第百八話 妹
ギルドハウスに戻る頃には外はすっかり暗くなっていた。
扉を開けると、ラウンジの灯りがじんわりと目に入る。
先に入ったグレイが奥へ走っていく。
「ただいまー」
ロッキーがそう言うとソファにいたポポが顔を上げた。
バイオレットは短く「戻った」とだけ言って壁際に立てかけてあった武器を所定の位置へ置く。
「おつかれネ」
ポポは軽く手を上げた。
「バイオレット、報酬は?」
「あとで分ける」
それだけ言ってバイオレットは相変わらずそっけない。
ロッキーは苦笑しながらグレイの報酬袋を開けた。
「はい、今日の分ね」
「わふっ」
「待て」
グレイはおやつの前でぴたりと座った。
尻尾だけが床をぱたぱた叩いている。
ロッキーは少しだけ笑ってから言う。
「…よし」
「わふ!」
グレイは嬉しそうに干し肉をくわえ、ラグの上で大事そうに食べ始めた。
ロッキーはその様子を見ながら、ポケットから折りたたんだチラシを取り出す。
白い紙に金の輪の中に星。
「今日さ、帰りに変な人たち見たんだよ」
バイオレットが先に答える。
「変じゃない、面倒な人たち」
「えー、そうかな」
ロッキーはチラシを広げた。
「星の環っていうんだって、食事配布とか相談会とかいろいろやってるみたいでさ」
ポポの手が机の上でほんの少しだけ止まる。
ロッキーはそれに気づかず、楽しそうに続けた。
「なんかいいよね〜、みんな笑顔にとか手を取り合ってとか平等な世界へって。宗教とか俺よく知らないけど優しくて平和そうだった」
そう言って隣を見る。
バイオレットは一切興味がなさそうに腕を組んだままだった。
「言葉が薄い」
「えー」
「薄いものほどよく広がる」
「わかるようなわかんないような…」
ロッキーは笑ってチラシをひらひらさせる。
「でも、勧誘してきた人もなんか親切そうだったよ。ノアって人で興味があるならいつでも連絡ください、伺います。だって」
その言葉のあとポポが低く言った。
「よくないネ」
ロッキーの手が止まる。
「…え?」
ポポはチラシを見た。
金の輪。
星。
笑顔。
平等。
祝福。
その全部を少し冷えた目で見ていた。
「よくないヨ」
声は静かだった。
いつもの軽さはそのままなのに温度だけが違った。
ロッキーは思わず首を傾げる。
「ポポ、知ってるの?」
ほんの少しの間。
ポポは答えなかった。
その代わり、視線をチラシから外して肩を竦めるみたいに笑う。
「帰りにそういうのに捕まるとろくなことないネ」
「え、そこ?」
「そこネ」
いつもの調子だった。
でも、さっきの一瞬だけ見えた顔がロッキーの胸に引っかかったまま残る。
ポポはそれだけ言って、手元の報酬袋を軽く持ち上げた。
「そんなことより今日も儲かったネ」
「お、すごい」
「仕事の後のお酒は最高だからネ」
「毎回言ってる」
「毎回最高だからヨ」
ポポはいつものように笑っていた。
大きな体に柔らかい口調。
どこか陽気で軽くて頼もしい。
けれどロッキーは、チラシを畳みながらさっきの「よくないネ」が妙に耳に残っていた。
その時、ポポの端末が鳴った。
「お」
画面を見た途端ポポの表情がぱっと明るくなる。
「アナからネ」
「アナ?」
「妹だヨ」
ポポは嬉しそうに端末をロッキーの方へ向けた。
そこには赤ちゃんの写真が映っていた。
小さな手、ふっくらした頬。
目を閉じて眠っている、生まれたばかりの赤ん坊。
「見て。可愛いでしょ」
「わぁ…!」
ロッキーは素直に顔を輝かせた。
「かわいい!妹さんの赤ちゃん?」
「そうヨ、次男のガエル。生まれたばかり」
ポポは誇らしげに胸を張る。
そのまま、次々と写真を見せてくる。
「これが妹のアナ・マリアヨ、25歳」
写真の中の女性はやわらかい笑顔をしていた。
