第七十一話 敗者
Aster Crownの勝利に会場が沸いている頃、Nachtmusikの控え室は冷え切っていた。
誰も口を開かない。
先鋒のベンはソファに腰を沈め、唇を噛んでいる。
次鋒のガンターは腕を組んだまま、苛立たしげに床を睨んでいた。
中堅のミリアーナはフードを深く被り直し、壁際で黙っている。
副将のエルヴィンは腕の手当てを受けながら表情を変えなかった。
そして中央にディルベールが立っていた。
肩で息をしている。
顔にはまだバイオレットにつけられた傷が残っていた。
赤い瞳は怒りで濁っている。
「…何だよ、あれは!」
低い声だった。
誰も答えない。
「何だよ、あの負け方は!」
ディルベールが近くのテーブルを蹴った。
グラスが割れ床に水が散る。
「ベン、お前は先鋒で何をした?あんな新参ギルドの忍び崩れに押さえ込まれて、最後には見え見えのナイフまで止められた」
ベンが顔を歪める。
「…あいつが速すぎたんです」
「言い訳をするな」
ディルベールの声が鋭くなる。
「ミリア、お前もだ」
壁際のミリアーナが、わずかに顔を上げる。
「ポポ相手に正面から押し負けたならまだしも、何だあれは。そっと場外に置かれて負け?いい笑いものだ」
ミリアーナは何も言わなかった。
ただ、杖を握る指に力が入る。
「ガンター、エル、お前たちは勝った。だがそれが何だ?結果として僕の前に2勝2敗で回ってきた。お前たちがもっと上手くやっていれば、僕があんな女と戦う必要もなかった」
ガンターが眉を動かした。
「俺は勝った」
「勝ち方が足りないと言っている!」
ディルベールが怒鳴る。
「Aster Crownを叩き潰せと言っただろう!なのに何だあいつら!最後には勝者面でステージに立っていた。あの弱き者まで歓声を浴びていた!」
ロッキーの名を出した瞬間エルヴィンが少しだけ目を伏せた。
最後まで立ち上がろうとした黒髪の青年。
踏み砕いた腕、それでも負けを認めなかった目。
エルヴィンは口を開かなかった。
ディルベールはさらに苛立った。
「何だ、その顔は」
「…別に」
「まさか、あいつに感心でもしたのか?」
「そんなものしてない」
「なら黙っていろ」
その時、控え室の扉がノックされた。
Nachtmusikのスタッフが青ざめた顔で入ってくる。
「ディルベール様」
「何だ」
「マスターがお見えです」
室内の空気が一瞬で変わった。
ディルベールの表情から怒りとは別の色が浮かぶ。
「…父上が?」
「はい」
「父上たちは遠征のはずでは?」
「エルム帝国からの依頼は予定より早く完了したようで」
スタッフは言いにくそうに続ける。
「モーリス様だけでなく、ご兄弟の皆様もご一緒です」
ディルベールの喉が小さく動いた。
Nachtmusikの一軍。
マスター、モーリス・オリオンとその子どもたち。
彼らは数日前から、ギルドハウスのあるエルム帝国からの依頼で隣国の制圧任務に向かっていた。
留守を任されたのは、二軍であるディルベールたち。
だからこそディルベールはこの機に動いた。
バイオレットを取り込む。
Aster Crownを潰す。
自身の価値を示す。
そのはずだった。
扉が開いた。
最初に入ってきたのは長い白髪の女だった。
長女、ミレーユ・オリオン
赤い瞳が室内を冷たくなぞる。
続いて白髪の大男。
長兄、マルセル・オリオン。
かつてバイオレットに「嫁になれ」と迫り投げ飛ばされた男。
その後ろに次男マクシム、三男マリウス、そして末のメイビスが続く。
皆そろって白髪である。
最後にモーリス・オリオンが入ってきた。
Nachtmusikの当主でありマスター。
白い髪を後ろへ流し、赤い瞳には一切の熱がない。
ディルベールは反射的に姿勢を正した。
「父上」
モーリスは答えない。
部屋の中を見渡す。
負傷した選手。
荒れたテーブル。
敗北の空気。
そして最後にディルベールを見る。
「説明しろ」
短い一言。
それだけでディルベールの背筋が冷える。
「…Aster Crownとのギルドバトルに敗北しました」
