眠り姫
「ね〜姫まだ起きないの〜?」
「残念ながら。装置による気絶なら半日ほどで目を覚ましますが、魔術の使用は燃費が悪いようなので、あと二日三日は眠ったままだと思います」
「姫に会えないのヘラるんだが〜」
キティは鎚を振りながら悲嘆した。
「てか姫がいないのにお前だけ来るのは何? 寂しいの? キモおっえ吐きそ」
「そんなわけないでしょう気色悪い。ブルー様が眠っているからとあなたが仕事を怠けないか見張りに来ただけです。自意識が高いようですが、天地がひっくり返ってもあなたに好意を抱くことなんかありませんので。勘違いなさらないようお願いします」
「こっちのセリフすぎワロタ」
光と影。
水と油。
どちらがどちらという問題ではなく、またなんてことのない、ただの同担拒否二人である。
「落ちぶれ皇女様のくせに叶わない恋してんじゃねーよカス。身の丈にあってなさすぎ。姫かわいそーこんなのに付き纏われて」
「あらあらキシキシと喧しい鉄錆ですね。ブルー様と同室に住んでもいない、身の回りのお世話も許されていない、物理的にブルー様から遠い遠い塵芥のくせに」
「クッソウケる。姫とチューもしたことない口で何ほざいてんの? お前なんか眼中にねーんだよ。構ってちゃんが話しかけてくんな。お前と違って暇じゃないのわかんないのかって。チョーシ乗んなよマ◯コついただけの異常者が」
「下品な人。これだから中古品は」
振り下ろされようというところで、鎚は軌道を変え、エリザベートの頭蓋を粉砕。
脳漿が飛沫し、工房内に血の匂いが充満した。
キティの表情には闇が覆われていたが、そんな状況で笑ったのは、砕かれた頭を再生するエリザベートだった。
「アハ、アハハハ。あれれぇ? 怒っちゃいましたかぁ? 錆臭いわりにあなたも女の子ですねぇ。初めては大切な人とが良かったですよねぇ。薄汚い大人に、下劣な感情を向けられ、性欲の捌け口にされるのではなくて。私には経験が無いのでよくわかりませんが、ぜひご教示願いたいものです。貴重な初めての姦通を無意味に散らされた感想を」
悪辣に言葉を綴り煽るエリザベートに、キティはもう一度鎚を振るった。
頰と顎の骨がひしゃげ、歯は折れて肉も削げ落ちたが、どうということはなく即座に再生する。
その最中、キティはエリザベートの下腹部にナイフを突き刺した。
痛みは快楽。
その傷さえナイフを抜けば瞬時に治る。
それでも、キティは目の前の怪物に殺意を込めて言い放った。
「べつにたかが処女膜一枚に思うところなんかないけどさ……お前は殺すわ」
「あなた如きが? 不死を殺す? やれるものならご自由に。その前に私があなたを殺してあげますよ」
視線を交わしたのは数拍。
殴り合いでなく殺し合いが始まらんという空気の中。
「もー二人とも何やってるの?」
影の中からフランが姿を現した。
「フランちゃん?」
「フランたそ?」
「はむっ」
フランはおやつのパンを頬張りながら、争う二人を通り過ぎて椅子に腰掛けた。
「どうしてここに?」
「お姉ちゃんが起きたら知りたいかなって、あの人たちのこと探してたの」
「たそ偉すぎ〜♡」
「見つかったんですか?」
「んーん」
フランは首を横に振った。
「見つかんなかったから、おやつ食べに帰ってきた。貧民街は広いし臭いし、ただでさえわかりづらいのに、今街がすっごく嫌な匂いしてるんだもん。お鼻がおかしくなっちゃう」
「変な匂い?」
「リゼのワキガが公害レベルにまで」
「あなたの足の匂いじゃないですか」
「奴隷ちゃんもキティちゃんも臭いのは臭いんだけど」
「それスルー出来んからやめて?」
「臭くないですよ」
