第四話 ルーキー
試合開始直後、ロックは真っ先にステージの淵まで下がった。
剣を抜き、腰を落とし、周囲を見る。
目の前には武器を構えたランカーたち。
背後には場外。
左右からも、すでに何人かが距離を詰めてきていた。
「おいおい、いきなり逃げ腰かよ!」
「ルーキーくん、怖くなったか?」
笑い声が飛ぶ。
しかし、ロックは返事をしなかった。
見ていたのは、相手の顔ではない。
足元、肩、腰、視線を見る。
対人格闘の経験は、ほとんどない。
けれど、魔獣とは幾度となく戦ってきた。
山では足場が安定している場所の方が少ない。
濡れた岩、苔むした倒木、崩れやすい斜面、落ち葉に隠れたぬかるみ。
一歩間違えれば、自分が落ちる。
だからロックは、戦う時にまず足場を見た。
相手がどこへ踏み込むのか。
どの足に体重が乗っているのか。
どこで滑り、どこで止まれなくなるのか。
山の魔獣は吠えてから襲ってくるとは限らない。
でも視線や筋肉の動きは嘘をつけない。
だからロックは、人間相手でも同じように見た。
最初に飛び込んできた男の剣を、ロックは正面から受けなかった。
半歩だけ横へずれる。
剣先が頬をかすめる。
「っ!」
男の勢いは止まらない。
ロックはその足首を軽く払う。
踏み込んだ足がほんの少し浮く。
男の重心が前へ流れバランスが崩れた。
その背中をロックが押すと、男は勢いのまま場外へ転がり落ちた。
「…へ?」
『23番、脱落!』
歓声というより、困惑が起きた。
「今の何だ?」
「受けずに流した?」
「いや、押しただけだろ」
1人を場外に落としても、ロックはもう次を見ていた。
近づいてきた2人目は槍を持っていた。
間合いが広く、突きも速い。
普通なら間合いに入らないように距離をとる。
けれど、ロックは後ろへ下がらず前へ入った。
魔獣の角は、先端が一番危ない。
でも懐に入れば、その角も届かない。
「なっ」
距離を一気に詰める。
槍の柄を左手で押さえ、体を左にひねる。
男の腕が伸びきったその瞬間、ロックは肩で相手の胸を押した。
山で大型の魔獣を避ける時は、力で止めてはいけない。
受け止めれば潰される。
流す。
逸らす。
相手の勢いを、相手自身の重さに変える。
槍使いは踏ん張れず、横から走ってきた別のランカーとぶつかった。
2人まとめて体勢を崩す。
ロックは剣の背で片方の足を打ち、転ばせた。
もう片方は転んだ相手につまずき、場外線まで滑る。
「え、ちょっ、待…」
残った方も、ロックは軽く蹴って場外に落とした。
『41番、脱落!』
『77番、脱落!』
Mr.Zの声が響く。
『おーっと、120番ロック選手!逃げているように見えて、着実に場外へ落としている!』
客席がざわついた。
Jr.が身を乗り出す。
「あいつ、対人慣れしてねぇな」
ポポが笑う。
「でも落とし方きれいネ」
黒髪の女が腕を組む。
「狩りみたいね。山暮らしかしら」
バイオレットは黙って見ていた。
ロックは相手を倒そうとしているのではない。
仕留める必要のない相手は、仕留めない。
距離を取り、足場を崩し、危険を外へ流す。
それは闘技場の戦いというより、山で生き残るための動きだった。
ーーーーーーーーーー
ロブが異変に気づいたのは、参加者が半分以下になった頃だった。
「…あいつ、まだ残ってたのか」
120番。
黒髪のルーキー。
最初はすぐに落ちると思っていた。
だから放っておいたのに、まだいる。
しかも、妙だった。
目立つ大技はない。
派手な魔法もない。
誰かを圧倒しているようにも見えない。
なのに、気づけば人数が減っている。
ロブは舌打ちした。
「俺が倒して…」
背後から迫った瞬間、ロックがこちらを見た。
目が合った。
その目は、怯えたルーキーのものではなかった。
山の中で、獣の気配を追っている目だった。
「…っ」
ロブは焦って剣を振り下ろす。
重い一撃。
受ければ腕ごと持っていかれる。
ロックはしゃがみ、ロブの横へ抜けた。
そして大腿部を肩で押した。
鍛えられた体がぐらりと傾く。
「このっ!」
ロブは踏ん張ろうとした。
だが、踏ん張る足の先に、もう床はない。
「そんな…」
なすすべもなく、ロブの体は場外へ落ちていった。
『ロブ選手、脱落!!』
会場がざわざわとしている。
『おーっとロブ選手!ここで敗れる!!』
Mr.Zの声が裏返る。
『相手は…なんと!120番!!』
