34話
時刻は十一時過ぎ。
朝の喧騒がひと段落し、カフェの扉が開かれるにはちょうどいい頃合い。
通りに響く馬車の車輪音もどこかゆるやかで、空気には薔薇の香りとパンの焼ける匂いが溶け合っていた。
ここはアーフェンクライン帝国で女性人気の非常に高いカフェ「クラヴィス・ロゼ」だ。
蔦の絡む木扉をくぐれば、微かに薔薇香る空気と、紫炎の灯るランプが出迎える。
深紅のソファと黒檀のテーブルが並ぶ店内は、まるで時が止まったような優雅な静寂に包まれていた。
レティに呼び出されて俺には縁遠い、このオサレ空間へと足を運んだのだった。
ソファの上で胡座をかいていたレティが、バサリと分厚い雑誌をめくった。
「……なるほどのう。こうして“デート”なる儀式を通して、雄と雌は親交を深めていくのか」
神妙な顔でうなずいているレティの手元には、**《恋する魔導令嬢☆秋の大特集号》**と表紙に書かれたファッション誌が広がっていた。
「身だしなみの前に立ち振る舞い……女性らしい柔らかな表情? 気になるアノ人を仕留める魔法の仕草七選? う〜む、なかなか難しいのぅ」
レティは眉間にしわを寄せながら読み進めている。
ソファの上であぐらをかいていた足を整えたり、いつものようにぐいっと煽るようにお茶を飲み干したあと、ティーカップを見つめ、ゆっくりと音を出さないようにテーブルに置いてみたり。
ちっちゃいからソファから足は浮いているし、慣れていない感が滲み出ているのを本人も理解していて、苦虫を噛み潰したような表情だ。
「なにやってんだお前……?」
あまりに異様な空気に、俺は何事かとレティに問いただす。
ぱっと表情を明るいものに変え、彼女は俺を見上げる。
「おお、ヌシか。遅かったのぅ。ちょうど今しがた予習が終わったとこじゃ。デートするぞ!」
「……は? 話がまったく見えん。 とりあえずコーヒーを頼むから一から説明しろ」
「だからデートするんじゃよ。」
「誰と?」
「ヌシとワシに決まっとるじゃろが」
そういやこいつとはずっと一緒に戦ってばっかりだったので2人で遊びに行くようなことはしたことがなかった。
それにしても何で急に……
「いや、まぁ、別に構わないけど……」
「娘っ子が最近恋バナなるものに関心を持っておってな。師たるもの、いかなる教えも弟子には説いてやらんといかん。そこでじゃ!」
「メイが恋バナとはなかなかスルー出来ない話題を持ってきたもんだが……」
「そこはとりあえずどっかに置くとよい」
まぁ、確かに女子高生が恋バナの一つや二つ、逆にしてなかったらそれはそれで問題がありそうな気もするしな。
いったん話を進めるとするか。
「しかし……教えを説く者の経験値が少なすぎないか? スライム一匹倒して魔王の倒し方を語るようなもんだぞ?」
「誰しも初めてはある。そして一つを積み重ねること、これが上達の全てじゃ」
そう言ってレティは、見開きの「モテ仕草入門★胸キュン必至のベスト5」をドヤ顔で俺に見せつけてくる。
上目遣いで胸を寄せながらバチコンと音がしそうな下手くそなウィンクを炸裂させるレティ。
片目を瞑っているがもう一方は半開きで白目を剥いている。
八割方ホラーだ。
無駄に高い魔法技術で白目から星がキラリと瞬いて落ちる。
「どうじゃ?」
「じゃねぇよ。上目遣いは良しとしても……寄るものもねぇのに無理がある。使う武器の選択ミスだ。己を知ることからはじめようぜ」
「ふむ、たしかにすでにワシに心を奪われているものに対してやってみても効果は薄いのかもしれんのぅ」
「どれだけ前向きに物事をとらえる姿勢があったらそういう解釈が出来るんだよ!」
「そこの“男はギャップに弱いもの! いちころハートキャッチ術!”のコラムも読んだ。ぬかりはない」
「ほぼ間違いなく雑誌の選択もミスってると思うぞ?」
燃え上がりそうな熱意を瞳に宿し、レティは腕を組んで立ち上がる。
「いざ、デートへ! まずは第一の試練、“街角スイーツ戦線”じゃ!」
「この店がその戦線の一番前だろ! 店内を見ろ! 盲目の魔法でもかかってるのかよ!」
こうして、神による“恋愛実習”の一日が幕を開けるのだった。
「まずは……これからじゃな!」
二本のストローが交差してハートを形作ったキラキラしたドリンクが運ばれてくる。
「男女がお互いを見つめながらストローで飲むのがナウじゃ。」
「昭和が過ぎる! いくら何でも酷い! ケーキとか映える感じで令和の世に通じるレベルなのに何故?」
レティは可愛らしく唇をストローにつける。
キツいでごわす。
本当に流行っているのか、これ?
羞恥に身を震わせながらストローに口をつける。
必然、レティの顔が目の前にくるわけだが……
ローザとは方向性が違うが、クッソレベルの高い顔面が俺を襲ってくる。
顔が赤くなるのを自覚しストローから顔を離そうとすると、プクプクと泡が弾け飛び跳ねたドリンクが俺の顔にかかる。
「……オマエさ、その行動で俺の娘に何を語るつもりだ?」
ストローに息を吹き込むレティ、彼女もまた顔を赤くしていた。
「すまん! 思いの外ヌシの顔が近くて緊張してもうた!」
思わぬ不意打ちにドキっとさせられてしまう。
なかなかイジらしいセリフを吐く……コイツにこんな高等技術があるとは!
