エピローグ
「おはようございますノクトさん」
ノクトは朝一番、隊舎で目を丸くした。
「今日もいい天気ですね」
「あ、ああ……」
彼女が目にしたのは、晴れやかな表情で箒を掃いているツルギの姿。
あの遅刻常習犯が、あの稀代のサボり魔が、何度叱責しても咎めても飄々と受け流すだけの問題児が。
誰よりも早く勤務に当たり、率先して更衣室の掃除をしているなど。
ノクトは寝ぼけているのかと自分を疑い目を擦った。
「随分、早いな……。熱でもあるのか?」
「フフ、おかしなノクトさん」
「おかしなのは常に貴様だろう」
何も規律に違反していないからこそ、逆に不信感を募らせる。
皮肉な話だと制服に着替えるノクトに、ツルギは後ろ手を組んで近付いた。
「そういえばノクトさん」
「なんだ」
「私昨日誕生日だったんですよ」
「知っている。めでたいことだ」
「気が利かない上官は嫌われますよ?」
どうしろと言うんだ、とノクトは疲れたように息を吐いた。
「何か無いんですか? 可愛い部下にプレゼントとか」
「部下一人を特別扱いしたりしない」
「キスした仲なのにそんなつれないこと言わなくても。ああなんて思いやりのない。私はとても寂しいです」
「貴様はカウントしていない。するつもりもない」
「それはつまり、カウントしないから何度でもしていいということですか? ノクトさんってば欲しがりさんですね。いいですよ、はい。んー」
「黙れ」
唇をツンと尖らせ顔を近付けてくるツルギを躱す。
出来ることならロッカーに頭を叩きつけてやりたい気持ちを抑え、ノクトは上着に袖を通した。
「もう。ノクトさんは女心がわかっていませんね。こちらが唇を許しているのですから、遠慮なく貪ってくれればいいものを。リーベさんが言ってましたよ。据え膳食わない女は馬に蹴られて死んだ方がいいと」
「貴様に女心を説かれると無性に腹が立つ。まったく……気が向いたときにでも食事に連れて行ってやる。それで勘弁しろ」
「まあ優しい。そういう不器用なところが好きですよ、ノクトさん。お肉料理がおいしいところでお願いしますね」
「私も相手が貴様でなかったら、もう少し素直な好意を向けられただろうよ。それで?」
「はい?」
「どういう風の吹き回しだ? 一番乗りで起床し清掃など。余程良いことがあったように見えるな」
ツルギはクスッと口角を上げた。
「秘密です」
さしたる興味も無かったが、ノクトはそのおざなりな態度に苛立ちを覚えた。
「もう二度と訊かない」
「そんなにむくれなくても、その時が来たらちゃんと教えてあげますよ」
「いい。どうでも。貴様なんかにかまける時間が惜しい」
「子どもなんですから。待ってくださいよノクトさん。ノクトさんてば」
さながら姉の後をついていく妹の如く。
だが、二人は知らない。
何気無い日常の裏で、または日の当たらない魔導帝国ならぬ街の片隅で。
また新たな火種が生まれようとしていることを。
――――――――
帝都の上に浮かぶ月を、その少女は憂いた瞳で見上げていた。
手を伸ばせども届くはずはなく、願えども煌々と輝く黄金に眩みそうになる。
そんな折、部屋の扉が叩かれた。
「どうぞ」
「よおディアナ。気分はどうだ?」
「お兄様……。何のご用でしょう。こんな夜遅く」
「なに、兄として激励に来てやったんだよ。よかったな嫁ぎ先が見つかって」
第一皇子マテウスのにやりとした口振りに、第一皇女ディアナはそっと視線をマテウスから外し、再び窓の外へと向けた。
「まさか四獣皇朝の皇子に見初められるなんてな。余程の物好きらしい。少なくともあの化け物とはこれでしっかりと線引きが出来たわけだ。役立たずかどうかのな」
マテウスは粗野な態度でソファーに腰を下ろした。
