真夏の花火を見上げて
ロン=ティエンシャン。
彼は人の上に立つべくして、四獣皇朝の第一皇子としてこの世に生を受けた。
明晰な頭脳と、大局を見据え本質を見抜く審美眼、他人の意見には流されない自らの確固たる意思を有し、幼き頃より四獣皇朝の政を治めてきた清廉な人格者である。
また武芸百般でも知られ、特に槍と弓、乗馬の腕前は国内随一と謳われる猛者。
更に特筆すべきは、その端正な顔立ちだ。
彼が振り向けば女性が悲鳴を上げ、微笑めば気絶する……それは比喩ではなく実際に起きた、もとい日常茶飯時な出来事である。
その美貌故に求婚が絶えず、女性というものに半ば辟易する毎日を送っている最中、彼は各国の首脳会談の場で、一目その姿を見て恋に落ちた。
その場で跪き婚約を迫るほどには、熱烈で運命的な出逢いであった。
「積もる話もあろう。ディアナの父親としては、若い二人に任せるのは吝かではないが、如何せん婚約の段階であるからな。我々が同席するのを許してもらいたい」
「あまり固いことを言っては可哀想ですわ。ディアナも早く二人きりになりたいでしょうに。ねぇディアナ」
国王アルバートの隣で、皇后エルメンガルトは口元を扇子で隠しながら、上機嫌に微笑んだ。
「陛下、皇后殿下、お二人の配慮に感謝いたします。私とて逸る気持ちはありますが、まずはお耳に入れておかなければならないことがあり、馳せ参じた次第です」
「あら、何かしら」
本来ならば、式の日程や招待客、ドレスや宝飾品の用意、持参金、縁戚関係を結ぶに当たっての国家間の不可侵条約や軍事同盟の締結……様々な話し合いを設ける場であったはずだった。
が、ロンが切り出したのはまったく別の話。
後ろに控える使節団の一人に視線をやると、その男性が拝礼した。
「発言をお許し願います。禁軍総司令、将軍ウェイ=ヨウミンと申します」
「ほう、そなたが四獣皇朝が誇る皇帝の牙か。度々噂は聞いている。このアレクサンダーと双璧を成すほどの武人だと」
「はっ。身に余るお言葉にございます。しかし禁軍は陛下の御威光あってこそ。我らはその御手足として尽くすのみでございます」
「見事な忠義だ。して、話とは?」
「こちらを」
ウェイはテーブルの上に、懐から取り出したそれを置いた。
「飴……か?」
「ただの飴玉ではございません。これは毒……百花糖という名の麻薬です」
それまで安穏としていた空気が、一瞬でざわめいた。
「麻薬ですって? そんな物騒なもの早くしまってくださらないかしら!」
エルメンガルトが声を荒げる横で、アルバートは咳払いを一つした。
「これがいったい……?」
「この百花糖は、桜花会のみ製造が可能な代物なのですが」
「桜花会……」
「四獣皇朝の裏組織ですね」
皇族の背後に備える男性、第二部隊隊長のレーヴェ=R=シュナイダーが発言する。
「先日市街で薬物中毒者と見られる暴漢が暴れ、その場に居合わせた第一部隊が制圧したという報告を受けています。もしかしてその件と関係が」
「おそらくは」
「このようなものが出回っているのか……」
「今現在魔導帝国にどれほど広まっているかは把握しかねますが、一時期を境にロン皇子殿下の周囲でも百花糖の影が見え隠れするようになりました。ディアナ皇女殿下との婚約が決まった時からのことです」
室内に緊張が走った。
「桜花会は、四獣皇朝建国より闇に巣食ってきました。歴史に残る大きな事件の裏には、必ずその存在が確認されています」
「その桜花会が、ディアナとロン皇子の婚約に異を唱えている、と? いったい何故……」
「婚姻が確かなものになると不利益を被る者がいるのでしょう。それが本人か、もしくは第三者かはわかりかねますが」
「そんな蛆虫が何だというの?」
エルメンガルトは不遜な態度で冷笑した。
「薬物だなんて穢らわしい。しかもそれがこの国で出回っているですって? 考えただけで不愉快だわ。シュナイダー大佐」
「はっ」
「早急に解決に当たりなさい」
「仰せのままに」
「まったく。あなたたちもあなたたちだわ。かの大国の武人が、たかが裏組織に怯えるなんて」
「おそれながら皇后殿下に申し上げます。薬物の製造、流通、武器や禁制品の密売、諜報、人身売買、傭兵業、そして暗殺……仕事を請け負うことで桜花会は四獣皇朝の闇を束ねるまでに至ったのです。たかが裏組織とはとても侮り難く」
「そんなものはそちらの言い訳でしょう。こちらは可愛い一人娘を差し出そうというのよ? まさかとは思うけれど、そんな些事を理由にこの婚約を無かったことにしようなんて言うつもりじゃないでしょうね? もしそのつもりなら、それなりの賠償で贖ってもらわないと」
「皇后殿下の仰っしゃりたいことは重々承知です」
ロンは強い意思を宿し、膝の上で拳を握った。
「本日此方に伺ったのは、桜花会の危険度の他にもう一つ、如何なる困難が待ち受けようと、ディアナ皇女殿下……いえ、ディアナは私がお守りするという決意を伝えるためです。この命に代えても」
「ロン、様……」
「殊勝な心掛けだが、どうするつもりか? 相手は得体の知れない裏組織なのだろう。どこから襲われるかわかったものではない」
