裏組織《マフィア》
店の入り口から突入したツルギたちが最初に目撃したのは、ナイフで腹部を刺されたアレクサンダーの姿であった。
「閣下!!」
ノクトが叫び、ツルギが一足でナイフを手にした男に飛びかかる。
すでに手は剣の柄に伸びており、男の首を刎ねられる絶好の間合いにいた。
唐突に与えられた肉を斬る悦びに顔が歪んだ。にも関わらず、鞘から剣を抜くことはなかった。
否、抜くのを止められた。
「動く必要は無い」
アレクサンダーの一声と同時、ツルギだけはその目でたしかに捉えた。
彼の鋭い覇気が見えない剣閃となり、暴漢の意識を断絶。
男は糸切れたマリオネットのように膝から崩れ落ち、床にその身を伏せた。
「ほぅ……」
以前自分も味わったものに、ツルギは感嘆の声を漏らした。
それに技としての名前は無いが、言うなれば剣士の極致以外の呼び方はあり得ないだろう。
自身の斬撃のイメージを他者に与える。
言葉にすればいやに安っぽいが、そのイメージで肉体的な損傷さえも自在に操ることが可能で、更には剣すらも必要ないともなれば、帝国最強の名が伊達でないことが窺える。
叶うことならこのまま斬り結んでしまいたい……と、ツルギが口の端から唾液を垂らしかけたとき。
「閣下、お身体は」
ノクトがそれを察したように意識を逸らした。
「問題無い。この程度かすり傷にもならぬよ」
刺されたはずの腹は多少の出血でシャツを滲ませていたが、あろうことか切っ先は皮一枚のところで止まっていた。
鍛え抜かれた鋼の肉体が刃を阻んだのだ。
「他に怪我人はいないようですね。いったい何が……」
「わからぬ。いきなりこの男が店に押し入ってきた。どうやら正気では無いようだったが」
「見たところ貧民街の浮浪者のようですね。……? 甘い香り……」
ツルギは鼻をひくつかせるなり、男の傍にしゃがみ持ち物を漁った。
「おい」
「制服を着用している私が現場を弄ることが不自然なわけはないでしょう。……これは?」
ポケットから取り出したのは包み紙であった。
中身を手の平に出してみると、色とりどりの飴玉が転がった。
「飴?」
「スン……何でしょうか。妙な気配を感じます」
「毒か?」
「いえ、というよりこれは」
「叔父様!」
店の奥から姿を現したディアナが、息を切らしながらアレクサンダーへと駆け寄った。
「ご無事ですか? お怪我は?」
「大丈夫だ。心配は要らんよ」
「よかった……」
「うむ。しかしこう騒がれては厄介だ。悪戯に民衆の目に留まるのは避けたい。我々は先に退散させてもらうことにしよう。ミューラー大佐」
「はっ」
「すぐに第二部隊がやって来ることだろう。彼らに状況の説明を頼めるか。我々については話さなくていい」
「了解です」
ノクトに合わせ、他の面々も敬礼する。
「とんだ休日になりましたね。殿下、またいずれ」
「は、はいヴォルフラムさん。私もまた、皆様とお話したく存じます。ミューラー大佐、モルガンさん、オブライエンさん、それに……シュヴェールトさん。皆様に会えて良かった」
ディアナの可憐な笑顔を受け、エリザベートもまた微笑んで返した。
「では」
「はっ。お気を付けて」
「閣下」
横を通り過ぎるアレクサンダーへと一声。
それからツルギは、振り向きざまに瞳孔を開いた。
首に。
胴に。
腕に。
足に。
頭に。
計五つ、見えない剣閃を浴びせる。
アレクサンダーは微動だにせず、その全てを斬り落としてみせたが。
「いつぞやの仕返しというわけか」
「ただの戯れです」
あなたが立っている場所は、私にも立てる場所。
いつだってあなたを斬ることが出来ます。
いい度胸だ受けて立とう。
やれるものならやってみるといい。
二人の間で何が交わされたのかを知る者は無く、後にはアレクサンダーの愉快な笑いだけが残った。
後日彼の名義で各々に贈り物が届けられたことも含め、底知れないアレクサンダーの豪放磊落ぶりを思い知ることになったツルギであった。
二人がその場を去ってから、僅か数分で第二部隊がやって来た。
隊を率いるのはマリー=ラッツェル中佐。
帝都の守護者たる第二部隊の副隊長である。
「軍人が暴漢を制圧したと事前に連絡を受けていましたが、まさかミューラー大佐たちだったなんて」