「愛想がいいわけでも何かに秀でているわけでもないお前が、魔導帝国に並ばんとする大国に嫁ぐことになるとは。数奇だな人生とは。まあ、あの化け物に比べれば幾分かマシだろうが」
「腹違いといえど仮にも私たちの妹です。エリザベートに酷いことを言うのはおやめください」
「あれを妹など思ったことはない。あんな異常者が皇家に名を連ねているというだけで虫唾が走る。父上もさっさと奴を皇籍から外してしまえばよいのだ。度し難い親馬鹿者で困る。おいディアナ」
「何でしょう?」
「お前は間違ってもあんな化け物は産んでくれるなよ? それならまだ石女の方がマシだ。これだから市井の血が混じるのは。ディアナ、お前くらいは皇家の女としてまともに責務を果たせよ。四獣皇朝と同盟を結べば、魔導帝国の繁栄は約束されたも同然。せいぜい気に入られろ」
ディアナは自分が政治の駒だと理解している。
それが皇女のしての役割であることを。
同時に嘆き、恥じた。
皇女でありながら、一人の女性として夢見てしまうことを。
血に囚われた運命が斬り拓かれる時を。
――――――――
「〜♪」
薄暗い街に澄んだ口笛が響く。
異国情緒溢れる上等な身なりに包まれたその口笛の主は、隣を歩くもう一人の人物に、上機嫌に不機嫌を訴えた。
「汚くて臭くて澱んでて。おまけに陰気で本当に最低な街やね〜相変わらず」
一歩歩けば靴の裏に垢がへばりつくようなゴミ溜めの道。
光もろくに届かない街を仰いで、クルクルとステップを踏んだ。
「大国魔導帝国も、裏の部分はウチらの国とそんな変わらんなぁ」
「貧しさは富の、飢餓は飽食の象徴ダ。光を誇示するために必要な闇があるのは当然ダロウ」
「何ていうか、見てて思ってまうんやってな。こんなにつらいのに、生きてて可哀想やわって」
懐から取り出した棒付き飴を口にし微笑む。
「お前ハ」
言いかけた時、路地の角から裸足の少年が飛び出してきた。
「お、おいお前たち! た、食べ物を出せ!」
手にしたナイフの切っ先が震える。
また、それを皮切りに背後からも複数の子どもたちが姿を現した。
皆手には鉄パイプであったり棒切れであったりを握っている。
「無いならお金でもいい! その服も……ぜ、全部置いてけ!」
血走った目。
震える手。
ギュルル……と腹の音がはっきり耳に届く。
この街……貧民街は無秩序だが無法ではない。
街の全員が家族という、貧民街を取り仕切る組織の定めた家訓により治安は成り立っていると言って差し支えないが、それはあくまで大人が決めた話。
飢え渇いた子どもに耐え忍べと言っても、そう簡単にはいかない。
自分たちとは違う身なりの者が、観光気分で街を歩いていれば、目をつけられるのは必然と言えた。
「子どもがこんなことをしてまうくらいお腹すかせて……可哀想になぁ!」
「おいユーフェイ」
「いいやろべつに! 子どもらが困ってんねん!」
少年の前にしゃがみ微笑み、懐から包み紙を取り出した。
「飴ちゃんあげるな。こんなんしかないけど、皆で仲良く食べや」
手を握って巾着袋を渡す。
少年は困惑の後、受け取ったそれを持って仲間の元へと駆けていった。
子どもたちは中身の色とりどりの飴玉を見て大興奮。
騒ぎながら路地の奥へと去った。
「達者でなぁ」
「金にならんことヲ」
「まあまあ。情けは人の為ならずってやつやって。ほっとけんのやってなぁ。困ってる人見ると」
「偽善ダナ」
「厳しいなぁジンウォンは。昔から言うやん? 死は救済って。まあ、あの子らが甘い夢の中で死ねるかは知らんけど。さ、行こか。いい感じに遊ぼうや」
ケラケラ笑いながら、薄い桃色の髪の少女は、浅黒い肌の青年と共に闇に姿を溶かした。
後日、貧民街の一角で子ども数人の変死体が見つかった。
全員が引き攣ったように笑う、そんな異様な姿であった。