「なんだろ、わかんないけど……お花みたいな匂い? 甘いのにすっごく気持ち悪くて、もうずっとムズムズするの」
エリザベートとキティは顔を見合わせた。
「そんな匂いする?」
「さぁ……フランさんは狼の、熾天使の咆哮の権能で鼻が利きますから、おそらくそのせいだと思いますが」
「桜花会の奴らが何かしようとしてるとか?」
「おそらくは。しかし困りましたね。軍は貧民街に介入しないでしょうし……このままではブルー様のお役に立てません」
「私はまた貧民街を探してみるけど、奴隷ちゃんも来る?」
「そうですね」
軍属とはいえ、元よりツルギと並んで違反行動の多いエリザベート。
ツルギの指示無くして、軍の規律を守る必要は無いと判断した。
「アタシは刀打ってるけど、そっちもしっかり」
「あなたに言われるまでもありません」
最後まで険悪な雰囲気の中、その場は解散。
エリザベートとフランは貧民街へと潜った。
――――――――
一方、貧民街のとある教会では。
「ほいっほいっほーいっ」
「わー!」
「すごーい!」
ユーフェイが教会の孤児たちを相手に蹴鞠を披露していた。
その腕前、もとい脚前は相当なもので、軽やかに舞っているようであった。
娯楽の少ない貧民街の子どもたちは、あっという間にユーフェイを囲んだ。
「ユーフェイお姉ちゃんすごいね!」
「とっても上手!」
「ウェッヘッヘ、それほどでも〜っと」
そんな歓声湧く和やかな光景を、ジンウォンは一人離れた場所で眺めていた。
「くだらなイ」
小さく呟き懐からタバコを取り出す。
口に加えようとしたところで、横から制止がかかった。
「教会ではそのような嗜好品は禁止しています。子どもたちの目につく前にしまってください」
シスターマリアンヌの毅然とした態度に、ジンウォンは事を荒立てまいとそれを懐に戻した。
「ありがとうございます」
「何がダ?」
「子どもたちの相手をしていただいて」
「あいつが勝手にやってるだけダ。飽きたらやめるダロ」
そのユーフェイは、蹴鞠からお手玉へ、更には手品に、どこから取り出したか大玉乗りを披露し、一人大道芸で子どもたちを沸かせているが。
ジンウォンは能天気な彼女より、その様子を横で黙って眺めているマリアンヌに、むしろ異常性を抱いた。
「止めないのカ、シスター」
「何がでしょう?」
「おれたちが碌でもない輩なのは察してるだロウ。今ここで何かしでかすかもわからナイ。そんな危険人物を素泊まりさせて、子どもを群がらせテル」
「そうですね。ここ数日貧民街で起きている変死事件、それに昨日の騒ぎ……どちらもあなたがたが関与していると見て間違い無いのでしょう」
言われ、ジンウォンは視線を隣にやった。
マリアンヌは芯の通った立ち姿を崩さず、視線を子どもたちに向けたまま続けた。
「犯罪者を擁護するつもりは無いと、一応念を置かせてもらいます。子どもたちに危害を加えようとするなら命を捧げる覚悟であなた方を排除します」
「立派な心掛けダ」
「ですが私は一介の修道女。届く腕には限りがありますから。あなた方がこの教会の外で何をしようとも、私にそれをどうこう言う権利も力もありません。取捨選択が烏滸がましいとしても」
「悪くナイ。身の程を弁えた在り方ダ。おれも一応言っておくが、今あいつが何もしていないのは、ただの気まぐれダ。何がきっかけで手を出すかはおれにもわからン。そうなる前に逃げた方がイイ」
「そうもいきません。ここには守るものがたくさんあるので」
「礼拝者のいない教会にカ?」
マリアンヌは、ええ、と即座に返した。
「ここは行き場を失った子どもたちの家ですから」
外壁は崩れ、窓も割れ、雨風を凌ぐのもままならないほど古びた建物。
庭は荒れ、子ども用の遊具も玩具も揃っていない。
