過去 2
9時5分前。
黒いフード付きのマントで全身を頭からすっぽり隠し、仮面を付けた人物が王宮の皇太子の部屋の前に現れる。
「面会を希望したものです」
入り口に立っていた護衛らしき人物にそう声をかけると、仮面の男は応接室に通される。
程なくして、ミディアムショートの金髪を柔らかく波うたせた、見目麗しい青年が現れる。
控えの者がいなくなり室内は二人だけになったところで、男はフードと仮面を取った。
現れたのは、10代後半だろうか、胸あたりまで伸びた黒に近い濃紺の髪の毛を軽く結わえ、左側から体の前に流している。
「ジュリアン、前回は半年くらい前だったな。元気だったか」
そう言って、皇太子はソファに腰をかけ、向かいのソファーのそばで立っていた青年に、人懐っこい碧眼を向けて着席を促す。
「お久しぶりです、パトリック様」
そうにこやかに返事をし、彼はパトリックの後に着席をする。
現王家モンティセルロの長男であるパトリックの母親と、ジュリアンの母親は、ニーベルの5本の指に入る名門アンセルム家の出身で、二人は従兄弟である。
パトリックはジュリアンより二つ年上で、幼い頃はよく遊んでいたため気心知れた仲だ。
上級貴族は、別の世界に移動する際に容姿が変化する。
ニーベルにいる時の外見がジュリアンの本来の姿。
だが日本にいる時は、黒に近い焦茶の瞳、瞳の色に近い髪色に、ごく一般的な中高生と同様の長めのショートヘアに無意識に変化するのだ。
そしてジュリアンが人間界に入国時に、たまたま出会った少年の名前をそのまま拝借し、笹薙彬を名乗っている。
彼は、本来の自分の容姿からかけ離れ、偽名を名乗るのは最初違和感を感じていた。
数年間もそのままでいると流石に馴染んできて、逆に本名であるジュリアンと呼ばれることにちょっと不思議な気分になっていた。
真唯佳——本当の名前はマディラというが——が、人間界にいる事を知っているのは、自分と叉夜の他に国王とパトリックだけだと聞いている。
ジュリアンは、本来ならこの4月から”学院”を卒業し英知翁となって王宮にて任務に当たる予定だった。
だが「研究したい課題がまだ残っている」として、学院の研究室や王立図書館、もしくは自室に閉じ籠りっきりということにしている。
式典はじめ、滅多に公に顔を出さない翁子ということにして極秘任務に就いており、国王への報告は皇太子を通して行っている。
「——マディラがニーベル人に狙われて、邪気を放つ謎の男とその部下と思しき影使いに襲われた、と」
そう呟きながら、ジュリアンから手渡された報告書に目を通してパトリックが呟く。
「不確かなので書類には記載しませんでしたが、彼は4年前に出会っている気がします」
ジュリアンの言葉に、パトリックは眉をひそめる。
闇に溶け込むような黒衣を纏った屈強な男。
禍々しい気配とともに、真唯佳の脳裏へ直接響いたあの声。
その時は不確定要素があったが、先日現れた時に確信した。
おそらく屈強そうな男は——火球の使い手。
だが、まだその技を見ていない以上、書類に記載するのは躊躇われた。
「また、彼らの接触を通して、マディラ様は少し力が解放された気がします。」
一般的な人間が反射的にできるとは到底思えない、バク転や木へのぶら下がりを難なくしていた。
襲われた時にちらっと見た、真唯佳の状況を思い出していた。
そもそも、真唯佳の居残りの理由が「女子中学の陸上選手のレベルを軽々と超えた」体力の確認から察するに、そういうことなのだろう。
「マディラ様は元々どんな能力が?」
ジュリアンは問いかける。
「どうだったかなぁ、一緒に遊んでいた時は幼かったので、これといった能力を使っていた記憶はないが、モンティセルロ家の者であれば、ほぼ万能な魔力は持ってると思うぞ。俺みたいにな」
そう言ってニヤリとするパトリック。
「ただ、力の解放の方法が問題だよなぁ……「あの時」のように暴走されると困るよな。帰国して早々問題が起きても困るし」
ふぅーむ、と、何か思案している表情を浮かべながらパトリックは言葉を続ける。
「それは厄介ですね……そうならないように時間をかけて「調整」をしてきたので、大丈夫だと期待しておりますが」
