73話「掌の上の狂言」
ガーネはナフキンを机に置いてから椅子の背凭れに背中を預けるように深く座り直して息を漏らした。
「致死量ではないですが、普通の人間なら確実に嘔吐・下痢・脱水で苦しみますし行動は鈍らせられますね。あ、僕は平気ですよ耐性あるんで」
「はは、知ってるよ。だからお前に食わせたんだ。…ま、『こういう仕掛け方』してくるとは…俺も随分と舐められたもんだ」
希望通りのパフォーマンスをしてくれたサイフィルにガーネは酷く満足して笑みが溢れる。どこかその行為に既視感があり、思い返せばどこぞの女王もよくこういう笑い方をしているなと他人事のように考えた。
「と、統裁官様…!?ど、く…毒ですか?えっ、なんで、そんな、まさかなんで…?何かの間違い…いやそんな」
まさか自分が招いた食事の場で、一番配慮しなくてはいけない人物を相手に一番あってはならない事案が発生したと伯爵は青ざめて酷く狼狽えていた。
「カルセ、お前の皿も見せてみろ」
「はいガーネ様」
カルセの手つかずの皿を受け取り、自分の皿にのみ毒が仕込まれていることを確認し、テーブルに置き戻した。
「統裁官様!何かの間違いです!そんな、私は毒など…!」
「…新聞コラムで、気になる記述があってとお伝えしましたよね?…スメイラ」
「はい統裁官様」
伯爵の言葉を遮り、スメイラに件の新聞を出させる。伯爵はその新聞を震える手で奪うように手にすると、問題のコラム部分に視線を滑らせる。
「こ、これのどこに不審が、────…ッこ、これは…!?」
何往復か読み返し、問題の箇所に目が止まったらしい。ガタガタと手が震え、額に汗を掻き始めた。
「統裁官様、殺…いや、民衆…、ウチの領民が、領民は無事か!いや、統裁官様!」
「落ち着け。…執事、料理長を呼べ。形式上でいい」
「は、はい」
「バカモノ!全員だ!全員、給仕もメイドもシェフも全員呼べ!!」
「うるせーな、そんなに全員呼ばなくていいっつの。アンタの顔立てて形式上料理長だけ呼べって言ってんだからそれでいい。命令ださっさと呼んで来い」
「かしこまりました、すぐに」
騒ぎで既に近くに待機していたらしい料理長が、怯えた顔で双眸に涙を滲ませて入室してきた。
「ご、誤解です。私どもは閣下の食事に毒草を含ませたりなど…料理人としてあってはならないことでございます」
「わかってるよ、俺が聞きたいのはそれじゃない。俺の皿の最後の仕上げと確認をしたのはどいつだ」
料理長も困惑気味に視線を漂わせ、記憶を辿る。
「お、恐れながら…ボーデン様が、統裁官様のおもてなしにと…食材を直接お持ち込みになりまして…」
ガーネにとってはわかりきった答えを言われ、妙に落ち着き払った正面の席の男へ視線を投げた。
「…だ、そうだが?説明を願えるかな」
「誤解ですよ統裁官閣下。たしかにもてなしの心で、栽培した新鮮な食材は直接厨房に持ち込みはしましたがね?私が貴方様を害する理由など、どこにありますか」
「そうですよ統裁官様!我が弟がそのような大それたこと…!」
「兄の言う通りです。気付かなければ、じわじわ死ねたかもしれないのに」
「…は…、……ボーデン…?」
「手の込んだ喧嘩の売り方しやがって、俺が新聞読むタイプじゃなかったらどうするんだ」
「その時はその時で、また別の手立てを考えるしかあるまいよ。俺じゃなくとも他の連中にも命は狙われているだろうしな」
人のいいにこやかな笑顔は変わらず、発言だけがどんどんと不穏になっていく様子に伯爵も執事も何も言えなくなっていった。
「お前も同じだ、お前の存在がこの世界の均衡の輪を乱す。俺達はそれを正すに過ぎない、お前を殺せば俺も『上』に行ける。ただそれだけのことだ、単純だろう?」
ボーデンはそれだけ言うとゆっくりと立ち上がり、部屋を出ていく。
あまりにも自然な足運びに伯爵はただ弟の背中を見つめるしか出来ずにいたが、数拍遅れてようやくはっとした顔で「追いかけろ!」と使用人に指示を飛ばす。
「待て。屋敷の人間は全員動くな」
ガーネの制止の声が室内に響く。
「いいか、俺は『統裁官』である前に────『女王陛下の名代』としてここにいる。その俺に手を出した。それが誰に喧嘩を売ったことになるのか…理解しているな」
再び空気が重く凍る。しんと静まり返った中で、ガーネは改めてサイフィルに視線を向けた。
「…サイフィル、追え。ただし手は出すな。俺が行くまで『視てろ』。わかったな」
「う、うん」
そのまま走ってボーデンを追いかけたサイフィルを見送り、ガーネもゆっくりと立ち上がり官服を脱いで隣の席のカルセに放り投げる。服を受け取ったカルセは『承服しています』とでも言わんばかりの顔をガーネに向け、にっこりと笑みを浮かべた。
「カルセ、この場はお前に任せる。何かあればお前の判断で動け」
「かしこまりましたガーネ様」
「スメイラは言わなくてもわかってんな」
いつも通り上着の下に隠していた肩のホルスターから拳銃を取り出すと、弾倉を引き抜き残弾数を確認する。そのまま仰々しく押し込み直し、スライドを引き放って初弾を装填してからシャツの袖を捲り部屋を出ていくガーネの背中に向かって、スメイラは呆れたように肩を竦めて声をかけた。
「もちろん、証拠も証言も保持しとく。……あ、『激しい運動禁止』。ラズリ先輩に怒られるの、君だけじゃないんだからね」
「へいへい善処しますよ」
「……どーだか、あの返事」
「…無駄そうですわね」
「うわーっ!」
サイフィルの情けない叫び声が屋敷の中庭に響く。
ガーネの言いつけ通り追いかけたはいいものの、中庭で待ち受けていたボーデン基均衡教徒の攻撃を必死に避けて逃げ回っていた。
「なんだお前、俺と殺り合う為に追いかけて来たのではないのか」
「そんなわけ無いじゃんおっかない!」
「なんでも良い、お前もあの偽りの均衡の犬の配下なら正す必要がある」
「なにそれーッ!」
振り下ろされる、祈祷具にしか見えない長杖。サイフィルに向かって降りてくる瞬間の空気の潰れるような音と圧に、必死に身を捩って逃げる。
元いた場所に容赦無く振り下ろされた儀仗は、地面の石畳を抉って破砕していた。
「怖い!」
「怖いのなら動かんことだな、一瞬で潰してやる」
「やめてよして!ガーネ助けて!」
再度振り下ろされた攻撃を必死に避けたところで、銃声が響いた。
「生きてたか、まあお前なんざうるせーから死んでても良かったけど」
「酷くない!!?」
「ちゃんと『逃げれた』な、やればできんじゃん」
サイフィルは慌ててガーネの後ろに走り込んで縋り付いた。
「うるせーよ!怖かったんだから!当たった!?」
「いや、……外した」
小さく漏れた舌打ちが、大きく響く。
ガーネの銃弾は、ものの見事に外れていた。




