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Aster Crown 〜100勝するのが面倒で100人乱戦に出たら優勝して、最強の仲間ができました〜  作者: 辛子高菜


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第八十話 ビクター



ギルドハウスのガレージには、夜になっても明かりがついていた。

組み上げ途中の四輪マシンが作業灯の下で鈍く光っている。

むき出しのフレーム、仮置きされた燃料タンク、並べられた工具。

Jr.は車体の下に潜り込み、無言でボルトを締めていた。

その横でポポが携行品の一覧を確認している。

その時、作業台の上に置かれた端末が震えた。

一度。

二度。

三度。

ポポがちらりと見る。


「通知、鳴ってるヨ」


「あー…」


Jr.は車体の下から出てこない。

また端末が震える。

ポポは少しだけ目を細めた。


「また、親父サン?」


「うん」


「帰ってこいって言われてる?」


「しつけーんだよなー、ほんと」


Jr.は工具を置き、ようやく車体の下から這い出した。

額には油汚れ。

手袋も黒く汚れている。

端末を取ると、画面には短いメッセージが並んでいた。



「今すぐ戻れ」

「レースなど認めない」

「エイプリル家の後継者としての自覚を持てビクター」



最後の名前を見た瞬間、Jr.の眉間に皺が寄った。


「…だから嫌なんだよ」


ポポは何も言わなかった。

Jr.は端末を伏せる。


「その名前、嫌いなんだよ」


ぽつりと落ちた声はいつもの軽い毒舌ではなかった。

もっと古い傷に触れたような声だった。




ーーーーーーーーーー




ビクター・C・エイプリル。


父はその名前を誇らしげに呼んだ。


「ビクター、お前は勝者となるのだ。そのためにこの名前をつけた」


幼いJr.にはその意味がよく分からなかった。

ただ、その名前を呼ばれるたびに父の期待が重く乗るのだけは分かった。

父は貿易会社を一代で築いた男だった。

そして祖父の工房を嫌っていた。

油にまみれ、汗をかき、古い機械を分解し、修理し、時には客に頭を下げる。

父はそれを、古臭くて、泥臭くて、格好悪い仕事だと言った。


「壊れたなら、新しいものを買えばいい」


それは、幼いJr.もよく言っていた言葉だった。

昔のJr.はわがままだった。

裕福な家庭に生まれ、欲しいと言えばなんでも与えられた。

おもちゃが壊れたり古くなれば捨てた。

そして新しいものを買う。

忙しい父は家におらず構ってくれない。

優しい母は病弱で入退院を繰り返していた。

Jr.のわがままで、シッターもコロコロ変わる。

だからJr.は、近所にある祖父の工房に遊びにいくことが多かった。

祖父は昔ながらのマシン職人だった。

修理と改造が中心。

時々、気まぐれのように自作のバイクを作る。

工房にはいつも油の匂いと鉄の音があった。


「じーちゃんさ、こんなふるいのなおしてどうすんだよ。あたらしいのかえばいいじゃん」


幼いJr.がそう言うと、祖父は決まってげんこつを落とした。


「馬鹿野郎、直るもんを捨てるんじゃねぇ」


「いてぇな!」


「痛くしたんだ」


Jr.はよく拗ねた。


「ビクター、危ないぞ」


「だから、ビクターってよぶな!そのなまえきらい!」


「…呼ぶなと言われてもなぁ…じゃあなんて呼べばいい?」


「…なんでもいい、ビクターじゃなきゃ」


「うーん…」


少し考えて祖父は言った。


「じゃあ、Jr.で良いか?俺にとってはクリストファーのJr.だからな」


「…なんかちょっとかっこわるいけど、それでいい」


「決まりだなJr.、工房では走り回るな」


「…わかった」


Jr.は母が好きだった。

入院してばかりの母だったが、たまに帰ってきた時にはJr.に本を読んでくれた。


「ママ、またにゅういんしちゃうの?」


「ごめんねビクター遊んであげられなくて」


「ううん、じいちゃんのとこ楽しいから平気だよ」


強がりだった。

本当は母ともっと遊びたかったし、父にだって構ってほしかった。

けれどその母も亡くなった。

6歳の時だった。

Jr.は家にいるのがさらに嫌になった。

お金で雇われた大人たち、坊ちゃまと呼んでくる大人たち。

祖父の工房にいる方が楽しかった。

祖父はJr.が工房にいても何も言わなかった。

そんなある日、母にもらった小さなオルゴールが壊れた。

寂しくなった時に何度も聴いた音。

母が笑って「ビクターにあげる」と言った小さな宝物。

それが鳴らなくなった。

Jr.がオルゴールを持って泣いていたら、それに気づいた祖父が「貸してみろ」と言った。

Jr.は渡したがらなかったが、祖父が「治せるかもしれない、じいちゃんに貸してくれ」と優しく言ったのを聞いてやっと渡した。

小さなネジを外し、歯車を取り出し、歪んだ部品を直す。

Jr.はその様子を、泣いて赤く腫れた目をこすりながら見ていた。

そして長い時間が経ってオルゴールはまた鳴った。

少し掠れた、でも確かな音。

Jr.はそれを聞いて声を上げて泣いた。

祖父は笑った。


「な、買い替えられねぇもんもあるだろ」


その日から、Jr.は祖父の仕事を見るようになった。

そんなJr.を見て祖父はただ、工具の名前を教えた。

