに簡単なことじゃない」
彬は彼女の顔を見ないまま、静かに言った。
「真唯佳は帰国後、辺境の地へ送られるか、幽閉される身だ。まして彼女の中に眠るものが暴走したら、各務では止められない」
それだけ言うと、彬はそのまま歩き去ってしまった。
破滅って……。
帰国後は幽閉って……。
それじゃ、真唯佳は——本当は犯罪者みたいな存在なの?
守るために、彬君は一緒にいるんじゃないの?
彬君の言葉を、真唯佳はどこまで知っているのだろう?
真唯佳の将来が想像以上に過酷なものであること。
それを知りながら、主君の信頼を得て、穏やかな顔で護衛を続けている彬。
そのことが、鈴乃にはますます理解できなくなってしまった。
――――――――――
学園大学の図書館。
彬は、普段から通い慣れた図書館の自習コーナーにいる。
奥まった場所にあるブースで、調べ物をするのが彼の日課だった。
周囲は静かで、ほんの少しの物音も聞こえるほどの静寂が広がっている。
彬は、いつものように机に向かい、書籍に目を通していた。が。
突然、肌を刺すような冷気が辺りを包み込んだ。
彼は不審に思い、顔を上げる。
すると、自習コーナーの入口の、誰もいないはずの空間に、異様な西洋甲冑の亡霊が立っていた。
甲冑の亡霊は、ゆっくりとブース内に進み入る。
どこか重々しく、しかし音もなく動くその姿は、現実とはかけ離れた存在に思えた。
気がつくと、周囲が淡い光で包まれ、結界が張られていることを彼は察知する。
彬は瞬時に危機を感じ、後ろに身を引く。
「なんだこれは……!」
彼は驚きの声を上げるが、周囲に人影はない。
結界のせいで、図書館内の彼から遠くにいる人達には、この異変を一切感じていないようだ。
甲冑の亡霊は、無言のまま剣を抜き放つ。
その瞬間、彬の前で剣が閃いた。
彼は咄嗟に机を盾にして、一撃をかわす。
しかし亡霊の力は強大で、机は一瞬で粉々に砕け散った。
彬は後退しつつ、狭いブースの中で、どうやって鎧に対抗するかを必死で考える。
「逃げ場がない……でも、ここでやられるわけにはいかない」
彬の脳裏には一瞬、最悪な事態がチラつく。
同時に真唯佳が襲われていたら……!