それでもこの場所は安息の地なのだ。
マリアンヌというシスターがいるだけで、子どもたちは餓えても笑顔を絶やさないでいられる。
それほどまでに彼女という存在は偉大であったが、それを他所者が知る道理は無い。
だがしかしジンウォンは、
「ありがたいヨナ。頼れる大人がいるってだけで、子どもは救われル」
マリアンヌに同意した。
ほんの少し、表情を綻ばせて。
「あなたも……」
と、マリアンヌはそこで言葉を区切った。
踏み込むべきではないのだろう、と。
「ジンウォーン! ウチ疲れた〜! 交代〜!」
ユーフェイが汗だくになって疲労困憊しているのを見て、ジンウォンは眉根を寄せた。
「ふざけロ」
「いーからいーから、ほら行ってこーい」
背中を押されたジンウォンは、ユーフェイの身代わりに子どもたちに囲まれた。
「おじちゃんおっきいー!」
「高い高いして!」
「誰がおじちゃんダ」
心底不機嫌そうなジンウォンを他所に、ユーフェイは、ふぃー……と息をついた。
「いやぁ元気やねぇ子どもたちは。ウチもうハァハァや」
「あんなにはしゃぐ皆を見たのは久しぶりです」
「喜んでもらえたんならよかったよかった。隅っこの部屋で寝てる子にも聞こえたかな」
マリアンヌが静かに驚いた顔をしたので、ユーフェイはニシシと笑って返した。
「……部屋を覗いたのですか?」
「いやいやまさかまさか! いくらウチでもそーこまで節操無しちゃうから! さっき遊んでる時な、チラッと子どもたちが言うてたんよ! イヴちゃんも見られたらいいのに〜って。ずっと寝たきりっぽいけど、風邪でも引いてるん? ウチ薬持ってるからあげよか?」
「……ご心配には及びません。あの子が……イヴが眠り続けているのは、昨日今日の話ではありませんから」
「はにゃ?」
「もう五年が経ちました」
「五年も?! はえぇ……お寝坊さんやねぇイヴちゃん……」
「ええ。本当に」
「寝たきりの子も抱えて、シスターの心労お察しします。ウチらに出来ることあったら何でも言うてね。シスター一人でここ賄ってるのも大変やろうし」
「それが、毎月お布施と大量の物資が届くので。それで生活は成り立っています」
「おお、そんな酔狂な人ウチ以外にもいるんや!」
「困ったことに。何度突っぱねても、断っても、気持ちだからと置いていって。本当に……困った子がいるんです」
マリアンヌは遠い目で空を見上げた。
その横顔はいたく儚げで、物言えぬ寂寥を帯びていた。
途切れた会話に気まずさを覚えた折、ユーフェイはふと東の空を見上げ、壁に預けていた背中を離した。
「おっと、世間話はこのへんにしとこかな。お仕事の時間みたいやし、ウチらそろそろ行くね」
「あの方にも言いましたが、子どもたちに危害を加えようものなら許しはしません」
ユーフェイはマリアンヌに向かって深々と頭を下げた。
「宿貸してくれてありがとう。シスターと子どもたちに幸せが訪れますように」
それから、春の陽気のように朗らかな笑みを浮かべ、マリアンヌの手を両手で覆った。
「主のご加護があらんことを」
名残りを惜しむ子どもたちに見送られ、二人は教会を後にした。
マリアンヌの手の中で、宿賃とばかり渡された包みが、くしゃりと音を立てた。
――――――――
「遠路はるばるよく参られた。我が娘のためにかけた足労痛み入る」
「畏れ多いお言葉です陛下」
優しげな金色の目がディアナに向けられた。
「またあなたに会えたこと、心より嬉しく思います。ディアナ皇女殿下」
「私も……殿下に会えるのを心待ちにしておりました。魔導帝国へようこそ。ロン皇子殿下」
四獣皇朝の皇子ロン=ティエンシャンは、照れと緊張で初々しく頰を染めた。




