折れた剣
剣とは消耗品である。
斬れば錆付きいずれ折れるのは道理。
ツルギの剣も、例に漏れず軍が規定する軍剣で、これといった思い入れの無い大量生産品の一つに過ぎない。
しかし振るうのが人斬り令嬢というだけで、どんな鈍らでも名剣に成る。
名も無きその剣もまた名剣であった。
が、それが砕けた。
刃の欠片が煌めく様に、ツルギは言葉を失い呆然とした。
「ブルー様、危ない!!」
視線は折れた剣に。
轟と迫るジンウォンの爪は、気に留めてすらいない。
「死ネ」
影に潜み機を窺っていたフランが飛び出してこなければ、その爪はツルギの身体を深く抉っていただろう。
「お姉ちゃんを……虐めるな!!」
ズシン……とジンウォンの身体が沈む。
「身体が重イ……」
大天使の影による重力操作だ。
本来ならば足の骨が砕けるほどの重力を浴びているにも関わらず、膝をつかせることも叶わないが、それでもフランはその場を切り抜けようと必死だった。
小さな子どもの身体でツルギに飛びつき、建物の屋上から一緒になって飛び降りようと試みる。
体勢を整えるべきだという判断は間違っていなかった。
誰が見ても最善の一手。
しかし、ツルギはその最善を放棄した。
「いいところだったのに」
屋上の外へと倒れる最中、フランの頭を抱きしめながら、双色の眼でジンウォンを見射った。
その剣は折れ、振れども届かず。
が、ここで一つの疑問が浮かぶ。
「いいところ……だったの、にィ……!!」
剣を失った人斬りははたして人斬りと呼べるのか。
答えは――――――――是。
剣無けれど人斬りは人斬り。
ツルギの剣への執着が、堕天使系は堕天使の剣という魔術をその身に宿したことは間違い無い。
しかし、物質的な剣と堕天使の剣は同義ではない。
「研ぎ澄まされよ、堕天使の剣ァ!!」
剣は魔術の媒介ではない。
剣は剣。
剣無くして尚、魔術は魔術。
その刃が折れようが如何なる距離が空こうが、斬ろうと思えば斬ることが出来る。
「――――――――!!」
ジンウォンは肩から吹き出る自身の血に目を見開いた。
「ジンウォンに傷を……」
ユーフェイも同じく信じられないものを見たと、ぽかんと口を開けた。
ツルギは人を斬る時に限り魔術を使わない。
その信条は、肉を斬る刹那の快感を最大限味わうためのものである。
魔術で人を斬ったところで快感は無いが故に、ツルギはこの手法を嫌っていた。
だが、そうせざるを得なかった。
ジンウォン=シャオリーは、そこまでツルギを追い込んだのだ。
「ブルー、様……ッ!!」
落下する二人を、エリザベートは自ら下敷きになって受け止める。
幸いツルギに怪我は無く、エリザベートは安堵の息を漏らしたが、次の瞬間。
「ぁがッ……?」
骨が砕けるほどの力で首を掴まれた。
「斬れなかった」
「ブルー……ひゃま……」
「私が。斬れなかった?」
ぽつりと零れた声は、まるで他人事のようだった。
血は流した。
傷も付けた。
だがそれだけだ。
ツルギが求めたものではない。
刃が肉を裂き、骨を断ち、命へ届くあの感触。
それが無ければ人を斬る意味が無い。
人斬り令嬢……それは誰がつけたとも知らない字だ。
冠するその名に興味は無い。
だが、人斬り令嬢が人を斬れなかったという事実は、たしかに今ここにあった。
泳げない魚、飛べない鳥……まるで存在の否定であるかのように。
斬りたい。
斬れない。
斬りたい。
斬れない。
斬りたい。
斬れない。
斬りたい。
斬れない。
斬りたい。
斬れない。
斬りたい。
斬れない。
胸の奥で醜い何かが軋む。
怒りでもなければ悔しさでもなく、もっと原始的な欲求。
餓え。渇望。
人の心が欠落した人斬りの、人を斬るのに魔術を使わざるを得なかったフラストレーションが、空を突き破る咆哮と共に爆発した。
「あ゛ァアアアあぁぁぁぁぁぁ――――――――!!!」
吹き出る堕天使の剣の黒い斬撃が周囲を断絶した。
「わっ?!」
「ぁ――――――――」
フランはいち早く危険を察知し離れたが、エリザベートは肉の断片となり辺りに散らばった。
衝動に任せた見境のない魔力の放出。
最早暴走であった。
そんな中、ユーフェイは呑気に呆けた。
「あらぁ」
「ボサっとするナ」
そんな彼女を、ジンウォンは迅雷の如きスピードで救出。
その場から退避することを選択した。
「ほなねー人斬り令嬢ちゃん。聞こえてるか知らんけどー」
