第七十三話 ミハイル
ギルドバトルから数日後。
ロッキーはようやくターニャから短時間の歩行許可をもらった。
「本当に少しだけよ」
「はい」
「治癒魔法は万能じゃないんだからね?まだ骨も折れてるし、血だって輸血したけどたくさん失ったし、打撲だって治ってないの!」
「はい」
「走らない」
「走りません」
「階段もだめ」
「はい」
「グレイを追いかけない」
「…はい」
「今、間があったわね」
「気をつけます」
右腕はまだ固定されたまま、全身の打撲も少し残っていて、歩くたびにあちこちが痛む。
それでもベッドから降りて自分の足で歩けるだけでロッキーは少し嬉しかった。
グレイも隣をゆっくり歩いている。
「グレイ、久しぶりのお散歩だね」
「わふ」
「でもゆっくりね。俺、今走れないから」
「わふっ」
グレイは分かっているのか、ロッキーの歩幅に合わせてとことこと歩く。
ギルドハウスの庭は穏やかだった。
芝生の上をゆっくり進み、ベンチに座って休む。
「ちょっと歩くだけで疲れるね…」
「わふ」
「でも、いい感じ」
ロッキーがグレイの頭を撫でていると、裏口の方から声がした。
「いやぁ、思ったより元気そうで安心したよ!」
聞き覚えのあるようなないような声。
ロッキーが顔を上げると、そこには金髪の男性が立っていた。
派手なシャツを着ていて、どこか妙に存在感がある。
その後ろには七三分けのピンク髪にスーツ姿の人物が控えていた。
タブレットを持ち、姿勢よく立っている。
「えっと…?」
ロッキーが首を傾げる。
すると、ギルドハウスの方からターニャが早足でやってきた。
「ちょっと!帰ってって言ってるじゃない、兄さん」
ロッキーは固まった。
「兄さん?」
男はにこにこと笑う。
「いいじゃないか、ちょっとくらい〜。怪我人の様子を見に来ただけだよ」
「兄さん」
ターニャの声が低くなる。
男は両手を上げた。
「分かった分かった。半分だけ取材」
「帰って」
ロッキーは2人を見比べる。
「えっと…ターニャさんのお兄さん?」
男はぱっと顔を明るくした。
「そう!私の名前はミハイル・ニコラエヴィチ・モロゾーヴァ。世間ではMr.Zって呼ばれてるね」
ロッキーの目が丸くなる。
「え」
数秒遅れて、声が裏返った。
「えっ!?Mr.Z!?お兄さん!?」
ターニャは額を押さえる。
「不本意ながら」
「ひどいな、ターニャ」
「事実よ」
ロッキーは口をぱくぱくさせる。
「Mr.Zって、ターニャさんのお兄さんなんですか!」
「そうだよ」
「ほんとに!?」
「ほんとに」
「えぇ…」
ロッキーは改めてミハイルの顔を見る。
いつもの映像で見るMr.Zは、金髪ポンパドールにサングラス、派手な服装の印象が強い。
今も派手なシャツを着ているが、髪を下ろしていてサングラスもないせいですぐには分からなかった。
「…でも、よく見たら目の辺りが似てるかも」
ミハイルが嬉しそうに身を乗り出す。
「おっ、分かるかい?」
「分からなくていいわ」
ターニャが即座に言う。
「冷たいこと言うなよ、俺はルーキー戦の時からロッキーのこと応援してるんだぜ?」
「えっ」
ロッキーはまた驚く。
「俺のことを?」
「もちろん、メレーはもちろんのことグレイとの配信も見てる。今回のギルドバトルもね」
ミハイルの声が少しだけ真面目になる。
「副将戦、よく立った」
ロッキーは照れたように目を伏せた。
「…負けちゃいましたけど」
「見ていた人間はみんな分かってるよ」
ミハイルは穏やかに言った。
「君は強い」
ロッキーの表情が少しだけ揺れる。
ターニャは何も言わなかった。
ミハイルはすぐに明るい声へ戻す。
「というわけで、記念に1枚どうだい?」
「記念?」
「もちろん取材用じゃない、個人的な記念だよ」
