第九十五話 トロフィー
Jr.が目を覚ましたのは、次の日の昼だった。
窓の外はもう明るい。
いつもなら朝6時には起きてガレージに向かっているが、今日は身体が鉛みたいに重かった。
「…寝すぎた」
掠れた声で呟いて、Jr.はゆっくり体を起こす。
全身がだるい。
筋肉が重い。
目の奥も少し熱い。
1万kmを走った、その事実が今さら身体に戻ってきているみたいだった。
ベッドの横の机を見る。
そこには、2位のトロフィーが置かれていた。
昨日持ち帰ったもの。
その横に黄色い襷。
Aster Crownのメンバーが寄せ書きしてくれた、Jr.カラーの襷。
さらにその隣には、ロッキーがくれたグレイの写真があった。
tiny ride model Gの横で、なぜか胸を張っているグレイ。
疲れた時に見て、と言われた写真。
Jr.はしばらくそれらを眺めていた。
トロフィーは、ラウンジに置くべきだと思った。
wildfoxとして出たが、Aster Crownとしての結果でもある。
ポポと走った結果でもある。
みんなに見てもらってもいい。
けれど、襷とグレイの写真は。
「…ガレージだな」
Jr.は小さく言った。
ラウンジに飾るには気恥ずかしい。
自分の場所、そこに飾るのがたぶん一番しっくりきた。
少し迷ってから、Jr.はトロフィーを持ち上げた。
重い。
「…やっぱ2位でも重ぇな」
昨日より少しだけそう感じた。
ーーーーーーーーーー
ラウンジへ向かうと、いつもより少し静かだった。
昼だからかみんなそれぞれ動いているらしい。
けれど、壁の一角を見てJr.は足を止めた。
「…何だこれ」
そこには、JMCの表彰状と昨日撮った集合写真が貼られていた。
黄色い襷をかけ、2位のトロフィーを持って真ん中に立っているJr.。
写真の中の自分は明らかに笑ってはいない。
でも、自分にしてはずいぶんマシな顔をしていた。
その下に、小さなものが置かれている。
Jr.は近づいて、眉を寄せた。
木を削って塗装されたMaverickのミニチュアだーーたぶん。
黒と黄色の車体。
大きめのタイヤ。
前にちょこんとwildfoxのマークらしきもの。
ただ、形は少し歪んでいるし、左右のバランスも怪しい。
手作り感がすごい。
「…不格好すぎんだろ」
そう言いながら、Jr.は笑ってしまった。
そういえばロッキーから写真送られてきてたな、と思い出す。
ガタガタのMaverick。
けれど、妙に一生懸命作ったのが分かる。
Jr.は手に持っていた2位のトロフィーをその後ろに置いた。
表彰状。
集合写真。
不格好なMaverick。
2位のトロフィー。
並べてみると、思ったより悪くなかった。
「…まあまあだな」
誰もいないラウンジで、Jr.は小さく呟いた。
その時、ガレージの方から物音がした。
工具の音ではない。
もっと軽い、布が擦れるような音。
「…車はじいちゃんのガレージを指定してたはずだぞ」
Maverickは代理運送に預けていて、普段は使用していないパパウェルにある祖父のガレージの方へ運ぶよう依頼していた。
そもそもまだ時間ではない。
「ポポか?」
そう思いながら、Jr.は襷とグレイの写真を持ってガレージへ向かった。
ーーーーーーーーーー
ガレージに入ると、そこにいたのはポポではなくロッキーだった。
グレイを近くのクッションに座らせて、tiny ride model G 2号機を丁寧に磨いている。
布でゆっくり、青い車体を撫でるように。
「…何してんだお前」
Jr.が声をかけると、ロッキーがぱっと顔を上げた。
「あ、Jr.!起きたんだ」
「昼だぞ」
「いっぱい寝たね」
「1万km走ったんだよ」
「うん、お疲れ様」
Jr.は近づき、tiny rideを見る。
「で、何してんだよ」
「磨いてるの」
「見りゃ分かる、乗らねぇのか」
「まだターニャさんの許可出てないから、乗れないんだよね」
ロッキーは少し残念そうに笑う。
「だから、磨いてる」
