第八十五話 JMC開幕
JMC開幕の日。
ジュニパー王国最南端の港町オキムムは、朝から異様な熱気に包まれていた。
海沿いに設けられた広大なスタートエリアには、各国から集まったマシンがずらりと並んでいる。
燃料式の四輪。
長距離走破用に改造された重厚な車体。
徹底的に軽量化された細身のマシン。
予備パーツを積んだサポート重視の車両。
古い型を職人技で改造したもの。
最新技術を詰め込んだもの。
そのすべてが、今日から始まる1万kmのためにここへ来ていた。
JMCーージュニパー王国の港町オキムムを出発し、荒野を抜け、マグノリア王国を越え、さらに西のチェスナット王国、その果てにある街アルテアを目指す長距離ラリー。
総距離1万km、開催は4年ぶり。
上空には撮影ドローン、会場には各国の記者。
配信画面には、開始前から膨大な数の視聴待機が並んでいた。
その一角に、wildfoxのマシンーーMaverickがあった。
黒と黄色を基調にした車体。
無駄を削ったフレーム。
荒野を走るための太いタイヤ。
フロントには大きなwildfoxのロゴ。
Jr.はその横に立っていた。
飛行帽にゴーグル。
12歳になりたての小柄な体。
けれど、マシンの前に立つ姿だけは誰よりも堂々としていた。
「Jr.選手、12歳でのドライバー参加ということで、今のお気持ちは?」
記者がマイクを向ける。
「別に」
「JMCは非常に過酷なレースです。不安はありませんか?」
「準備してきた」
「目標は完走ですか?それともーー」
「優勝」
Jr.は即答した。
記者が一瞬詰まる。
「優勝、ですか」
「それ以外に何があるんだよ」
それだけ言うと、Jr.はもうマイクの方を見なかった。
隣でポポが苦笑する。
「もう少し愛想よくしてもいいヨ」
「いらねぇ、レースで見せる」
「かっこいいネ」
「茶化すな」
ポポはサポート兼ナビとして、すでに装備を整えていた。
予備工具。
補給表。
地図データ。
チェックポイント一覧。
複数のルート候補。
決められた補給エリアへと荷物を搬送する、運搬係のザッカリーとのやりとりも完璧だ。
「任せたヨ」
「お任せください!きちんとお運びいたします!」
運搬係とは、複数のチームの荷物をまとめて補給エリアまで搬送する専門の業者だ。
JMCはただ速く走ればいいレースではない。
1日ごとに走行区間が決められており、各チームは朝7時から8時の間に時間差をつけて順にスタートする。
その日の区間は、開始から16時間以内にゴール地点へ到着しなければ失格。
また、日付を超えての到着も失格となる。
走行ルートは自由。
ただし、各区間には複数のチェックポイントが設定されている。
車体に取り付けられたGPSで通過が記録されるため、指定されたチェックポイントを通らずにゴールしても失格だ。
つまり、勝敗を分けるのはドライバーの腕だけではない。
地形を読む力。
天候の判断。
燃料管理。
マシンを壊さず走る技術。
そして、ナビのルート選択。
そのすべてが必要になる。
各日の区間順位は、翌朝7時に発表される。
1位12ポイント
2位10ポイント
3位8ポイント
4位7ポイント
5位6ポイント
6位5ポイント
7位4ポイント
8位3ポイント
9位2ポイント
10位1ポイント
さらに最終日、1万kmを走破した総合タイムにもボーナスポイントが加算される。
総合タイム
1位30ポイント
2位24ポイント
3位19ポイント
4位15ポイント
5位12ポイント
6位9ポイント
7位6ポイント
8位4ポイント
9位2ポイント
10位1ポイント
毎日の順位も大事。
けれど、無理をしすぎて後半に崩れれば総合タイムで大きく落ちる。
堅実すぎれば、区間ポイントを取り逃す。
攻めるか。
守るか。
どこで勝負をかけるか。