優しそうで、でも芯のある目をしている。
「綺麗な人だ」
「でしょ、俺の妹だからネ」
ポポは本当に嬉しそうだった。
「こっちが長男のアルトゥール・ペドロ、6歳」
「ペドロ?」
「俺の名前から取ってくれたネ」
その言い方が少しだけ照れくさそうでロッキーはふっと笑う。
「妹さん、ポポのこと大好きなんだね」
「俺も大好きヨ」
ポポはさらっと返した。
「こっちが長女のララ、4歳ヨ。元気すぎてアナがいつも大変って言ってる」
花冠をかぶった小さな女の子が満面の笑みで写っている。
「かわいい」
「可愛いヨ。で、これがさっきのガエル。目を開けてるネ。ほら、目の形がアナに似てる」
「ほんとだ」
ロッキーは写真を見ながら、ラグの上で干し肉を食べているグレイの頭を撫でた。
「ポポって妹いたんだね、知らなかった」
「話したことなかったネ」
「他に家族はいるの?」
ポポは椅子にもたれ、ふっと目を細める。
「俺たち、親に捨てられてネ」
あまりにも自然に言うから、ロッキーは一瞬止まった。
「…え」
「俺が12歳、アナが5歳の時から2人で生きてきたヨ」
ポポは端末の写真を見つめている。
笑ってはいた。
けれど、家族自慢をしていた時の笑顔とは少し違う。
「…大変だったよね、ごめん知らずに聞いて」
「まぁ、いろいろネ。でも助けてくれる人がいてなんとか生きてこれたヨ。アナはいい子で賢くて強くて、小さいのに泣き言もあんまり言わなかったネ」
「……」
「大きくなってからは花屋で働いてた。花が好きでネ。似合うでしょ?」
「似合う」
「そこで今の旦那さんと出会った。代々医者をやってる家系の跡取り息子で、優しい男の人だヨ」
ポポは嬉しそうに続ける。
「それで7年前に結婚したヨ、最初聞いた時はそんな家の人がうちのアナを本当に大事にしてくれるのかって心配したけど、本当にいい人だった。家族もいい人そうヨ」
「よかったね」
「うん」
ポポは頷く。
「アナが幸せに暮らしてて俺は嬉しいヨ。子どもも3人目、すごいネ」
ロッキーは胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
ポポがこんなふうに誰かを自慢するのを見るのは、なんだか珍しい気がした。
「ポポ、いいお兄ちゃんだね」
「当然ネ」
ポポは笑った。
「俺はお兄ちゃんだから、妹を守るんだヨ」
その時、端末がもう一度鳴った。
ポポはまだ笑顔のまま画面を見る。
けれど次の瞬間、その笑みがほんの少しだけ止まったことにロッキーは気づいた。
さっき、街角で星の環のチラシを見た時と、少し似た止まり方だった。
「ポポ?」
ポポは画面を見つめたまま、数秒黙っていた。
そこにはアナからの短いメッセージがあった。
《お兄ちゃん、最近おかあさんの様子がおかしいの。一度会って話せる?》
ポポはすぐに端末を伏せる。
そして、いつもの笑顔に戻った。
「ちょっと行ってくるネ」
「今から?」
「うん、すぐ戻るヨ」
「何かあったの?」
「家族の用事ネ」
軽い口調だった。
「ポポ」
「大丈夫ヨ」
ポポは立ち上がり、上着を羽織る。
「ロッキーはグレイとご飯食べてるネ。今日の依頼、大変だったでしょ」
ポポはしゃがんで、グレイの頭を撫でた。
「グレイもいい子で待ってるネ」
「わふ」
「お肉食べすぎちゃダメヨ」
そう言って笑う。
いつものポポだった。
けれど、玄関へ向かう背中は少しだけ遠く見えた。
「…気をつけてね」
ポポは振り返ってにこっと笑う。
「大丈夫だヨ」
扉が閉まる。
しばらくして、ポポのバイクのエンジン音が聞こえた。
その音がだんだん遠ざかっていく。
ラウンジにはロッキーとグレイ、それからバイオレットだけが残った。




