邂逅10
翠陵学園 中等部内の歩道
夕刻。
真唯佳とすれ違ったはずの守衛と目が合うと、彼は不気味な笑みを浮かべた。
慌てて、来た道を引き返したところ、50センチくらいの黒い円がスーッと自分の足元を通り過ぎて、真唯佳を5メートルほど追い越したあたりでピタッと止まり、地面のその円から守衛が現れた。
「どこに行くんだね?」
そう不気味な低い声で尋ねると同時に左手を伸ばし、そこから数本のコードが飛び出してきて真唯佳に今にも届きそうだった。
咄嗟にバク転を2回し、そのコードを避ける。
あれ、バク転なんてできたっけ?
人間、命の危険に晒されたら、急に出来ることがあるのかも。
そう思いながら、彼女は大きく息を吸う。
コードは、みるみるうちに守衛の手の中に収まる。
どうしよう、どうしよう、どうしよう
逃げてばかりでも影に追いつかれるだろう。
コードも偶然避けれたけど、そう何回もかわせるものではない。
その次の瞬間、守衛の右手が前に突き出され、金属の破片がいくつも飛んでくる。
横に避けようとしたが植え込みの木があって逃げきれない!
「ほう……やるな」
守衛が無表情に呟く。
金属片が校舎の方まで飛んだので、窓が割れたらしく、校舎の傍に無数の破片が飛び散っている。
しかし真唯佳は、気づいたら上方に飛び、5メートルほど上の木の枝を掴んでぶら下がっていた。
彼女はすぐさま枝から手を離して着地をするが、次の瞬間、再びコードが真唯佳の方に伸びてきて、彼女の片手に数回巻きついてしまう。
左手が引っ張られて動かせない。
よく見ると、それは学校の備品である電気の延長コードだった。
この人が学校を荒らしていた犯人だったのか……
真唯佳は相手に引っ張られているが、低く腰を落として必死に後ろに引いて耐える。
「ではこれはどうだ」
そう言って守衛の手が光った。
やばい、電流が流されている。
終わった……!
そう思いながら彼女は目をつぶったが、次の瞬間、尻もちをついて後ろに倒れ込んだ。
てっきり地面にぶつかったと思ったのだが、想像より柔らかいものに当たる。
何が起きたのだろうとそっと目を開けると、何かの影が自分にかかっていた。
「彬……」
いつの間にか彼が自分の後ろに立ち、守衛を凄まじい形相で睨んでいる。
真唯佳と守衛の真ん中あたりで大きいガラスの破片が散らばっている。
どうやら、彬は割れた窓ガラスを投げてコードを切ったらしい。
「騎士殿の登場か」
行き場がなくなった電気が、コードの先端で火花を散らしており、半分ほどの長さに切られて使えなくなったそれらを打ち捨てながらそう守衛が呟く。
彬の事をそう呼ぶということは、守衛はニーベルの者だということだ。
真唯佳は、たまたま超絶怪しい人に運悪く襲われた可能性も考えていたが、その一言で完全に自分が狙われていたのだとわかった。
「ここで待っていて」
前を睨んだままそう声をかけ、その場でしゃがんで真唯佳のいる地面に手を付き、ほぼ透明のドームを彼女の周りに作る彬。
結界だ。
そしてゆっくり立ち上がる。
守衛が両手を打ち合わせた瞬間、空気が歪んだ。
掌の間に、夜より濃い闇が生まれる。
黒い円が広がる。
——来る。
次の瞬間、金属の閃光。
七本の包丁が、一直線に射出された。
速い。
考えるより先に、身体が動く。
彬は横へ跳ぶ。刃が頬をかすめ、風圧が耳を裂いた。
地面に突き刺さる——はずの包丁が、闇に吸い込まれる。
転移か。
守衛の前の円が脈打つ。
再射出。
今度は拡散。
喉、胸、脚——急所を均等に狙う軌道。
彬は即座にしゃがみ込み、片手を地面についた。
透明な光が、そこから立ち上がる。
自分の身長よりも大きい、板状の結界。
目にはほとんど見えない、空気の歪みだけが揺らぐ。
ガン、ガン、と鈍い衝撃音。
包丁が次々と弾かれ、地面に落ちていく。
一、二、三——
六。
……一本、足りない。
「後ろ!」
真唯佳が叫んだ、その瞬間。
地面についていた彼の左腕——肘下へ。
結界の外側を滑るように回り込み、軌道を変えた最後の一本が、死角から飛び込んできた。
避けきれない!
刃が、生身の腕を裂く。
袖をまくった肘下に、赤い線が走った。
だが包丁は、そのまま結界の内側へは侵入できない。
透明な板の裏側から弾かれ、地面に落ちる。
血が、ぽたりと石畳に落ちた。
「大丈夫だ……大したことない」
彬の声は低く、わずかに震えている。
右手で傷口を押さえる。
数秒。
血が指の隙間から滲む。
——だが、すぐに止まった。
右手を離す頃には、裂けていた皮膚は薄く閉じかけている。
深くはない。
彬は最後に落ちた包丁を拾い上げた。
残りの六本を、結界で包み込む。
空間ごと拘束する。
金属はぴたりと静止し、もう飛ばない。
彼は立ち上がり、地面に転がる刃を一瞥する。
家庭科室の包丁だ。
「面白いねぇ」
守衛が、不気味に笑った。
次の瞬間、踏み込む!