「それは見れば分かる」
モーリスの声は静かだった。
「私が聞いているのはなぜ勝手にOfficial20の地位を賭けたのか、だ」
ディルベールは言葉に詰まる。
「それは…Aster Crownを潰し、バイオレット・チャイムズをーー」
「誰の許可で」
ディルベールの声が止まる。
マリウスが鼻で笑った。
「女に負けたのか。情けないな、ディル」
ディルベールは唇を噛む。
ミレーユは淡々と端末を見ていた。
「勝手に挑発動画を投稿。ギルドバトルを申請。Official20返上を条件に提示。敗北。ついでに素行の悪さを世界中に晒した」
メイビスがくすりと笑う。
「すごい、全部だめ」
「黙れ」
ディルベールが睨む。
その瞬間モーリスの視線が少し動いた。
それだけでディルベールは口を閉じる。
「留守を任せた」
モーリスが言う。
「それだけだ。お前たちに求めたのは余計なことをせず、Nachtmusikの名を保つことだった」
声に怒りはない。
だからこそ恐ろしかった。
「それすらできなかった」
「父上、ですがーー」
「無能は無能なりに役に立つと思っていたが」
モーリスは言葉を遮る。
「勘違いだったか」
控え室が凍る。
ディルベールの顔から血の気が引いた。
「父上…」
「お前だけではない」
モーリスの視線が、ベン、ガンター、ミリアーナ、エルヴィンへ向く。
「この5人全員だ」
ベンが顔を上げる。
「マスター、それは…」
「Nachtmusikから除名する」
あまりにも静かな宣告だった。
ガンターが立ち上がりかける。
「待ってくれ、俺たちはーー」
「私は待たない」
モーリスの声にガンターの動きが止まる。
「勝手に動き、勝手に賭け、勝手に負けた。しかも、負け方が悪い」
モーリスはディルベールを見る。
「お前たちはNachtmusikの強さではなく醜さを世界に見せた」
その言葉に、ディルベールの顔が歪む。
「俺は…Nachtmusikのために」
「違う」
モーリスは一歩近づく。
「お前は自分のために動いた」
赤い瞳がディルベールを見下ろす。
「バイオレット・チャイムズを手に入れれば、自分の価値を示せると思ったか」
「……」
「Aster Crownを潰せば、私に認められると思ったか」
ディルベールの拳が震える。
モーリスは冷たく言った。
「やはりお前は、どこまでいっても外れだったか」
その一言にディルベールの表情が崩れた。
怒りよりも先に、何か別のものが割れた顔だった。
「父上、僕は…」
「目の前から消えろ」
モーリスは言った。
「もう二度と、私の前に現れるな」
誰も何も言わなかった。
ディルベールはしばらくモーリスを見上げていた。
まるで言葉の意味が分からないように。
けれど、モーリスはもう彼を見ていなかった。
ミレーユがスタッフへ淡々と指示を出す。
「5名のギルド認証を停止してNachtmusik公式アカウントからも除外すること、協会への報告文は私が出すわ」
マクシムが肩をすくめる。
「Official20の件は?」
モーリスは短く答えた。
「全世界に配信したからには受け入れるしかないであろう。こちらからは動かず、今後の判断は評議会に委ねる」
ディルベールは顔を伏せて拳を握りしめる。
すべてが失敗だった。
敗北も。
挑発も。
ロッキーを晒したことも。
バイオレットを賭けたことも。
Official20を持ち出したことも。
全部。
モーリスは踵を返す。
その背に、ディルベールがかすれた声で言った。
「…僕は…Nachtmusikのために」
モーリスは振り返らなかった。
「Nachtmusikにお前はもういらない」
扉が閉まる。
控え室には5人だけが残された。
外ではまだAster Crownへの歓声が響いていた。
それは壁を越えて嫌でも聞こえてくる。
ディルベールはゆっくり膝をついた。
赤い瞳が、床に落ちたまま動かない。
Nachtmusikは試合に敗れた。
そしてディルベールたちは自分たちの居場所さえ失った。




