第九十三話 JMC⑦
DAY 14 / 800km
DAY 14、区間距離は800km。
JMCは、残り2日になっていた。
朝の補給エリアに並ぶマシンは、どれも傷だらけだった。
塗装は剥げ、フレームには修理跡が残り、タイヤは何度も交換されている。
Maverickも同じだった。
けれどJr.は、その傷を見るたびに少しだけ胸を張れるようになっていた。
壊れかけた。
立て直した。
それでもここまで来た。
「今日、詰める」
Jr.が言った。
ポポは地図を確認しながら頷く。
「でも、明日が最後ネ」
「分かってる」
「今日で全部使い切らない」
「分かってるって」
その返事は、もう尖っていなかった。
焦りはある。
勝ちたい気持ちもある。
でも、DAY 7の時のように視界が狭くなってはいない。
スタート。
Maverickは湿った森沿いの道へ入った。
今までの乾いた荒野とは違い、地面がわずかに滑る。
「最初は抑える」
Jr.が自分から言った。
「いいネ」
「だから言うな」
第1チェックポイントを通過した。
中盤に入ると、道は乾いた斜面へ変わる。
そこからJr.はペースを上げた。
無理に跳ねさせない。
曲がりの出口で伸ばす。
Maverickの軽さを使い、ラインで差を作る。
前方に何台かの車体が見えた。
フランキーの黒いマシンも、その中にいる。
「前、固まってるネ」
「見えてる」
「後ろも来てる」
「それも見えてる」
「どうする?」
Jr.は小さく笑った。
「攻めながら守る」
「難しいネ」
「やる」
第2チェックポイントを通過した。
尾根沿いの細い道に入ると、Maverickの車体が細かく揺れた。
右に寄れば崖。
左に寄れば岩壁。
ここで無理に踏めば、終わる。
Jr.は息を止めるようにしてハンドルを切った。
ポポの声を聞き、Maverickの音を聞き、自分の熱を握りしめる。
第3チェックポイントを通過した。
終盤、長い下り。
ここでJr.は仕掛けた。
Maverickが低く唸る。
タイヤが地面を掴む。
傷だらけの車体が、まだ走れると叫ぶように前へ出る。
「Jr.、残り少ないヨ」
「分かってる」
「無理しすぎない」
「しない」
Jr.は前を見たまま答えた。
「でも、置いていかれもしねぇ」
最後まで踏み切った。
ゴールエリアに入る頃には、Jr.の手は汗で湿っていた。
それでも、走り切った手応えはあった。
Maverickが止まる。
Jr.はヘルメットを外し、大きく息を吐いた。
「…悪くない」
ポポも笑う。
「うん。いい走りだったヨ」
Jr.はMaverickのボンネットに手を置いた。
「明日で最後だ」
小さく言う。
「あと500km」
ーーーーーーーーーー
翌朝6時。
公式モニターにDAY 14の結果が表示された。
JMC DAY 14 / 800km
1位 North Barrel 12pt
2位 Jr. & Popo / wildfox 10pt
3位 Frankie / Pegasus 8pt
4位 Grenard Works 7pt
5位 Scarlet Gear 6pt
続いて、区間ポイント累計が映る。
Jr.はモニターを見上げたまま、しばらく黙っていた。
「明日は取る」
「うん」
「最後だからな」
Jr.はMaverickを見た。
傷だらけの相棒が、朝日に照らされている。
「行くぞ、Maverick」
DAY 15 / 500km
最終日、DAY 15。
区間距離は500km。
目的地はチェスナット王国西端、アルテア。
10000kmの終着点。
スタート前の補給エリアは、これまでで1番静かだった。
騒がしいはずなのに、どこか音が遠い。
工具の音も、記者の声も、観客のざわめきも、全部が薄い膜の向こうにあるようだった。