そう言ってウインクする。
後ろのスーツ姿の人物が一歩前に出る。
「AZ、準備を」
「はい」
七三分けのピンク髪の人物ーーAZがすっとカメラを構えた。
ロッキーは慌てる。
「え、俺包帯だらけですけど」
「それも歴史だよ」
「歴史…」
「あと、サインいる?」
「いります!」
即答だった。
ターニャが少し目を丸くする。
「ロッキー?」
ロッキーはぱっと顔を上げた。
「俺ファンなんです!著書も3冊とも読みました!」
ミハイルの顔が、ぱあっと明るくなった。
「おお!」
次の瞬間、彼はAZから3冊の本を受け取った。
あまりに自然な動きだった。
ロッキーが固まる。
「常に持ってるんですか?」
「当然」
ターニャがため息をつく。
「自分の著書を持ち歩かないで」
「いつサインを求められるか分からないだろう?」
「求められる前提なのが嫌」
ミハイルはさらさらと3冊すべてにサインを書いた。
1冊目には、
ロッキーへ
君の進む道に幸運を。
Mr.Z
2冊目には、
グレイへ
素敵な相棒をもつ君へ
末長い健康を。
Mr.Z
3冊目には、
Aster Crown副将へ
また立ち上がる君へ
Mr.Z
と書いてロッキーに渡した。
ロッキーは目を輝かせる。
「ありがとうございます…!」
「握手もする?」
「いいんですか!?」
「もちろん」
そう言って握手しようと思ったが手は埋まっていた。
そんな様子を見てターニャが本を受け取る。
「ありがとうございます」
「兄さん、怪我人をあまり興奮させないでよ」
「はは、わかってるよ」
そしてロッキーは動く方の手を差し出した。
ミハイルはしっかり握手する。
「無理せず治すんだよ」
「はい!」
「グレイもね」
「わふ!」
その瞬間を、AZが完璧な角度で撮影した。
「撮れました、確認お願いします」
「…さすがAZ、完璧だ」
「恐縮です」
ターニャは腕を組む。
「兄さん、写真はロッキーに確認してから使って」
「分かってるよ。今回は本当に個人的な記念だ」
「信用できない」
「妹が厳しい」
「日頃の行いよ」
ロッキーはサイン本を大事そうに抱え、グレイに見せていた。
「グレイにもサインくれたよ」
「わふ!」
「すごいねぇ」
ミハイルはその様子を見て、楽しそうに笑う。
「やっぱりいいね、ロッキーは」
ターニャが目を細める。
「兄さん」
「分かってる。今日はここまで」
「本当に?」
「本当に」
ミハイルはロッキーへ軽く手を振った。
「またちゃんと取材させてくれ。君が元気になってから」
「はい!」
「今度はグレイ特集もしたいね」
「グレイ特集!」
ロッキーの顔が輝く。
ターニャがため息をついた。
「…その話はまた後で」
「やったね、交渉成立だ」
「成立してない」
ミハイルは笑いながら、AZを連れて裏口の方へ戻っていく。
ターニャはその背中を見送りながらぼそっと言った。
「本当に勝手なんだから」
ロッキーはサイン本を抱えたまま、嬉しそうに言う。
「でも、優しいお兄さんですね」
ターニャは少しだけ黙った。
「…騒がしい兄よ」
「仲良しなんですね」
「どこを見てそう思ったの」
「なんとなく」
ターニャは呆れたように笑う。
「ロッキーらしいわね」
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その夜、Mr.Zが1枚の写真を投稿した。
添えられたのは、昼間撮ったツーショット。
ロッキーがサイン本を抱えて、ちょっと夢見心地な顔をしていて、隣でMr.Zが余裕の笑みを浮かべている。
文はいかにもMr.Zらしく軽くて、でも強かった。
《今話題のミラクルボーイに会ってきたze。取材は coming soon》