ネジの締め方を教えた。

エンジンの音を聞かせた。

壊れたものを直す意味を教えた。

Jr.がガレージの壁にかかっている表彰状を見つけて眺めていると、祖父がやってきた。

祖父が「俺も昔は色んなレースに出たもんだ。足をやってからは出てないがの」と言うと、小さなJr.は「おれものる!」と言った。

祖父は「そうか」と笑いながらJr.の頭を撫でた。

そして、ミニバイクを作りJr.を乗せた。

Jr.は走った。

最初はうまくいかず何度も転んだが、立ち上がり小さな体で大人顔負けの走りをした。

最初は子供向けの遊びのレース。

次に大人も参加するようなマシンレース。

勝った。

何度も勝った。

けれどそれは、父が言う「勝者」になるためではなかった。

走るのが楽しかった。

機械が応えてくれるのが嬉しかった。

祖父が「いい走りだ」と笑うのが誇らしかった。

その頃、ポポとも出会った。

初めはただの大きな男だと思った。

よく食べ、よく笑い、やけに面倒見がよかった。


「小さいのに速いネ」


「ちいさいいうな」


「じゃあ、速いのに小さいネ」


「もっとわるいだろ!」


それが始まりだった。


9歳の時、祖父が亡くなった。

途端に工房は静かになった。

祖父の名前で来ていた仕事は少しずつ減っていった。

当然だった。

客たちは祖父を信用していたのであって、9歳の子どもに大事なバイクを預ける者などほとんどいない。

父からは何度も連絡が来た。

戻ってこい、そんな工房にいる意味はない。

エイプリル家の子としてきちんと生きろ。

だが、一度も迎えには来なかった。

Jr.は戻らなかった。

戻るくらいなら工房の床で寝る方がよかった。

レースで稼ぎ、修理の小さな仕事を拾い、なんとか暮らした。

ある日ふと思った、このまま本当にやっていけるのか。

祖父はいない、客も減った、父の元には戻りたくない。

でも、自分ひとりで生きるにはまだ何もかも足りなかった。

そんな時だった。

紫髪の女が工房へやってきた。

彼女が持ってきたのは1台のバイク。

Jr.は一目で分かった。

祖父の作ったバイクだ。

古いがいい車体だった。

祖父らしい、無駄がなくて乗り手を選ぶバイク。

だからJr.は少しだけ胸が痛んだ。


「じーさんなら死んだぜ、すまんな」


女は表情を変えなかった。


「バイクを見てほしいの、調子が悪くて」


「…修理させる気か?」


「表に営業中と書いてあった」


「書いてあるけどよ」


「ここの技術者はどこにいるの?」


「俺だが」


「じゃあ、見てほしい」


Jr.は言葉に詰まった。

9歳の子どもだと分かっても女は引かなかった。

不安そうにも、馬鹿にしたようにも見えなかった。

ただ、そこに技術者がいるなら任せる。

そういう顔だった。


「…後で文句言うなよ」


「直れば言わない」


Jr.は工具を取った。

音を聞く、振動を見る、燃料の流れを見る。

摩耗した部品を確認する。

原因は思ったより深い場所にあった。

祖父ならすぐに見つけただろう。

そう思うと悔しくて、Jr.は無言で手を動かした。

時間はかかった。

けれど、直した。

エンジンが息を吹き返した時、工房に低い音が戻った。

紫髪の女はしばらくその音を聞いていた。

そして言った。


「いい腕ね」


Jr.は返事ができなかった。

馬鹿にされなかった。

子ども扱いされなかった。

祖父の代わりではなく、自分の腕を見られた。

その言葉が、ずっと沈んでいた胸の奥を叩いた。


「…そのバイク」


Jr.は小さく言った。


「いいバイクだ」


「そう」


「亡くなったじーさんが作った」


「なら、より大事にするわ」


その女がバイオレットだった。

それが、Jr.とバイオレットの出会いだった。

その日から、Jr.は少しずつできることを仕事にした。

修理だけでは足りない。

改造もする、部品も売る、自分のマシンパーツを作る。

祖父の工房をそのまま残すのではなく自分の手で広げる。

そうして生まれたのが自分の会社wildfoxだった。

父が馬鹿にした仕事。

祖父が守ってきた仕事。

Jr.はそれで生きていくと決めた。




ーーーーーーーーーー




端末はまだ静かに光っていた。

父からの通知。

Jr.はそれを見下ろし、鼻で笑った。


「俺は別に、父さんの言う勝者になりたいわけじゃねぇ」


Jr.は車体へ視線を戻す。

まだ完成途中の四輪マシン。

JMCを走るための車。

1万kmを越えるための自分のマシン。


「自分の力を試してぇだけだ」


工具を握る。


「父さんが馬鹿にした、じーちゃんの仕事でな」


ポポが静かに笑った。


「いいネ」


「だろ」


「でも、寝不足の技術者はいい仕事できないヨ」


「うるせぇ」


「少し休むネ」


「今いいところなんだよ」


「それ、昨日も言ってたヨ」


Jr.は舌打ちした。

けれど、反論はしなかった。

ポポは温かい飲み物を作業台に置く。


「Jr.」


「何だよ」


「JMC、勝とうネ」


Jr.は少しだけ黙った。

それから、いつものように口を尖らせる。


「当たり前だろ」


ガレージに工具の音が戻る。


「見てろよ、じーさん」


その声は、ガレージの奥に静かに溶けた。




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