「久しいなラッツェル中佐」
「はい! 人斬り令嬢さんも!」
「ごきげんようマリーさん」
ノクトはマリーに今しがた起きた事を話した。
「民間人に被害が無かったのは幸いですね。さすがミューラー大佐です」
「ああ、いや。それよりもあの暴漢だが」
「気を失っているので、ひとまず医局に搬送します。詳しいことは第三部隊の検分待ちになるかと思いますが」
「そうだな。客を含めた店の者たちにも簡単に話を聞いたが、男と面識がある者はいなかった」
「怨恨ではなく通り魔的な犯行ということですか」
「正気が無かったというのが気になる。もしかしたら」
「ドラッグを服用していた可能性があります」
ツルギは手の平の上の飴玉を見せて言った。
「一つ拝借しました」
「貴様勝手に」
「些細なことは置いておいてください。思い出したんです。昔貧民街でドラッグが流行ったことがありました。服用すると意識が酩酊するという、まあどこにでもあるようなものですが、花のような甘い香りが特徴だったはず。これはそれと同じ香りがします」
「……一応訊いておいてやるが、貴様自身使ったことは?」
「どちらと答えれば欲しい答えが返ってくると思いますか?」
笑うツルギにノクトは小さく鼻を鳴らし、手の平の飴玉を奪い取ると、それを近くにいた隊員に渡した。
「第三部隊に成分を解析するよう伝えろ」
「はっ!」
「ラッツェル中佐、後のことは任せる。何かわかったら報告を」
「了解しました。休暇中のご対応感謝します」
その後の対応を任せ、五人は店を後にした。
幸いにもアレクサンダーが早期に制圧を完了したため、人的物的含め被害は無く、第二部隊も早々に引き上げることになるだろう。
「何も無くて良かったけど、変なことに巻き込まれちゃいましたね。女子会どころじゃなくなったことですし、今日はこの辺りで解散しましょうか」
「そうだな。皆ご苦労だった」
「労われるほど私たちは何も出来ませんでしたけどね、アハハ……」
場を和ませようとヴィオレッタは苦笑を挟んだ。
「解散ということなら、私は先に失礼します。行きますよリゼさん」
「はい。皆さん、本日はありがとうございました」
「ああ、うん。二人ともお疲れ」
「また機会を見つけて食事でも行きましょう」
ツルギが後ろ髪を引かれた様子も無く踵を返し、エリザベートが会釈を残して後を追う。
オフィーリアとヴィオレッタも解散し、二人を見送った後、ノクトは雑踏に消えたツルギたちの方を見やった。
問題児二人、何かろくでもないことをしでかしそうという、根拠の無い確証を抱いて。
――――――――
「はーい飴ちゃんやよ〜。お兄さんお姉さんお爺ちゃんお婆ちゃん、みんな仲良く食べや」
十人。
二十人。
三十人。
すれ違う人全員に、ユーフェイは飴玉を渡した。
蠱惑的な色のそれを手にした者たちは、誘われるように口の中へと放った。
ころりと転がせば舌の上で蜜の如くとろけ、たちまち甘い多幸感に包まれる。
それはさながら天上から降った甘露であった。
「おいしい……」
「幸せの味だ……」
「もっと、もっと欲しい……」
忘我するほどに陶酔した彼らの表情を見て、ユーフェイは自分の頬を小さな両手で挟んだ。
「みんな幸せそうでウチも嬉しいわ」
幼さを宿した朗らかな笑み。
貧民街という日の当たらない街でなければ、花も恥じらう可憐なものであっただろう。
「趣味が悪イ…………ユーフェイ」
「はにゃ?」
「お客サンダ」
ジンウォンが見据えた路地の先を見やる。
すると、一人の女性を筆頭に大勢の人間が足並みを揃えて行進してきた。
路地の逆からも人の波。
ユーフェイたちを挟み込む形で足を止めた。
「オレたちの街で、何好き勝手なことしてやがる。桜花会の屑共」
「あらあら、屑言われてるでジンウォン」
「お前を指すのにこれ以上無い言葉ダ」
「こんなに清らかなウチが屑なわけないやろ。まあええか。出張ってくるのちょっと遅かったやん。な、DUST'」
ユーフェイは近くの空き箱に腰掛けると、取り出した棒付き飴の包みを剥がした。
「で? ウチらに何か用? お嬢ちゃん」
貧民街を取り仕切る裏組織、DUST'のボス、テレジア=ハルトマンを前に、桃色の髪の少女は舌の上で甘い蜜を転がした。