闇に消えた二人に刃は届かない。
しかし尚もツルギの慟哭は続いた。
エリザベートとフランは、慟哭するツルギをただ傍観するしかなかった。
「どうしたら……」
目だけ、口だけの状態のエリザベートが呟いた時、風が一陣貧民街の暗がりに舞い降りた。
「貴様はいつだって問題を起こすな」
怒気も呆れも混じった聞き慣れた声がした。
凛とした声の主に、ツルギは剥き出しの怒りをそのまま斬撃として放った。
万象を斬る堕天使の剣の刃。
それが彼女の風に阻まれ、火花を散らして霧散した。
その一瞬、双色の眼に光が戻った。
「ノクトさ――――――――」
ノクトが手を翳した瞬間、電撃が神経を走る。
義手に埋め込まれた鎮静装置により、ツルギは強制的に活動を停止させられた。
倒れそうなツルギの身体を、ノクトはそっと受け止めた。
斬撃の暴風も止み、ようやく貧民街に静けさが戻ったが、周囲は瓦礫の山と化し、見るも無残な光景が広がっていた。
「ミューラー大佐……」
身体を再生しながらエリザベートが立ち上がる。
「状況の説明……は、今でない方が良さそうだ」
斬撃で建物が倒壊し、雷で焼け焦げ、荒廃した貧民街の惨状を目に、ノクトはエリザベートの言葉を遮った。
しばらくして、ちらほらと人の影が。
住民の避難に奔走したDUST'の面々もまた姿を現し始め、ツルギを抱き止めるノクトへと、テレジアは詰め寄った。
「そいつを渡せ」
その顔は怒りに滲み、今にもツルギを八つ裂きにせんと鬼気迫っていた。
「子鬼は災厄だ。そいつがいる限り、この街は危険に晒される。今のうちにオレたちが殺す」
「ブルー様を、殺す……? 震えるばかりで何も出来なかった弱者の分際で、よくもそんな酷いことを!!」
「子鬼がいなけりゃここまでの被害は出なかったろうが!!」
エリザベートの激昂に、テレジアは更なる激昂を被せた。
「そいつが生きてる限り家族は震えなきゃならねェ!! お前にわかるか?! 毎日毎日悪夢に魘されるオレたちの気持ちが!! いったいどれだけの命を奪ったか!! 家族を斬られ哀しみに打ちひしがれ、失意のどん底に突き落とされて、なのにそいつは日の光の下でのうのうと人斬りを続けてる!! そんな奴を許せるか?! 生かしておけるか?! 子鬼が生きてて喜ぶ奴なんかどこにもいやしねェんだよ!!」
そうだ……とテレジアの背後で誰かが声を上げた。
一つの呟きは連鎖し、増殖し、やがて大きな怨嗟となる。
「殺せ!!」
「殺せ!!」
「殺せ!!」
四方八方から襲いかかる悪意。
「ブルー様が気絶しているのをいいことに……この衆愚共……!!」
エリザベートは歯が砕けるほどに強く食いしばった。
愛する人を貶される怒りと、好き勝手に罵倒させてしまっている羞恥に顔を真っ赤にした。
フランもまた姉へ向けられる悪辣な言葉の割に憤り、今にも狼となって全員の頭を噛み砕いてやろうという気になっていた。
しかし、ノクトはかくも冷静に応えた。
「たしかに、こいつは人斬りだ。命令は聞かない。規律違反はザラ。類を見ない危険分子で、何をしても不始末を被るとあれば、いない方が幾分か助かるのは否めない」
「なら――――――――」
「それでも私たちと同じ人間で、今は私の部下だ。ツルギ=ヴォルフラムの処遇を決めていいのは私だけだ。部下の不始末ならば上官である私が責任を執るのが筋だろう」
ノクトの静かな覇気に民衆は気圧された。
「筋か……それを口にしたこと後悔するぞ。子鬼は誰にも望まれねぇ。そいつは生きてちゃ……いや、生まれてきちゃいけなかっま化け物だ。そいつが何かしでかしゃあ、てめぇが首を差し出さなきゃならねェのを忘れるな」
「帝国の一等星に、その覚悟が無いとでも思っているのか。退け、テレジア=ハルトマン。DUST'は軍と事を構えるつもりか」
「……チッ」
ツルギの痩身を抱え、恨めしそうに舌打ちするテレジアの横を抜ける。
誰も声を上げなかった。
腹の虫が治まらないエリザベートは、DUST'を睨みつけ襲いかかろうとしたが、それはノクトに制止された。
「リゼ=シュヴェールト一等兵。命令だ。何もするな。そこの子どもを連れて下がれ。貴様らには改めて話を聴くものとする」
「……了解しました。行きましょう、フランちゃん」
フランはエリザベートの呼びかけに応えず、数拍の間立ち尽くした。
「フランちゃん?」
「あの人、ちょっと嫌い」