「父上が帰国は嫌がるよなぁ……しかしこれ以上、人間界の滞在も無理があるかもしれないな」
ジュリアンが騎士の任に就いてから、はや4年が経過しようとしていた。
――――――――――
ヴィンランド家 ジュリアンの自室前
「ジュリアンさん、ちょっと。」
皇太子との面談を終え、帰国のついでに、皆に見つからないようそっと自宅の自室へ立ち寄っていた。
仮面もフードも外し、何事もなく部屋に入ろうとしたところ、運悪く母親に見つかる。
あっという間に彼女の私室へと引き込まれてしまった。
「運悪く」というのは、彼女の目下の関心が自分の婚約者選びにある。
それがほぼ確実にジュリアンの優先順位の最下層に沈んでいる話題。
できることなら、今は触れずにやり過ごしたかった。
「早くお見合い相手を決めてほしいという、母のささやかな願いを聞き届けようという意思が、あまり感じられないのですが?」
母親の私室に入るなりそう問い詰められ、息子は「そんなことはありませんよ」と、慣れた調子で曖昧に返す。
「それなら——」
満足そうに微笑み、母親は機嫌よく話を続けた。
「特におすすめなのがマルゴー・ド・ラングレーさん。お家柄も悪くないですし、お年もあなたより少し若いくらい。
この前お茶会でお会いした時に、あなたの事で話が盛り上がったのよ。
何より、あなたの変な噂を気にされていないと言っていただいたので、是非とも一度お会いしてほしいわ」
変な噂……ね。
貴族の一部で、自分は公に姿を表さない「奇特な」翁子とも言われたり、何か特殊な任務に就いているのではないか、といった話が流れているらしい。
ジュリアンもそれは把握している。
それらに対して、自分や王家や学院は特にコメントをしていない。
任務の性質上、後をつけられて情報が漏れるような事態は避けなければならない。
帰国の頻度も意図的に抑えているため、多少の噂が立つこと自体はむしろ都合がよかった。
その結果、最近では「姿は見ないが、噂だけは多い人物」という扱いになり、人物像のはっきりしない「変人」という評価までついてしまっている。
もっとも、そんな状況だからこそ——帰国のたびに高確率で母親に捕まることには、毎回少し驚かされる。
親の嗅覚というのは、そんなに優れているものなのだろうか。
ひょっとすると自室に、この世界には存在しない監視カメラの類でも仕掛けられているのではないか、と疑いたくなる。
こうも頻繁に遭遇すると、任務の情報がどこかに漏れているのではないか——。
一瞬ひやりとするが、さすがはヴィンランド家第一夫人。
息子の極秘任務を、下手に情報を外部に漏らすような事にはなっていないらしい。
土の翁であり陸軍トップである父、マクシミリアヌスを筆頭とするヴィンランド家が、長らく王家に次ぐ名門の地位を確立できているのは、実は彼女の功績かもしれない。
母親のことは嫌いではない。
帰宅のたびにあれこれ話しかけられること自体は、特に苦でもなかった。
「前向きには検討しておりますが、何ぶん特殊な任務に就いておりますので。
あまり軽々しく色よい返事をしても、お相手にご迷惑かと」
ジュリアンがそうありのままに話しても、彼女にその理屈が通じるわけがない。
「任務は任務、結婚はあなたの人生そのものに関わるのよ。
女性に興味がなくて、研究やお仕事が楽しいのはわかりますが、もっと自分の将来について真剣に考えられてはどうですか」
「えぇ、はぁ、まあ……そうですね」
皇太子の前で対等な会話をしたり、真唯佳達の前でリーダーシップを発揮していても、所詮ジュリアンも母ヴィクトリアの前ではただの子供である。
結局、親の勢いに押し切られ、大量のお見合い写真を持ち帰る羽目となった。
――――――――――
彬が実家で母親からお見合い話をゴリゴリ進められていたその頃。
真唯佳は帰宅し、自室である書面と向き合っていた。
自然体験学習会のお知らせ。
毎年中学2年生が行う宿泊行事で、学校法人保有の保養所に行くことになっている。
幾つか宿泊施設があるが、今年は学校より西側に位置する海辺か、東側に位置する高原かを学年で多数決を取ることになり、アンケートを眺めていた。
参考資料として付けられた地図を見て、かつて住んでいた地名を見かけて、昔の出来事を思い出していた。




