85話
地面を滑るように這い、俺の膝をめがけて高速でタックルを仕掛けてくる。膝関節へのプレッシャーを足の向きを外側に変え対応する。
そのまま上から潰すように体重をかけ、手を腰にかけてそのまま後を取る。
チョークを嫌った手をコントロールし、隙をついて首元へ手をかける。
そこで、タップ。
「流石にそのタックルは甘いわ」
「むぅ、いけると思ったのに!」
汗だくで道場に寝転ぶメイ。
肺いっぱいに空気を吸い込み、大の字になって空を見上げている。
「どうするよ、もう一本いくか?」
「ん、もういいかな」
メイの横に水筒を置いて、側に腰掛ける。
「まぁ、なかなかのもんだと思うぞ、実際。あっちに帰ったら大会で無双だな」
「……」
こっちに来てからもグラップリングの練習は続けていた。
といっても、俺とメイだけ。いや、途中からジョウジョカも参加するようになったけど……
別に格闘技で食っていけとは言わない。むしろ、できれば他の普通の道を選んでほしいとすら思ってる。
そう思ってはいても結局選ぶのは本人だ。
問いかけるような視線を向けても、メイの視線は空に固定されたままだ。
「父ちゃんは……」
「ん?」
「父ちゃんはこっちにずっといるの?」
「多分なぁ」
「ふふ、ついに年貢の納め時ってやつ?」
「二回目だけどな! お前は……いいのか?」
「むしろ良かったと思うよ。こっちにきて、父ちゃん、生き生きとしてるからね!」
「そうかなぁ」
「うん、昔は魚が死んで腐り果てて、そこに湧いた蛆虫みたいな目をしてたよ」
「言い過ぎで笑う。普通に死んだ魚の目でいいだろ……蛆虫って目があるのか?」
「知らない。終わってる雰囲気が伝わればオケ!」
「適当が過ぎる!」
「ねえ……ウチも残るっていったら怒る?」
「えぇ? いや、怒りはしないけど……残るの?」
「どうしよっかなぁ。こっちはこっちで楽しいんだよね。見たことのない景色、色んな国、アツい闘いとかさ」
「正直、普通の人生を送ってもらいたいもんだけど、言ってきくような人間じゃないしなぁ」
「別に向こうの暮らしも悪くないと思ってるよ、お母さんもいるし、友達だってたくさんいる。けど、こっちにだってレティとかローザ、ニナもいるし」
立ち上がってメイは背伸びする。
その背中にはいつものような快活さはなく、少し丸みを帯びて娘の迷いを表しているようだった。
「俺の場合は、もうお前以外には向こうの世界に拘りはないからなぁ」
「父ちゃんは軽いよね! 今生の別れになるかもしれないのに!」
「その辺はレティにお願いしたら、なんとかしてくれるんじゃね?」
「他力本願が過ぎる! まぁ、なんとかしそうだけどさ」
「俺、親とそんなに関わりなかったんよ。親は普通の人生を望んでたけど、俺は格闘技に夢中だったしな」
「すぐに家を出たっていってたね」
「そんな両親は俺に興味を抱かなかったし、お互い様で俺もそうだった。お前に対して、もちろん興味がないなんてことはないんだけとさ、自由に生きろとも思ってるんだわ」
「自由かぁ〜それこそ自由なんて想像つかないね。 別に向こうでやりたいこともないし……それはこっちでもそうだし」
「まぁ、言えることは選択肢を増やせるようにしとけってぐらいだ。向こうに帰るなら、しっかり勉強したり、将来なりたいものに対して自分のリソースを割かんといかんと思う」
「こっちだとそのへん曖昧だねぇ」
「未来が想像できんからな。お互い、異世界初心者だし」
「そだねぇ」
「まぁ、なんにせよ応援はするよ、どんな道を選ぼうとも。人の道に外れること以外な!」
「そか」
道場の中に涼やかな風が吹き込んでくる。肩口でそろえられたメイの髪が揺れている。
背筋を伸ばしながら歩き始めるメイ。
「まぁ、まだ先の話ってことにしとくよ。こっちにいる限り、時間はまだまだあるからね」
「おぅ。その前に生き残らんと駄目だがな」
「まごうことなく世界最強らしいからね! これで勝ったらウチが最強! 道場でも開こうかな!」
「俺に勝ってから言うんだな!」
「いずれ父を超えるのが子供よ!」
「ぬかせ」
そう言って笑うメイの目は、さっきより幾分かスッキリとしている気がする。
メイの足音が遠ざかり、道場に静けさが戻る。
瞳に焼き付いたその姿は俺の覚えている少女とは少しだけ……違っていた。
大人とはいえないけど、もう子供じゃないんだろうな。
自分はどうだっただろうか……
俺が娘の選ぶ選択肢の指針になるのなら、より良い人間になっておきたいところだな。
今更遅いかもしれんけど、遅くたってそういう人間になろうという姿は見せておこう。
迷えるおっさんは一人、道場で呟くのであった。




