4.9
しりの座りが悪い。最寄りの駅に電車が着いた頃には外は暗かった。愛理ちゃんが欠伸をする。つられて僕も欠伸をする。
海を離れる時から違和感はあった。風が吹くのに風を感じなかった。足の接地感が悪く歩きにくい。心配する愛理ちゃんに笑って誤魔化す。
皮膚の上にもう一枚皮膚があるような。指の腹に出来たカサブタで肌に触れるような。そんな感覚。
「力には、相応の代償を支払う」
真っ先に思い付いたのはそれだった。
「力はおそらく、力を持つ者の事を強く願う事で発現する」
それが事実だとしたら、きっと彼女もそうなのだろう。今僕が力の内容が分からないという事は、彼女もそうなのだろうか。
馴染みのある駅、馴染みのある町についてホッと一息つく。朝から遠くに行って日帰りで帰ってきた。泊まろうかとも思ったけれど、愛理ちゃんのことを考えると今回はこれでいいかとなった。彼女の住んでるマンションまで二人で歩く。
ずっと足がしっかりと地面について無いような感覚がする。言おうかどうか迷った。欠伸を噛みながらも嬉しそうに笑う彼女を見ると、とても今言うべきでは無いのではと口ごもる。目が合うと、彼女は恥ずかしそうに下を見た。
「今日はありがとうございます。その…」
モジモジとする。可愛いなと思う反面、疲れと悩みで半ば上の空だった。
やっぱり、言うべきだ。そう思い横を見た時彼女が前に倒れた。倒れた頭の辺りから血が出ている。
「探したぜクソ野郎」
そう後ろから声がしたので振り返る。いつかの不良が立っていた。手に持った灰色の棒の先に赤いものが着いてる。状況を理解した数秒の間の後、ふつふつと怒りが湧いてきた。そんな頭が大きく揺れる。その棒で殴られた。痛くはなかった。
「あれから苦労したんだぜ?」
そう笑う不良を睨む、こめかみの辺りから血が出てる。なのに痛みは感じない。ゆっくりと立ち上がる。今度は腕を棒で殴られる。身体の中で軋む音がする。バランスを崩してまた倒れる。
「なんでお前みたいなごぼうが幸せそうにしてるか理解出来ねぇわ、俺」
背中を殴られる。衝撃で肘をつく。
「…ごぼうは美味いだろ」
口から出たのはそんな言葉だった。痛みの代わりに怒りを必死に耐える。もう一度腕を殴られる。自分の腕が折れたのを感じるのが、痛みではなく肘の先が上手く動かせないからだ。
それでも立ち上がる。初めこそヘラヘラしていたこいつも少し怪訝な顔をする。
「…なんだその目は?そんなんじゃ彼女に怖がられるぜ?」
自分がどうすればいいのか、何故か頭の中にはあった。こいつに触れればいい。触れれば力が使える。
「そういや、あんた名前を聞いてなかったな」
不良は更にキレる。棒を腹で受け止める。
「今から死ぬてめぇに名乗る名前はねぇな」
不良に蹴られて少し後ろに飛んで倒れる。目線は外さない。不良が愛理ちゃんを見た。
「そうか、こいつを殺した方がお前を不幸にできるかな」
不良が棒を構えて愛理ちゃんに近づく。ポッケに手を入れて、掠れた大声で叫んだ。
「彼女に近づくな!止まれ!!」
不良の動きが止まる。あの時と同じだ。もっと使い方を考えたかったけれど、そんな頭の余裕は無い。
「…なんだこれ。意味わかんねぇ!ふざけんな!!」
怒鳴り声を上げる不良の声に、近くの家の窓の電気がついた。
僕にとっても、こいつが止まる事は都合がいい。立ち上がってフラフラと近づいた。もうこいつが何を喚いてるのか聞く気は無かった。
五本の指を不良の腕に触れる。自分の折れた腕が元に戻るのを感じる。頭の血も止まった。それと同時に、不良からみしりと音が鳴った。突然頭から血を流し、振り上げた腕が上腕の辺りからぶらりと下に向いた。目や鼻からも血を流しはじめて、上体を維持できなくなったらしい。そのゾンビみたいな状態のまま姿勢を変えることなく仰向けに倒れた。
きっと、さっきまでの僕はこんな見た目だったのだろう。目を見開いて必死に酸素を取り入れようと音を立てて呼吸をする不良を見下ろす。僕の怪我が、こいつに移動した。交換と言った方が正しいかもしれない。
愛理ちゃんを見る。まだ息があるが気絶している。彼女の顔に手を触れた。彼女の怪我が無かったように塞がり、僕の頭から血が流れる。喉に何かつっかえた気がして咳をする。血が出た。
はじめて彼女の顔に触れたのに、感覚の無い掌に温もりを感じることは無い事が悲しい。
再びフラフラと立ち上がって不良に近づいて触れる。僕の頭と喉の血が収まって、代わりに不良が口から血の泡を吹き始めた。何だか可笑しい。
どうやら一度交換した怪我は同じ人に返すことは出来ないらしい。自分に不良の怪我が返ってくることは無かった。
騒ぎを聞いた近くの人がやってきた。凄惨な現場を見て固まっている。よろめきながらその人の前に立つ。
「あの女の子は地肌に触れ無いでください。人に触れられると発作が起きてしまいます。ここに電話を」
木島さんの名刺を取りだして渡す。病院の名刺だと気づいてその人は慌てながら携帯を取り出して電話をかけ始めた。
何だか疲れた。もう何も考えたくない。愛理ちゃんの事はこの人に、木島さんに任せよう。踵を返して3人を置いてふらつきながら走り出す。どこに逃げようか、それすらもう何も考えて無かった。