距離を詰める速さは、人間のそれではない。
いつの間にか手には、長い金属棒。
振り下ろす。
——だが、届かない。
甲高い衝突音。
彬の手に握られた包丁。
その延長線上、約五十センチ先まで、淡い光が伸びている。
透明に近い、細い光の刃。
金属棒を受け止めているのは、それだった。
包丁を“核”にして、魔力を刃へ変換する。
——光の剣。
守衛の目が、わずかに見開かれた。
不意をついて攻撃をしたつもりだった守衛の顔が、みるみるうちに怒りの形相に変わる。
一回後ろに飛び退き、再び襲いかかる守衛。
「小賢しい真似をするなぁ!」
そう叫びながら何度も激しく棒を振り下ろし、彬に当てようとするも、その度に光の剣で防御されてなかなか一撃を浴びせることができない。
先ほどまで夜空は晴れていて星も見えていたが、いつの間にか空に雲がかかってきて、ゴロゴロと雷音が鳴っていた。
彼らの戦いをガラスのようなドームの中から眺めることしかできない真唯佳。
私も何かできたら……!
自分が起こした騒動なのに、彬の力になれない自分がとても不甲斐なかった。
守衛の力の方が強いのか、防御している彬が押され気味で、徐々に後ろに下がっている。
その状況を有利と判断した守衛が、一瞬間を置き、大きく金属棒を振り上げて、先ほどよりも勢いよく彬に飛びかかろうとした、その時だった。
「……せんと欲す」
そう彬が呟き、その瞬間、稲妻が守衛の振り上げた棒を目掛けて落ちてきた。
一瞬辺りが明るくなり、守衛の全身に火が着き、ギャぁぁぁぁと凄まじい悲鳴を上げながら地面を転げ回まわる。
どうやら勝敗は決したようだった。
いつの間にか、彬の持っていた光の剣はただの包丁に戻っていた。
守衛は、転げ回ることでどうやら火を消すことに成功し、辺り一面が煙に包まれ、なんとも言えない焦げ臭い匂いが漂っていた。
その様子を無言で見つめていた彬。
その時だった。
「面白いものを見せてもらったぞ」
低く、重い声が夜気を震わせた。
この場にいる三人の誰のものでもない。
空気が一段、冷える。
彬の視線が鋭く走る。
「お前は……!」
声のした方角——
五十メートルほど先。
いつの間にか、ひとりの男が立っていた。
屈強な体躯。
闇に溶け込むような黒衣。
その存在だけで、空間の密度が変わる。
聞き覚えがあった。
始業式の日。
禍々しい気配とともに、真唯佳の脳裏へ直接響いたあの声。
男はゆっくりと歩き出す。
足音はしない。
だが、地面が沈むような圧だけが伝わってくる。
守衛の前まで来ると、無造作に襟元を掴み——
片手で軽々と持ち上げた。
抵抗すら許さない。
「勝負あったな。ここは出直すとしよう」
守衛は何も言えない。
次の瞬間。
男の姿が、ふっと消えた。
——否。
視界の上。
校舎の屋上へと一瞬で跳躍していた。
人の動きではない。
黒い影が屋上の縁に立ち、そして、夜へ溶ける。
静寂だけが残った。
助かった……
そう思った瞬間、力が抜けた真唯佳。
戦闘が終わったと確信した彬は、パンパンっと自分のズボンをはたき、ゆっくりと真唯佳の方に近づく。
彬を見て、はっと我にかえる。
——怒られるっ!
何せ、言いつけを守らずに真っ暗になるまで一人で学校に残っていて、こんな目にあったのだ。
彼女は、こっぴどく叱られることを覚悟して目を瞑る。
だが次の瞬間。
予想もしなかった感触が、全身を包む。
温かい。
強い力で、抱き寄せられている。
——え?
状況が理解できない。
顔を上げようとしたとき、左耳のすぐそばで声がした。
「大丈夫?怪我は?」
低く、穏やかな声。
「た、多分……大丈夫」
そう答えるのが精一杯だった。
ふうっとため息をつき、心底安堵した声で、それはよかった、と言いながらそっと立ち上がる彬。
むこうを向いてしまったので、彼の表情を窺い知ることができない。
帰ろうか、とつぶやいて、彼はゆっくりと歩き出した。
真唯佳は慌てて立ち上がり後を追う。
部室棟に荷物を取りに行き、帰りの電車で、そして帰宅までの道で、彬と言葉を交わすことはなかった。
両手をズボンのポケットにしまい、深く考え込んでいる様子で歩く彼の姿は、何かを話しかける雰囲気ではなかったのだ。
帰宅後、1人になってしまったことを叉夜と彬に謝り、部活中に自分の体力の限界が知りたくなったことなど、事の経緯を話した。
「近日中に、ニーベルに報告をしてくる」
一通り話を聞き終わった彬は、そう穏やかに呟いて、自室に入って行った。