15日間のうち1日は完全休息日。
残る14日で1万kmを走る。
初日の区間は400km
JMC全体で見れば短い。
だが、ここで各チームの実力と方針が見える。
「初日からポイント取る」
Jr.はMaverickのボンネットに手を置いて言った。
「了解ネ」
ポポが頷く。
「最初から飛ばしすぎるなって言うなよ」
「言う前に言われたネ」
「お前が言いそうなことくらい分かる」
「仲良しネ」
「違ぇ」
その時、背後から聞き慣れた声が飛んできた。
「おーおー、随分ちっこいドライバーがいるじゃねぇか」
Jr.の眉が跳ねる。
振り返ると、Pegasusのフランキーが立っていた。
黒髪のウルフカット、毛先だけ白く抜けている。
ゴスメイクにピアス、チョーカー、革ジャン、革パンツ、ブーツ。
相変わらず、周囲の空気を自分のものにする女だった。
後ろにはDJとライリーもいる。
ライリーの肩には、白い小さなコットンが乗っていた。
「出たな、厄介女」
Jr.が言う。
「ライバルに挨拶してやろうと思ってさ」
「いらねぇ気遣いだな」
フランキーはMaverickを眺めにやりと笑う。
「悪くないじゃん。見た目だけはな」
「中身もお前のより上だ」
「言うねぇ」
フランキーが一歩近づく。
「初日からくたばんなよ、小さなレーサーくん」
「お前こそ派手に飛ばして砂地に足取られんなよ、Pegasusの看板が泣くぞ」
「泣くのはお前の方だろ」
2人の間で火花が散る。
その横で、ロッキーは完全に別方向を見ていた。
「コットン!」
ライリーの肩にいる白い生き物にロッキーが嬉しそうに手を振る。
「きゅっ」とコットンが小さく首を傾げた。
ライリーも控えめに手を上げる。
「…久しぶり」
「グレイも来てるよ」
「わふ!」
グレイはロッキーの足元で尻尾を振っている。
ライリーは少しだけ口元を緩めた。
「元気そう」
「うん!リハビリ頑張って見送りに来られるようになったんだ」
「…よかった」
フランキーとJr.がバチバチしている横で、ロッキーとライリーはほのぼのとコットンとグレイの話をしていた。
ポポはその様子を見て笑う。
「相変わらずネ」
DJがポポの横に来る。
「そっち、初日どう走るつもりっすか」
「秘密ネ」
「ですよね」
「そっちは?」
「初日は様子見のつもりなんすけど、フランキーは飛ばす気満々で」
「大変ネ」
「そっちもでしょ」
「そうネ」
2人は軽く笑った。
ーーーーーーーーーー
Aster Crownのメンバーも、スタートエリアの一角に集まっていた。
ロッキーはまだ完全復帰ではないが、見送りのために許可をもらってここまで来ていた。
近くには、長時間立たないよう椅子も用意されている。
「ロッキー、座る?」
隣に立つバイオレットが聞く。
「まだ大丈夫」
「無理しないで」
「ありがとう、優しいね」
「…別に」
Jr.がその様子を見て鼻を鳴らした。
「見送りに来た怪我人の方が管理されてんの何か変だな」
Jr.は面倒くさそうにしながらもAster Crownの面々を見た。
照れと緊張と嬉しさを全部隠そうとしている顔だった。
ロッキーはそれに気づいて、動く方の手を握る。
「Jr.」
「何だよ」
「見てるからね」
「…おう」
「MaverickもポポさんもJr.も」
「分かってる」
「応援してる」
「何回言うんだよ」
「何回でも言うよ」
Jr.は顔を逸らした。
「…うるせぇ」
でも、その声は嫌そうではなかった。
ーーーーーーーーーー
開会式の時間になった。
特設ステージの巨大モニターが光る。
そこに映し出されたのは金髪ポンパドールにサングラス、派手なジャケットの男。
Mr.Zだった。
「皆さん、お待たせしました!」
会場が一気に沸く。
