百花糖《バイホァタン》
「百花糖?」
翌日の軍部にて。
第三部隊管轄の隊舎も兼ねている研究所の一室には、ノクトとソフィア、グレーテルの三人が揃っていた。
「十年前、貧民街で流行したドラッグです。服用すれば強い多幸感に包まれ、忘我するほどにその心地良さに陶酔するという」
「所謂アッパー系ってやつ。疲れとか眠気を感じにくくなったり、血圧や心拍数が上がったりみたいな。まあ、どこにでもある系の。けど、これは普通の薬物とは桁違い」
グレーテルは部下に指示し、ガラスのケージを運ばせた。
中には数匹のモルモット。その死骸が凄惨たる様を表していた。
「百花糖を投与した実験体がこうなった」
「……中毒による過剰摂取、ですか?」
「百花糖自体に含まれる毒性もそうだけど、そもそも依存性が尋常じゃない。このモルモットは数匹が中毒死、数匹は百花糖の奪い合いで死亡してる」
「これが過去、人間の間で起きたことだなんて。到底信じられるものではありません」
目を伏せて憂うソフィアを他所に、グレーテルは桃色のそれを指で挟んで一つ砕いた。
中からはトロリとした液状のものが垂れ、グレーテルの指から手の平に伝った。
室内には一層の花の香りが充満した。
「んぁ」
「なっ?!」
あろうことかグレーテルは、それを無造作に舐め取った。
「ぐ、グレーテルさん! 何を……」
「慌てんなメス。あたしがこんなもんに夢中になるわけねーだろ。てか前にも口にしたことある」
グレーテル=S=ヴィクトリアは、十天の叡智の名を与えられた一等星将である。
その脳を格付けするならば国内……いや、世界の賢人を並べても上から数えた方が早いだろう。
ただし、狂乱令嬢の名は体を表す。
非人道的かつ違法的な実験による犠牲者は後を立たず、それが原因で都度査問会が開かれ、結果謹慎、拘束、投獄を繰り返す問題児が彼女だ。
その異常性を孕んだ研究欲は、他者のみならず自らをも対象とする。
様々な薬物、毒物の投与により、常人のおよそ数百倍から数千倍の抗体の生成を実現。
どんな毒であろうと意味を成さない免疫機能を獲得していた。
が、
「……ペッ」
そんなグレーテルをして、一瞬顔を歪ませ内容物を床に吐き捨てた。
「十年前のやつより薬効が強い。強いのは薬効っていうか魔力か」
「魔力? 魔術の痕跡があるということですか?」
「痕跡どころか外殻の砂糖の結晶からシロップまで、全部が高純度の魔力で構成されてるっての」
聞いてノクトは訝しみ、それからソフィアに目配せをした。
ソフィアはノクトの意思を汲むなり、首を横に振った。
「私も同じですミューラー大佐。こんなに近くにあるのに、まるで魔力を感じません。魔術師二人が魔力を読めないなんて」
「隠匿性が高いか、そんくらい微弱ってことじゃない? あたしがわかったのは、既存の毒物のどれにも該当しなかったってだけだし」
「集中してやっと感じ取れるかどうかの微細な魔力……けれど、その毒性は極めて邪悪で恐ろしい。十年前貧民街で流行した時も、帝都に相当な被害が出たと記録がありました。その時よりも毒性が強いとなると……」
「被害が拡がる前に対処する必要がありますね。すぐにシュナイダー大佐に」
「いえミューラー大佐、シュナイダー大佐本人に助力を仰ぐのは難しいかと」
ソフィアは事態の深刻さを受け止めながらも言い淀んだ。
「先程隊に連絡がありました。本日正午、城に国賓が招かれると」
「国賓?」
「はい。四獣皇朝より」
四獣皇朝と聞いて、ノクトは昨日のディアナの件を思い出した。
「子細は明らかにされていませんが、万が一があってはならないと、シュナイダー大佐を初め第二部隊の主力の大半はそちらの警護に回されるはずです」
「どこの部隊も人員不足とか。無能が多いの普通に死んだ方がいいのに」
「では私を含めた第一部隊を、百花糖を広める首謀者の捜索に当たらせます」
「私たちも微力ながら。しかし、魔力を辿れないとなると……。それにおそらく件の犯人は貧民街に身を潜めているはず。軍は貧民街には干渉出来ませんし……」
「あいつがいるでしょ」
と、グレーテルは手の汚れを拭き取りながら鼻を鳴らした。
「あのメスガキなら気配で居場所くらい読めるだろって」
小さく、そうですね……と呟くノクトの指で、指輪がキラリと光を反射した。
寮舎に設けられた自室で、ツルギはベッドに身体を横たわらせていた。
ノクトは様子見に訪れたが、目を覚ます気配は無い。
義手に埋め込まれた電撃装置の使用、加えて戦闘による疲労と魔術の使用による過度な疲弊。
数日は目覚めないことが確定している。
ノクトはふとベッドの脇の剣に目をやった。
抜けば刃が折れた、剣としての機能を失ったそれから、戦いの激しさを感じ取る。
事のあらましはエリザベートから聴取したが、一概には信じられないというのが彼女の弁だ。
「人斬り令嬢が斬れなかった相手、か」
眠れる人斬りを前に、ノクトは思考する。
桜花会。
四獣皇朝の闇を統べる裏組織が、帝国が誇る皇女と四獣皇朝の皇子との婚姻が決まったタイミングで、この魔導帝国でよからぬ事を企んでいる。
はたしてそんな偶然が存在するだろうか、と。
(裏組織と銘打ってはいるが自警団としての面が強いDUST'と違い、桜花会は汚れ仕事も率先して請け負う悪の組織。そんな連中がこの国で何を……単に違法薬物を撒き散らしている……? 何のために……?)
思考すれども答えが出るわけもなく、ノクトは悩む頭を掻いた。
「この厄介な種、まさか貴様が持ち込んだわけではないよな」
言ってから、馬鹿げた運命論だと自らを笑う。
「おとなしくしていれば、まだ可愛げがあるものを」
次いで、皮肉を吐いて肩を落とすと、まるで子どものようなあどけない寝顔のツルギを笑った。
「さっさと起きろ。サボるのは許さん」
何気なしに人差し指で頰をつつく。
指先に伝わる柔肌の感触にハッとし、ノクトはすぐ指を引っ込めた。
「……何をやっているんだ私は」
そろそろ戻るかとツルギに背中を向けると、不意にノクトの視線がテーブルの上の聖書に止まった。
普段ツルギがブックホルダーにしまい携帯しているものだ。
どこにでもあるような分厚いそれを手に取りページを開いた時、ページの隙間から何かが落ちた。
「写真……?」
色褪せ古ぼけたそれに映るのは、教会を背にした二人の子どもの姿。
歳は五か六くらいだろうか。
一人は金の髪で目元を隠して顔がよく見えないが、もう一人の少女には覚えがあった。
あまりにも快活な笑顔で一瞬脳が錯覚しかけたが、それは紛れもなくツルギ本人の姿であった。
まだ髪は黒く、両の眼は蒼い頃……そう、人斬りとして覚醒する前の、ただの子どもの、今は遠き過去である。
読んでいただきありがとうございます!
おもしろいと思っていただけたら、リアクション、ブックマーク、感想、☆☆☆☆☆評価にて今後も応援してもらえたら嬉しいです
m(_ _)m