ひとまず落ち着くため、努めて冷静に顔を拭く。
「もうこれはいいだろ、他のとこに行くぞ!」
そそくさとカフェを後にする俺に後ろからトコトコとついてくるレティ。
俺の手を繋ぎ柔らかく微笑んでくる。
なんだか可愛らしい。
いちころハートキャッチ術、恐ろしい子!
しかし……なんだか今日は妙にしおらしい。
緊張して? そのうえ赤面するなど……そんなレティはかつて一度も見たことはなかった。
今日のレティは万事この調子で俺の心を乱してくる。
いつもの自信過剰なスタイルはどこへやら、こちらの様子を伺いながら落ち着いて合わせてくる感じ。
服を買いに行っても落ち着いた柄のワンピースを選んで、くるりと俺の前でまわってみたり。
アクセサリーを買いに行ってもネックレスを店員ではなく、わざわざ俺を呼びつけてつけさせたり。
髪をかき上げるしぐさの中にフワッとただよう香りが精神を揺さぶるのだ。
ベタにうなじにもドキっともするし……
「こんなん自分でつけられるだろ!」
などと恥ずかしい気持ちを隠すために語気を強めてその場から離れる。
「やっぱり……」
レティが何か言いたそうに不安げな表情を浮かべていたが、自分の動揺を隠すほうを優先してしまった。
ネックレスの支払いを済ませて、そそくさと俺は店から出てしまった。
――
そして夕暮れ時、一日の終わりに俺たちは町を一望出来る高台の公園へと足を運んだ。
高台の端には、繊細な意匠の黒鉄の飾り枠が連なり、町を見下ろす視線を優しく受け止めていた。
レティは、淡く燃える夕陽を背に、高台の縁にそっと背を預けていた。
髪が茜色の光に透けて揺れる。
だが、彼女の視線はわずかに俯きがちで、その表情は影に隠れて見えない。
「……怒っとる?」
怒っている? 言うことが意味不明なのはいつものことだが今日のは意図すらも掴めない。
考えを巡らせてみるが、とっかかりも見出せなくて俺は困った表情を浮かべるしかなかった。
「やっぱり……怒っとるのか。 別に……」
言葉を選んでいるのか……ゆっくりと話し始めるレティを俺は見つめる。
「別に……ヨシュアとは何にもないんじゃ!」
へっ?
「あやつは確かにワシによくしてくれたし……デモニアの中でも一番仲がよかったかもしれん!」
思わぬ方向で話はじめるレティに呆然としてしまった。
「だって……ヌシ……ちょっとイラっとしてたじゃろ? ヨシュアを送った時……」
そんなことを言われてようやく気付く。
俺があのデモニアの男をレティの昔の男だと勘違いしてやきもちを焼いたということか。
「べ……べべべ……別にそんなんじゃねぇよ!」
「ワシにはわかるもの…… だってワシとヌシは愛と魂で結ばれた者同士じゃからの!」
確かに……あの時? ちょっとイラついたのは事実だ。
あれだよ、ほら? 懐いているペットが自分が呼んだのに他の人に尻尾を振りながら走り寄った時の気分!
あれだよ!
「ヌシも仕方のないやつじゃのぅ。ほら、頭を抱いて欲しいのじゃろ? そこに屈むとよい!」
「そんなんじゃないって言ってるだろが!」
「うむうむ。ヌシの世界でいうツンデレというやつじゃな! ういやつじゃのぅ!」
ぐっ!
客観的に見て自分がまさにそれという事実に驚愕する。
おっさんのツンデレとか誰が得をするんだよ!
反論すればするほどドツボにハマっていく気がする。
どういう戦術が正解だ?!
教えてくれ! 今まで数多いたであろうツンデレ美少女キャラ達よ!
表情を読まれないように視線を下げ脳をフル回転させる。
駄目だ!
"ツンデレおじさん"という不快な存在に成り果てた自分を許せそうにない!
そんな俺の姿に何を勘違いしたのかレティは柵の上から手足を広げながら飛び込んでくる。
俺の腕の上から足を絡めてホールドし、頭を抱きしめ全力で"よしよし"してくるレティ。
「可愛いのぅ、うぃやつじゃのぅ。ほら、ヌシの大好きなレティちゃんじゃぞ?」
ここは触れ合い動物広場じゃねぇ。
しかも俺を動物側にするな、獣はお前だろが!
俺をよじ登ってきて、顔にキスしまくるレティ。
顔がよだれまみれだ。
「キレ……たぜ!!」
俺はそう宣言するとレティの足を掴み全身全霊の力をもって回転し始める。
レスラーも驚きのジャイアントスイング。
成長したフィジカルを余すことなく活用し、俺はレティを夕日へと向かって射出する。
「ふぉおおお〜飛んどる! 飛んどるぞぉおおお〜」
夕日に影を残しながら街の景色の一部になるレティ。
風魔法を使って上昇気流を発生させ、ゆっくりと高台から街へと降りていく。
「くふ、照れ隠しも大概にせんとな! 大丈夫じゃ、ワシならいつでもオールオッケーじゃからなぁあああ〜」
そう言いながら街影に消えていく。
「……うるせぇ、バカ。」
一度空を見上げてからベンチに腰掛ける。
今日は……色々あった……
感情の起伏が大きくて疲れたわ。
しかし……独り身になって何年だ?
正確に覚えていないけど……
精神は確かにおっさんのままだけど、身体は若い。
そちらに引っ張られているのか、パーティーメンバーには心が動かされることも多々ある。
やり直せるのは戦うこと以外にもあるのかも知れないな。
「まぁ、なるようになるだろうし、そうにしかならんよな……」
俺は独りごちて、黄昏時の高台から街へと足を向けるのだった。