Jr.はMaverickの横で、荷物の中から黄色い襷を取り出した。
Aster Crownのみんなの言葉。
グレイの肉球スタンプ。
少しだけ擦れた布。
Jr.はそれをじっと見つめたあと、レーシングスーツの上から肩にかけた。
ポポが少しだけ目を細める。
「かけるんだ」
「今日くらいな」
「似合うヨ」
「うるせぇ」
Jr.は襷の端を握る。
胸の奥に、いろんな声があった。
父の声。
祖父の声。
ロッキーの声。
Aster Crownのみんなの声。
ポポの声。
全部を振り払うのではなく、全部を持ったまま走る。
「最後まで走る」
Jr.が言った。
「勝ちに行く。そして最後まで走る」
ポポは頷いた。
「それでいいネ」
Jr.は乗り込む直前、襷を丁寧に畳み、Maverickの内側に固定した。
「見てろよ」
誰に向けた言葉か、自分でも分からなかった。
でも、確かにそう言った。
スタート、Maverickが飛び出した。
序盤は硬い石の道。
小さな起伏が続くが、速度は出せる。
Jr.は迷わなかった。
ただし、乱れない。
焦らない。
第1チェックポイントを通過した。
中盤、道は古い街道へ入る。
割れた石畳。
片側は低い崖。
反対側には乾いた草原。
「右、荒れてる」
ポポが言う。
「左で抜ける」
「その先、短い直線」
「そこで伸ばす」
「いいネ」
Maverickが伸びる。
Jr.は前を見る。
今、誰がどこにいるかは分からない。
フランキーのタイムも、他の奴らのタイムも分からない。
けれど関係ない。
今日、自分たちができる最高の走りをするだけだった。
第2チェックポイントを通過した。
終盤、アルテアへ続く長い下りが見えた。
遠くに街がある。
白い城壁。
旗。
観客席。
ゴールゲート。
10000kmの終わり。
「見えたネ」
ポポが静かに言う。
「あぁ」
Jr.の手に力が入る。
「ポポ」
「何?」
「ここまで付き合ってくれて、ありがとな」
ポポは少しだけ驚いた顔をした。
そして、すぐに笑った。
「まだ終わってないヨ」
「分かってる」
「お礼はゴールしてからネ」
「じゃあ、行くぞ」
「うん」
第3チェックポイントを通過した。
残りわずか。
Jr.はアクセルを踏み込んだ。
風が叩きつける。
車体が震える。
それでも怖くなかった。
いや、怖さはある。
でもその怖さごと前へ進めた。
「Maverick!」
Jr.が叫ぶ。
「最後だ!」
ゴールゲートが迫る。
歓声が音の塊になって押し寄せる。
Jr.は前だけを見ていた。
そして、Maverickはアルテアのゴールラインを越えた。
10000km、走り切った。
ーーーーーーーーーー
ゴール後。
Jr.はしばらく動けなかった。
ハンドルを握ったまま、息を切らしている。
ポポが隣で笑った。
「着いたネ」
「…あぁ」
「10000km、走ったヨ」
その言葉で、ようやくJr.はヘルメットを外した。
アルテアの風が顔に当たる。
「走った」
小さく呟く。
「最後まで」
Maverickのボンネットに手を置く。
「…ありがとな」
それは、Maverickに向けた言葉だった。
少しして、他のチームも続々とゴールエリアに戻ってくる。
フランキーもいた。
でも誰もまだ順位を知らない。
だから騒がない、騒げない。
ただ、完走した者だけが分かる疲労と熱がその場にあった。
フランキーが近づいてくる。
「走り切ったな、小さなレーサー」
「小さいは余計だ」
「最後まで来たじゃん」
「当たり前だろ」
Jr.はMaverickにもたれたまま言った。
「俺の車だぞ」
フランキーは笑った。
「結果、楽しみだな」
「…あぁ」
Jr.は空を見上げた。
結果は、明日の10時の閉会式。
そこでこの15日間の…1万kmの全てが決まる。