Jr.は呆れたように眉を上げる。
「ひまなのか?」
「ひまじゃないよ〜、もう走れるし、動けるし、依頼もやってるんだよ」
「なら何で昼間からバイク磨いてんだよ」
「今日はターニャさんにOKもらえる依頼がなかったんだ」
「厳しいな」
「それにさ、Jr.のレース見てたら乗りたくなっちゃって。でも乗れないし、乗れないならせめて綺麗にしようと思って」
ロッキーは真面目な顔で言った。
Jr.は少し黙る。
tiny ride model G 2号機。
壊された1号機のあと、Jr.が作り直したもの。
ロッキーとグレイのためにもう一度作ったもの。
それをこうして大事そうに磨かれるのは、悪い気はしなかった。
「…変なやつ」
「褒めてる?」
「褒めてねぇ」
「そっか」
ロッキーは笑って、また布を動かす。
グレイがクッションの上で「わふ」と鳴いた。
「グレイも乗りたいって」
「まだダメだ」
「Jr.までターニャさんみたいなこと言う」
「許可出てねぇならダメだろ」
「うん、だから磨いてる」
「…まあ、それならいい」
Jr.はガレージのデスク近くへ歩いた。
いつも工具や設計図を置いている場所。
壁には、古いパーツのメモやwildfoxの試作図、Maverickの初期ラフが貼られている。
Jr.はそこへ、黄色い襷をピンで留めた。
その横へグレイの写真も貼る。
ロッキーが布を持ったまま目を瞬かせた。
「そこに貼るの?」
「あぁ」
「ラウンジじゃなくて?」
「トロフィーはラウンジに置いた」
「襷と写真は?」
「ここ」
「なんで?」
Jr.は少しだけ言葉に詰まった。
別に理由を説明するつもりはなかった。
でも、ロッキーは本当に不思議そうに見ている。
「…こっちの方が見るだろ」
「Jr.が?」
「俺のガレージだぞ」
「そっか」
ロッキーは嬉しそうに笑った。
「グレイ、ガレージに飾られたよ」
「わふ!」
グレイがなぜか得意げに胸を張る。
「ロッキー」
「ん?」
「あのミニチュア、お前だろ」
ロッキーが少しだけ固まった。
「…見た?」
「見た」
「不恰好だった?」
「あぁ」
「やっぱり」
ロッキーが少ししょんぼりする。
Jr.はすぐに言った。
「でも、分かった」
「え?」
「Maverickだって分かった」
ロッキーの顔がぱっと明るくなる。
「ほんと?」
「あぁ」
「よかった!タイヤの形が難しくて」
「そりゃ難しいだろ、あれは素人が適当に作れる形じゃねぇ」
「でもさ、Jr.が持って帰ってくるトロフィーの横に置いたら可愛いかなって」
ロッキーは何でもないことみたいに言った。
Jr.は言葉を失う。
「…可愛いはいらねぇ」
「かっこいい?」
「ま、それならいい」
「じゃあ、かっこいいMaverick」
「不恰好だけどな」
「ひどい」
ロッキーは笑った。
Jr.も少しだけ笑う。
「Jr.」
「なんだ」
「JMCお疲れ様」
「…ありがとよ」
「次は勝てるよ」
ロッキーが言った、いつものようにまっすぐ。
根拠があるのかないのか分からない言い方だった。
でも、不思議と嫌ではなかった。
「当たり前だろ」
Jr.は壁の襷を見上げる。
「次は優勝だ」
「うん」
「Maverickももっと速くする」
「楽しみだね」
Jr.はガレージのデスクに腰を下ろし、壁に貼った襷と写真をもう一度見た。
悔しさはまだある。
たぶん、しばらく消えない。
けれど、その悔しさはもう昨日の夜みたいに胸を潰すものではなかった。
次へ向かうための熱になっていた。
Jr.は小さく息を吐く。
「…さて」
机の上の設計図を引き寄せる。
ロッキーが顔を上げた。
「もう仕事するの?」
「当たり前だ、俺は社長だからな」
「ゆっくりしていいのに」
「性に合わねぇ」
「そろそろお昼ご飯の時間だよ。食べないの?」
「…食べる」
「わかった。作ってくるね」
ちょっと迷ってJr.はすぐ言葉にした。
「…ありがとう」
12歳の社長は、以前よりちょっとだけ素直になったのかもしれない。




