第六十二話 ギルドバトル④
ギルドバトル前日の夜。
訓練場にはもう誰もいなかった。
昼間まで響いていた剣の音も、足音も、Jr.の怒鳴り声もない。
ロッキーはひとり、木剣を握ったまま月明かりの下に立っていた。
明日、Nachtmusikと戦う。
全世界に見られる場所で自分は副将として出る。
その事実を考えると、胸の奥がまだ少しだけ冷たくなる。
「まだやってるの」
声がして振り返るとバイオレットが立っていた。
「……うん。でももう終わるところ」
「そう」
バイオレットは訓練場の端まで歩いてきて壁にもたれる。
ロッキーは木剣を下ろした。
少しの間、2人とも何も言わなかった。
夜風が通る。
ロッキーは迷ってから、ぽつりと言った。
「…ダンに聞いたんだけど」
「何を?」
「Nachtmusikが、昔からヴィオをしつこく勧誘してたって」
バイオレットは少しだけ目を伏せた。
「…そうね」
「メレーで優勝した時?」
「その頃から」
淡々とした声だった。
でも、ロッキーにはそれが、あまり話したくないことなのだと分かった。
「何度断っても来たわ」
「そんなに?」
「えぇ」
バイオレットは夜の向こうを見る。
「それだけじゃないけど」
ロッキーが顔を上げる。
「それだけじゃない?」
「Nachtmusikのマスター、モーリス・オリオン。その2番目の子どもで長男のマルセルがいるの」
「うん」
「そいつに、嫁になれと言われた」
ロッキーは一瞬言葉を失った。
「…嫁に?」
「えぇ」
バイオレットは表情を変えない。
「お前となら、強い子どもができるって」
「……」
ロッキーの顔が分かりやすく曇った。
怒りとも、困惑ともつかない顔。
「それ、すごく嫌だね」
「嫌だったわ」
「うん、ムカつく」
「投げ飛ばしたけど」
「……つよい」
思わず漏れたロッキーの声に、バイオレットは少しだけ目を瞬かせた。
それから、小さく息を吐く。
「当然でしょう」
「うん。さすがヴィオだ」
少しだけ、空気が緩んだ。
でもすぐに、バイオレットは静かな声に戻る。
「だから、あなたがメレーで優勝した時少し心配だった」
「俺が?」
「ルーキーでメレーを勝つ人間は、目立つ」
バイオレットはロッキーを見る。
「強い人間は勝手に値踏みされる。欲しがられる。利用できると思われる」
ロッキーは黙って聞いていた。
「私みたいにならないかと思った」
「…だから、誘ってくれたの?」
ロッキーが尋ねる。
バイオレットは少しだけ間を置いた。
「それだけじゃないわ」
「え?」
「あなたが…いい人間だったからよ」
ロッキーは目を丸くする。
「俺が?」
「えぇ」
バイオレットは当然のように言った。
「強いだけなら他にもいる。面白いだけならもっといる。でも、あなたは人を踏まない」
「……」
「勝っても誰かを見下さなかった。淡々と依頼をこなして、お肉を食べて。強いのにそれをひけらかすことはせずに楽しんでた。配信でお金をもらっても、まずグレイのことを考えた。バイクを壊された時も、自分よりグレイを心配した。そして今も私の話を聞いて怒ってくれてる」
ロッキーは少し恥ずかしそうに視線を落とした。
「それは…普通だよ」
「普通じゃないわ」
バイオレットの声は静かだった。
「少なくとも私が見てきた中では」
また沈黙が落ちた。
ロッキーは木剣を握る手に少しだけ力を込める。
明日負けたら、バイオレットはNachtmusikへ行く。
そう思うと、胸の奥が苦しくなる。
「…バイオレットがいなくなったら」
ぽろっと、声が落ちた。
バイオレットがロッキーを見る。
「俺は嫌だよ」
「……」
「もしギルドが変わっても、死ぬわけじゃないわ」
バイオレットはクールに答えた。
いつものように落ち着いた声で。
ロッキーもそれが事実だと分かっていた。
死ぬわけじゃない。
会えなくなると決まったわけでもない。
でもーー。
「でも、俺は嫌だ」
ロッキーは顔を上げた。
「Aster Crownのみんなで、これからも一緒にいたいよ」
バイオレットの目が、ほんの少し揺れる。
「ポポも、ビアンカも、ソロも、ターニャも、Jr.も、グレイも」
ロッキーは少しだけ息を吸ってそれから言った。
「ヴィオとも、一緒にいたい」
ロッキーはまっすぐ続ける。
「だって、大切な仲間だから」
恋の告白のような熱はなかった。
けれど、嘘も飾りもない言葉だった。
ただ、大事な仲間を失いたくない。
それだけがまっすぐそこにあった。
バイオレットはしばらく黙っていた。
やがて、静かに口を開く。
「…私も、Nachtmusikに行くつもりはない」
「うん」
「Aster Crownを離れるつもりもない」
ロッキーの表情が少しだけ明るくなる。
「じゃあ、勝たなきゃね」
「えぇ」
バイオレットは短く頷いた。
「あなたは副将、大将の私に繋ぐ人よ」
「うん」
「怖い?」
「怖い」
ロッキーは正直に答えた。
「でも、逃げたくない」
「なら十分よ」
バイオレットはロッキーの木剣を見る。
「繋ぐよ、ヴィオに」
「うん、信頼してるわ」
夜風が通る。
月明かりの中で、2人はしばらく並んで立っていた。
怖さが消えたわけではない。
でも、ロッキーの中にはもう逃げない理由があった。
Aster Crownのみんなでこれからも一緒にいるために。
そしてバイオレットは、隣に立つ黒髪の青年を見ながら、ほんの少しだけ目を細めた。
いい人間、そう思った自分の判断はやはり間違っていなかった。




