第五十五話 バイク⑩
tiny rideに乗り始めてしばらく経った。
最初はギルドハウス近くの平原。
次は川沿い。
その次は花畑。
少しずつ距離を伸ばし、少しずつ曲がり方や止まり方にも慣れていった。
グレイも今ではサイドカーの中でのんびり景色を眺めている。
Jr.からもようやく、
「そろそろ遠出もいいんじゃないか」
という言葉をもらえた。
その日の夜。
ラウンジでグレイを撫でながら、ロッキーはふと思い出したように顔を上げた。
「ヴィオ」
「何?」
端末を見ていたバイオレットが視線だけを向ける。
「そろそろ遠征しない?」
「…えっ」
バイオレットの手が止まった。
その反応にロッキーはきょとんとする。
「前約束したでしょ」
「……」
「tiny rideが完成したら、一緒に出かけるって」
グレイも膝の上で「わふ」と鳴いた。
バイオレットは少しだけ目を逸らす。
「…覚えてたのね」
「もちろん」
ロッキーは当たり前みたいに笑った。
「楽しみにしてたから」
ラウンジの奥でターニャとビアンカがが同時に顔を上げた。
ポポがにやりとする。
ソロも静かに頷いている。
Jr.は「また始まった」とでも言いたげに、ソファの背にもたれた。
ロッキーは続ける。
「ヴィオのおすすめがいいな」
「私の?」
「うん。ヴィオ、バイクでいろんな場所行ってるでしょ?」
「…そうね」
「俺はまだ近場しか知らないからさ、ヴィオが綺麗だと思う場所に行ってみたい」
バイオレットは黙った。
ロッキーは急かさない。
ただ、まっすぐに待っている。
その目が少し眩しかった。
「…明後日」
「明後日?」
「朝から空いてるなら」
ロッキーの顔がぱっと明るくなる。
「空いてる」
「じゃあ、行くわ」
「やった!」
グレイも嬉しそうにしっぽを振る。
「わふ!」
バイオレットは小さく息を吐いた。
「遠いわよ。途中で休憩するけど」
「うん」
「無理に速度を合わせようとしないこと」
「うん」
「グレイの様子を優先すること」
「もちろん」
「あと、よそ見しすぎない」
「…気をつける」
「そこは即答しなさい」
ロッキーは照れたように笑った。
ーーーーーーーーーー
ーー2日後の朝。
ギルドハウスのガレージ前には、2台のバイクが並んでいた。
バイオレットの愛車。
細身で線が鋭い、古い型の反重力バイク。
そして、ロッキーとグレイのtiny ride model G。
暗い青の車体にシルバーの差し色。
サイドカーにはヘルメットとゴーグルをつけたグレイが誇らしげに座っている。
「グレイ、かっこいいね」
「わふっ」
ロッキーもフルフェイスのヘルメットを抱え、どこかそわそわしていた。
バイオレットが横目で見る。
「緊張してる?」
「少し。でも楽しみの方が大きい」
「そう」
「ヴィオは?」
「慣れてる」
「そっか」
少しだけ沈黙が落ちる。
バイオレットはエンジンを入れた。
青白い光が車体の下で揺れる。
「行き先は渓谷」
「渓谷?」
「朝は霧が出る。昼前に光が差すと、崖全体が白く光って見える場所」
ロッキーの目が輝いた。
「すごそう」
「えぇ、綺麗よ」
バイオレットはヘルメットを被る。
「じゃあ、出発しましょう」
「うん!」
2台のバイクがゆっくり浮き上がる。
グレイが「わふ」と鳴いた。
ロッキーはサイドカーを確認し、バイオレットの後ろにつく。
ギルドハウスの前ではターニャとビアンカが見送っていた。
「行ってらっしゃい」
「写真忘れないでね」
Jr.は腕を組んで言う。
「ロッキー、無茶すんなよ」
「分かってる!」
バイオレットは軽く片手を上げた。
そして、走り出す。
街道へ。
朝の空気の中へ。
まだロッキーの知らない景色へ。
ーーーーーーーーーー
最初はゆっくりだった。
バイオレットはロッキーの速度に合わせてくれた。
急加速もしない。
難しい道も選ばない。
それなのに走り方は綺麗だった。
無駄がない。
曲がる時の体の傾け方。
減速のタイミング。
風の読み方。
ロッキーは後ろから見ながら思わず感心する。
「ヴィオ、やっぱりかっこいいなぁ」
しばらく走ると街の気配が遠のいた。
左右には草原が広がり、遠くに低い山並みが見える。
ロッキーは景色を見たい気持ちを必死に抑えながら前を向いた。
「よそ見しすぎない、よそ見しすぎない…」
前方のバイオレットがゆっくり停止して振り返る。
「休憩する?」
「大丈夫」
「グレイは?」
ロッキーはすぐにサイドカーを見る。
「グレイ、大丈夫?」
「わふっ」
「大丈夫そう」
「なら進むわ」
ーーーーーーーーーー
ーー昼前。
2人と1匹は渓谷に着いた。
白い岩肌が谷の両側に高くそびえている。
朝霧がまだ薄く残り、その向こうから光が差し込み始めていた。
やがて、太陽が雲の切れ間から顔を出す。
その瞬間。
白い崖が淡く光った。
まるで谷全体が、内側から輝いているようだった。
ロッキーはヘルメットを外し、息を呑む。
「…すごい」
グレイもサイドカーから身を乗り出す。
「わふ…」
バイオレットはバイクを停め静かにその景色を見ていた。
「ここ、好きなの」
「うん」
ロッキーはゆっくり頷く。
「分かる気がする」
「そう?」
「なんか、ヴィオっぽいもん」
バイオレットは少し目を見開いた。
それから、視線を逸らす。
「…変なこと言うのね」
「そうかな」
「そう」
けれど、嫌そうではなかった。
2人はしばらく、何も言わずに渓谷を眺めた。
グレイはロッキーの足元で、草の匂いを嗅いでいる。
風が通る。
白い光が揺れる。
「連れてきてくれてありがとう」
「…約束だったから」
「うん」
「でも」
バイオレットは少し間を置いた。
「あなたが覚えていると思ってなかった」
「忘れないよ」
ロッキーは当たり前みたいに言う。
「ヴィオとの約束だもん」
バイオレットは黙った。
横顔が、光に照らされる。
「…そう」
声は小さい。
でも、少しだけ嬉しそうだった。
ロッキーはグレイを抱き上げる。
「また来たいな」
「来ればいい」
「ヴィオも一緒に?」
バイオレットはロッキーを見た。
すぐには答えなかった。
けれど、やがて静かに頷く。
「…時間が合えば」
ロッキーはぱっと笑った。
「じゃあ、また約束」
グレイも「わふ」と鳴く。
バイオレットは困ったように目を伏せる。
「あなた、約束を増やすのが好きね」
「楽しみが増えるから」
その言葉にバイオレットは何も返さなかったが、少しだけ口元を緩めた。