客席がどよめく。
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その後もロックは動き続け、最後に残ったのはジェヌだけだった。
ジェヌは苛立った顔で剣を構える。
「ロブから金が貰えねぇなら、お前を倒すしかねぇな」
「え?」
ロックは首を傾げる。
「お金?」
「こっちの話だよ!!!」
ジェヌの足元に魔力が走る。
速い。
今までの相手とは違う。
ロックは一歩下がり、剣を低く構えた。
ジェヌが消えるように踏み込む。
速攻。
ロックの肩を狙った一撃だった。
ぎりぎりで避けるが、剣先が掠める。
服が裂け、血が滲んだ。
「っ…」
「終わりだ、ルーキー!」
連撃。
右。
左。
突き。
斬り上げ。
続く攻撃に、ロックはすぐ悟った。
受けきれない。
だから受けるのをやめた。
後ろへ逃げる。
横へ流れる。
膝を落として潜る。
山で大型魔獣に追われた時と同じ行動。
爪は受けない。
牙は受けない。
角は止めない。
どれだけ強い生き物でも、足場と呼吸が乱れれば隙が生まれる。
ロックはジェヌの足音を聞いた。
速い。
けれど、浅い。
踏み込みが軽い。
焦っている。
ロックはあえてステージの端まで下がった。
「っ、逃げ場はねぇぞ!」
ジェヌが踏み込む。
その瞬間、ロックは剣を捨てるように低く投げた。
「は?」
剣はジェヌの体を狙っていない。
足元。
ジェヌの踏み出す先に、剣が滑り込む。
足が剣の柄を踏む。
体勢が崩れた。
ほんの一瞬。
山では、獣が足を滑らせた瞬間を逃してはいけない。
ロックは前へ出た。
両手でジェヌの腕を掴み、背負うように体を入れる。
「うわっ…」
相手の勢いを殺さず、流す。
ジェヌの体が宙を舞った。
体が地面に叩きつけられる。
その瞬間、ジェヌの喉元にナイフを突きつける。
「っ…負けました」
沈黙。
そして――
『ジェヌ選手、脱落!!』
Mr.Zが叫ぶ。
『今月のメレー、勝ち残ったのは――』
大型モニターのすべてに、黒髪の青年の顔が映る。
息を切らし、傷だらけで、それでも変わらずキョロキョロしている。
『――120番!!ロック・レオンハート選手〜〜〜!!!!』
歓声で会場が揺れた。
ポポはぽかんとして、それから笑った。
「大番狂わせネ」
Jr.は端末を見つめたまま呟く。
「嘘だろ…」
「……」
バイオレットの視線の先にいる青年は、会場の歓声に応えるように、ぎこちなく手を振っていた。
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パパウェルの駅前は、いつものように騒がしかった。
人混み。
馬車。
魔導車。
ランカー。
観光客。
詐欺師。
ひったくり。
この街では珍しくもない。
だから、その声が聞こえた瞬間バイオレットは自然に動こうとしていた。
「泥棒!誰か捕まえて!」
視線の先で、男が走ってくる。
抱えているのは盗んだ皮袋。
進路上には黒髪の青年。
バイオレットは一歩踏み出した。
自分が止めるつもりだった。
けれど。
青年は避けなかった。
男がぶつかる直前、青年の手が相手の腕を取る。
力任せではない。
止めてもいない。
相手の勢いを、そのまま下へ流した。
男の体が浮き、石畳に叩きつけられる。
無駄がなかった。
綺麗というより自然だった。
考えてから動いたのではない。
体に染みついた動き。
バイオレットは足を止めた。
青年は取り押さえた男を見下ろし、なぜか困ったような顔をしている。
「…大丈夫ですか?」
その声に、バイオレットはわずかに眉を動かした。
自分投げた相手に最初にそれを言うのか。
警備隊が来る。
盗まれた皮袋が主の元へかえる。
周りの人間がほっと息を吐く。
青年は礼を言われて、照れくさそうに笑っていた。
バイオレットは青年を見た。
黒髪。
背負い袋。
古い剣。
山歩きに慣れた足運び。
生きるために覚えた動き。
「…強い」
小さく呟く。
青年はそんなことには気づかず、警備隊に何か聞かれて困ったように笑っている。
その姿は記憶に残った。
そして今日、メレーの参加者一覧に同じ黒髪の青年を見つけた時、バイオレットは迷わなかった。
投票番号 120番 ロック・レオンハート
賭け金 100,000x
Jr.が隣で呆れた声を出す。
あの動きがただの偶然でないなら…
あの子はきっと勝ち残るはずだ。




