105話
北には雪を戴く険しい山々が連なっていた。
あらゆる生物を拒絶する過酷な環境、そこには悪魔のような角を持った亜人種が住むと言われている。
南へ目を向ければ、一転して穏やかな丘陵と広大な平原がどこまでも続く。
その豊かな大地の中心。
幾重もの城壁に囲まれた王都の中央には、一際高くそびえる白亜の城があった。
王都を見下ろすその最上階。
大きな窓から柔らかな陽光が差し込む謁見の間では、一人の少年が跪いていた。
年の頃は十六。
まだ幼さを残す横顔ではあったが、その眼差しだけは鋭く真っ直ぐ皇帝を見上げていた。
皇帝は静かに玉座から立ち上がった。
側近から一振りの剣を受け取り、少年の前へ歩み寄る。
「今日より、お前は帝国の騎士だ」
その一言に、少年は深く頭を垂れた。
「この命に代えましても、帝国と民をお守りいたします」
「うむ」
皇帝は満足そうに頷くと、静かに剣を差し出した。
少年は両手でそれを受け取る。
まだ少し手には余る長剣。
その重みを噛み締めるように、少年は胸へ抱いた。
少年の名はバルトフェルドという。
アーフェンクライン帝国の次期皇帝。
その剣の腕は若くして既に国内最強と噂され、帝国始まって以来の天才と言われていた。
その傍らでは、一人の女性が優しく微笑んでいた。
透き通るような白い肌。
黄金色の長い髪。
慈愛に満ちた瞳。
まるで神話から抜け出してきたような、美しい女神だった。
彼女の名はオフィーリア。
魂を司る女神と言われていた。
オフィーリアは何も語らず、父から子へ受け継がれるその瞬間を、どこまでも温かな眼差しで見守っていた。
——
その日は、酷く暑い、夏の日のことだった。
軍靴で踏みつけられた草花が土にまみれて横たわっていた。
その花を見つめる瞳は既に光をとらえてはいない。
見渡せば、周囲は地獄だ。
折れた槍が刺さり、その切っ先が真夏の強い光を反射していた。
赤茶色に染まった平原が何処までも続く。
その中に一人の青年がつまらなそうに座り込んでいた。
折り重なるように積まれた亡骸の上に。
側にはこの場に不釣り合いな美しい女性が佇んでいた。
「また戦いが終わってしまった。何故皆、私のために生き続けてくれないんだろう。敵も味方も皆、私を置いていってしまう。私はそれが悲しいよ」
返事を求めたわけでもない言葉が、滴り落ちた汗と共に落ちる。
「なぁ、オフィーリア。あなたは何故ずっと私の側にいてくれるの?」
「何故って……あなたは人の気持ちに鈍感ですね」
「人の気持ちって言われてもわからないよ。まして女神の気持ちだったらなおさらだね」
「あら、知っているでしょう? 神と言っても人にはできないことが少しできるだけ。あなたと何も変わりはしないわ」
「私にはずいぶんと違うように思えるよ。だって君は僕が物心ついた頃からずっと変わらない、美しくて可愛らしい少女の見た目のままだ」
そう言ってバルトフェルドはその場から降りた。それから地面に生えていた草を引き抜き風に乗せてみせた。
自由気ままに飛び去っていく様が目の前の女神に重なるようだった。
「あなただって変わらない。あなたの魂はずっと綺麗なまま。一点の曇のない完璧な透明。とても美しくてたまらなく愛らしいわ」
バルトフェルドは父より騎士剣を賜った時と同じ優しい彼女の瞳を見つめていた。
神は気ままだという。
ずっと同じところにいる柱もいれば、ふとした時にいなくなる、そこにあってないようなもの、そして時にそれは奇跡を人間に与える。
そんな女神がバルトフェルドのもとへ現れたのは、彼が生まれたその日だった。 それ以来、彼女はずっと彼の側にいた。
——
36歳の時、バルトフェルドは新たな皇帝として即位した。
その肉体に衰えはなく、剣技はさらに磨きがかかっていた。
「なぁ、オフィーリア、私は退屈だよ。名のある強者は全て倒してしまった」
「あなたはまだ世界の広さを知らないだけよ。悲しいかな人間はすぐに死んでしまうものね」
「世界の広さか……過去の英雄たちはどれほどの強さだったのだろうな。今となっては知る術もない」
「あなたより強い人間を何人か知っていたわ」
「そうか…… とは言え、過去に遡ることもできないからね。どうしようもないな」
「そう? 確かに過去には無理だけど、未来にはいるかもしれないじゃない」
「この先の老いた身では真の強者をはかることはできなくなるんだろうな、それが寂しくもあるね」
「そう? あなたが望むなら私が未来をあげるわ」
「未来?」
「そうよ。だって私は女神だもの。奇跡を起こすことぐらいなんてことないの」
オフィーリアの瞳は何時でも何処までも深い慈しみに溢れていた。
その瞳は、常にバルトフェルドの透明な魂を見つめているのだった。
「そう、あなたが望むのなら……」