「ミューラー大佐のことですか?」
どうしてと訊くと、フランは不満そうにノクトの後ろ姿を見た。
「いい匂いですっごくおいしそうなのに、臭くてとってもまずそうなんだもん」
――――――――
「いやぁ、大変な目にあったなぁ」
「お前はボーっとしていただけだがナ」
戦闘地点から数キロと離れた地点。
宵闇が濃くなった貧民街のとある建物の中。
ジンウォンは包帯を巻きながら、窓際で棒付き飴を頬張るユーフェイに悪態をついた。
「いやいや、あんなのにウチがどうこう出来るわけないやーん。ジンウォンでさえろくに傷負わせられんかったのに。ウチがやり合ったらほっぺにチューした瞬間首斬られてバイバイやって」
「それはそうダガ」
「傷痛い? 痛み止めの飴ちゃん要る?」
「問題無イ。数日あれば治ル」
「さすが熾天使系はタフやねぇ。それにしても、まさか天召のジンウォンに傷を付けるなんてなぁ。人斬り令嬢ちゃんもその素質があるってことなんかな?」
「さァナ。どうでもイイ。次は殺してヤル」
「やり合う必要無いって。けどどうしよかな」
ちゅぱ……と小さな唇から飴を離して窓の外へと足を遊ばせる。
「めっちゃ騒ぎなってもたし。貧民街は隠れながら仕事が出来る思うたのに」
「べつに百花糖を広めるなら表通りの連中でもいいダロ」
「まぁね。でもほら、ここには可哀想な人がいっぱいやから。ウチが救ってあげな」
「勝手にシロ。どのみち目立ちすぎタ。しばらくは雲隠れする必要がアル」
「あの狼の子、鼻利きそうやしね。わからん程度に匂い消ししとかな」
ジンウォンは、それもあるが、と前置いて上着に袖を通した。
「あのイカれた女、軍服を着てタ。あいつの素性はともかく、軍が出張ってくるのは想定外ダロ」
「そうなんやってなぁ〜……ほんまどうしよ。まあ……いざとなった軍と戦争すればいいだけなんやけどさ……。その時は頼んだジンウォン! 全部任せる!」
親指を立てて能天気に激励するユーフェイに、ジンウォンは呆れ眼で小さく息をついた。
「雲隠れの意味わかってるヨナ? くれぐれも目立つなヨ」
「わーかってるって。心配せんくてもおとなしくしとく。んじゃ」
「おい待てどこへ行くつもりダ?」
「そりゃもちろん……なぁ?」
「こんな時に娼館通いなんてするつもりなら、そのニヤけたツラを殴らなきゃいけなくなるゾ」
「だって貧民街に来たんやよ?! なのに宿屋に通うななんてことありえる?! 何しに来たんやって話やろ!」
「仕事ダ」
「貧民街の代名詞宿屋! ステキな出逢いと胡蝶の夢がウチを待ってるんよ! 止めるなジンウォン! ウチ、ウチ……絶対彼女作って戻ってくるからぁ!」
小芝居めいて騒ぎ立てたかと思えば、ユーフェイは一人部屋を飛び出した。
いつものこととジンウォンも深く追求はせず、簡素なベッドに横たわって肩を押さえた。
網膜に人斬りの異常な笑みを焼き付け、静かに殺意を滾らせながら、そっと瞼を閉じた。
ユーフェイは軽やかな足取りで、小さく鼻歌を唄いながら廊下を行った。
すると暗がりから、ランプの灯りと共に声が一つ。
「お出かけですか?」
揺れる炎に照らされるのは、修道服を纏った小柄な女性だ。
「いやぁ、ちょーっと夜のお散歩に」
「夜分の外出は禁止しています。子どもたちが目を覚まさないうちに、部屋へお戻りなさい」
「ああん殺生なこと言わんといてよシスター。今からが大人の時間やん。って、部屋を借りてる身で言うのもアレやけど」
「迷える者に雨風を凌げる場所を貸し与えるのは主の教えです。異邦の民とはいえ、ここに留まるのであればその教えに背くことは赦されません」
「そこを何とか……」
厳格を身に降ろしたかのように凛とし佇まいで、そのシスターは沈黙した。
ユーフェイはシスターが折れないと悟るや、
「はぁい……」
と、唇を尖らせ踵を返した。
「おとなしくしときます。ゴメンなさい。おやすみなさいシスター……ええと?」
「マリアンヌと」
「そっか。おやすみシスターマリアンヌ。いい夢を」
「おやすみなさい。あなたに光ある夜明けが訪れますように」
ユーフェイは廊下を引き返し、背中にマリアンヌの視線を受けながら密かに笑った。
「いい人そうやねぇ。シスター」
天真爛漫に、歪んだ愛を孕んで。
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