「4年ぶりの開催!ジュニパー、マグノリア、チェスナットを駆け抜ける1万kmの狂気と栄光!」
Mr.Zが腕を広げる。
「JMC、いよいよ開幕です!」
歓声が最高潮になる。
ロッキーは嬉しそうにモニターを見る。
「Mr.Zだ」
「兄さん、相変わらず派手ね」
ターニャが呆れたように言う。
「でも司会うまいよね」
「それは認めるわ」
Mr.Zは軽快にルールを説明していく。
1日ごとの区間制。
16時間以内の到着義務。
チェックポイント通過。
区間順位ポイント。
最終総合タイムのボーナス。
「速さだけでは勝てません!」
Mr.Zの声が響く。
「マシンを壊さない技術!ルートを読む判断! 燃料管理!ナビとの連携!そして、最後まで走り切る意志!」
Jr.は黙って聞いていた。
楽しみ半分。
怖さ半分。
その両方が胸の奥で燃えている。
「初日の区間は400km!」
Mr.Zが叫ぶ。
「短い?えぇ、JMCにしては短い!しかし油断は禁物!今日の400kmで15日間の流れが決まると言っても過言ではありません!」
巨大モニターに初日のルート図が映る。
オキムムを出て、海沿いの街道を抜け、内陸の乾いた丘陵地帯へ。
途中に3つのチェックポイントがある。
「各チームは、7時より時間差で順にスタート!」
Mr.Zは笑う。
「では、選手たちに盛大な拍手を!」
会場中が拍手と歓声に包まれる。
ーーーーーーーーーー
スタート前。
Jr.はMaverickの運転席に乗り込む前にAster Crownの方を向いた。
ビアンカが言う。
「無事に帰ってきなさいよ」
「勝って帰ってくる」
ソロが短く言う。
「無茶はするな」
「勝つための無茶はする」
「そこが心配なんだよ」
ターニャは穏やかに、けれど真剣に言った。
「睡眠、食事、水分、ポポの言うことは聞くこと」
「内容による」
「聞くこと」
「…分かったよ」
バイオレットはJr.を見る。
「無事に走り切りなさい」
Jr.は少しだけ笑った。
「言われなくても」
ロッキーはグレイを抱き寄せる。
「Jr.」
「ん」
「頑張ってね、応援してる」
「…おぅ」
グレイが「わふ!」と鳴いた。
「グレイも頑張ってって」
「分かってる」
Jr.は少しだけ迷ってから、ポケットから小さな写真を取り出した。
ロッキーにもらった、グレイの写真。
それを運転席の内側、邪魔にならない位置に挟む。
「持ってくの?」
「…疲れた時に見ろって言ったのお前だろ」
ロッキーの顔が明るくなる。
「うん!」
ポポがサポート席に乗り込む。
「じゃ、行くヨ」
「足引っ張んなよ」
「任せるネ」
「だからそこは引っ張らないって言えって」
ポポは笑った。
Jr.はゴーグルを下ろし、ハンドルを握る。
黄色い襷は身につけない。
けれど丁寧に畳まれ、前の収納に入れてある。
Aster Crownのみんなの言葉とグレイの肉球。
それだけで少しだけ胸が落ち着いた。
Maverickがスタートラインに並ぶ。
少し離れたレーンには、Pegasusのフランキーのマシン。
フランキーが窓越しに笑った。
「初日から置いてくぜ、Jr.」
Jr.も笑う。
「追いつけると思うなよ」
シグナルが赤く光る。
会場の音が遠くなる。
Jr.は前を見る。
400km
JMC初日。
ここから1万km始まる。
赤
黄
青
スタート
Maverickが吠えた。
低いエンジン音とともに、黄色と黒の車体が飛び出す。
「行った!」
ロッキーが思わず声を上げる。
グレイも「わふっ!」と鳴いた。
ポポが振り返ることはなかった。
Jr.も手を振らなかった。
ただ、前を見て走っていく。
オキムムの港町を抜け、海風を背に受け、Maverickは第1チェックポイントへ向かう。
JMC初日、Aster Crownの小さなレーサーが、ついに1万kmへの一歩を踏み出した。