「護衛を付けることで一先ずは。魔導帝国の第二部隊、皇帝陛下直属の警護団の高名は、我が国にも轟いております」
ロンが自国から護衛を提案しなかったのは、まだ婚約の段階であるが故だ。
万が一があれば責任の追求を逃れられるという下卑た考えでなく、自国の護衛は間者になり得ないという清廉潔白の表れ。
それを踏まえた上でロンは更に付け加えた。
「とはいえやはり万全を期してこそ。如何でしょう、アレクサンダー元帥に護衛を依頼するというのは。国内外に武勇が知れ渡る御仁であれば、たとえ桜花会を相手にしようとも心強いかと」
「アレクサンダーに? たしかにそれなら安心だが。生憎と奴は風来坊でな。今は行方が知れぬ」
「というと?」
「うむ。時たまにふらりと、誰にも行方を悟られず消えるのだ。数日と経てば戻ってくるのだが。今はちょうどその時なのだ」
「あの方は国防を担う重鎮としての自覚が無いのですわ」
毒を吐くエルメンガルトを窘めつつ、アルバートは続けた。
「そう言ってやるなエルメンガルトよ。奴とて元帥である前に一人の人間。背負うものを放り自由になりたい時もあろう。どこぞで楽しんでいようと咎められはせぬ」
楽しむ……そのニュアンスに含みがあることを、その場の全員が察し、誰も深く追求することはなかった。
「ハハハ」
ロンが会話を繋げるための愛想笑いを浮かべた時だ。
バキン、と鈍い音が一つ。
その後、パン――――と窓の外で何か音がした。
「なんだ?」
外に目を向けると、パン、パン、と更に数度青い空で何かが爆ぜている。
「花火……?」
盛大に打ち上がる色とりどりの花火が咲いては散ってを繰り返す。
そんな異常事態の中、何かが窓ガラスを突き破った。
いち早く身体が反応したのはレーヴェとウェイの二人。
ボン――――爆発から身を挺して一堂を守った。
「きゃあああ!!」
エルメンガルトの悲鳴が室内に木霊した。
続いて第二部隊の面々が警戒を強め皇族の守護を。
ロンはテーブルを飛び越えて、震えるディアナの盾となった。
「大佐!」
「問題ありません」
肩の煤煙を払う動作を一つ、レーヴェは大事無いと部下に指示を出した。
「ラッツェル中佐。部下を連れ陛下たちの避難を。御身を危険に晒した怠慢を咎めるのは後にしましょう」
「了解! 陛下、両殿下、こちらへ!」
第二部隊副隊長、マリー=ラッツェルが誘導を開始。
「あっ……」
「危ない! 大丈夫ですかディアナ殿下!」
「え、ええ……」
途中ヒールの折れた靴が原因でディアナが躓きかけたが、それ以外はスムーズな避難が完了した。
「禁軍も続け! 殿下たちの安全を最優先に行動せよ!」
「はっ!」
自分とウェイ以外が室内から消えた後、さて、とレーヴェはバルコニーからおもむろにやって来た侵入者に目を細めた。
「わざわざ正面からやって来るとは、よほどの蛮勇とお見受けします、招かれざる者」
「招待状が必要だったなら言ってくれヨ。こっちは生憎と育ちが悪いンダ。礼儀なんて弁えちゃイナイ」
「貴様……ジンウォン=シャオリーだな。桜花会のNo.2。お前ほどの人物が今回の件に関わってくるのか」
ジンウォンは散らばったガラスの破片を踏み鳴らした。
「シュナイダー大佐、用心を。奴は」
「ええ。只者でないことは、肌を刺すこのプレッシャーが教えてくれます。ですが関係無いのです。魔導帝国の聖域に足を踏み入れた……それだけで十二分に万死に値する」
静かな怒りを甘い形相の下に秘め、シュナイダーは右腕に炎を宿した。
大天使の爪……大天使系は四大元素に数えられる魔術だ。
「そう熱くなるなヨ。今日はただの挨拶ダ。まあ、程々に遊んでクレ」
「獅子の尾を踏んで、じゃれついただけで済まされると思うな」
「ハッ」
吼えるなヨ、とジンウォンは冷笑した。
「お前の前にいるのは、獅子を食い千切る虎だぞ」
――――――――
貧民街の建物の屋上。
錆びた給水塔の上で、ユーフェイは数粒の飴玉を空に向かって放り投げた。
「ほっ」
空高く爆ぜたそれは、鮮やかな花火となって儚げに散っていく。
「たーまやー……なんてな。いよっ、と」
給水塔から飛び降り、んっ……と背伸びをする。
「お仕事終了〜。ジンウォンも上手くやるやろし……ウチはお先に女の子漁りや〜♡ 今日こそ楽しませてもらうでな〜待っててや宿屋〜♡」
――――――――
「ん……」
薄暗い部屋の中、その男性はベッドから身を起こした。
「なんだか騒がしいな。どうかしたか?」
「花火が上がってるわ」
「花火? この街でか?」
「そうみたい。お仕事の時間なんじゃない?」
窓際に立つ裸の女性が微笑むと、男性は、やれやれ……と頭を掻いた。
「まだ物足りないんだがな」
「私用よりお仕事を優先するあなたがステキよ。アレクサンダー」
ベッドから立ち上がり、女性の頭に手を回しキスをする。
「戻ったら続きをしよう」
「ええ。食事も用意しておくわね」
「簡単なものでいいぞ。ベッドの上で済ませられるような、な」
「あら、私は食事のついでに食べられるの?」
「ぞんざいに扱われるのも嫌いじゃないだろう?」
アレクサンダーが笑うと、貧民街随一の娼館である薔薇の宿屋の女将、リーベも小さく吹き出した。
「行ってらっしゃい、帝国の英雄さん」




