後編
緊張で揺れる鮮やかな赤い瞳を、ディアマントの蜂蜜のような金色の瞳が捉える。すぐににこりと柔らかな笑みを浮かべ、ディアマントは姿勢を少しだけ直した。
「カルセよ、知っておると思うが確認じゃ。ジェレイドは『ジェスチェルト伯爵家』の『次男』じゃ」
「はい、存じております」
「よほどのことが無い限り、家督については近衛総監の兄…ジェスチェルト伯爵の長男が継ぐことになる。それに、『身分』がどうと先程からお前は申しておるが、妾が与えたお前の『聖女』の役職は高位職じゃ」
「こ、高位職者と言っても、わたくしは末席ですわ。ガーネ様やジェレイド様に比べたら」
「あのなぁ、単純に序列だけで見てるからそう思うんだろ。まぁ確かに俺の方が付与されてる権限とか立場考えたら上にはなるんだろうけど、そもそも論俺らとお前じゃ『役職区分』がちげーだろ」
思わず口を挟んだガーネに目を向けたカルセだったが、ガーネは『これだけ懇切丁寧に並べてやったのにまだ背中を押し足りないのか』とややどこか呆れを孕んだような眼差しを向けて盛大に溜息を漏らした。
「いいか、侍女長や侍従長や女官長たちは宮務職、魔導師長や巫術官長は術務職、文官長や財務官長らは政務職、んで、俺や近衛総監や衛兵総監は武官職でお前は『聖務職』。カルセ、お前は『女王が認定した国唯一の聖女』であり、聖務職のトップだろ」
「それにカルセよ、妾は、妾の国の女王として『かの国』のような厳格過ぎる身分序列など設けているつもりはない。統制上上下関係はもちろん存在するが、これがメイジーエであれば『軍人風情』のガーネなんか妾と目を合わせることも許されぬし、数々の狼藉で魂の残滓も残さぬように処刑しておる。この男は妾を幾度となく泣かせてひん剥いて、それはそれは悪い男なのじゃ!くそやろうなのじゃ!」
「そのメイジーエのとんでも皇子にほっぺた叩かれて『怖かった』って大号泣してた上に、夜はベッドで可愛くよがり泣いて楽しんでる癖に何を」
「と、とにかくじゃ!だから妾はそんな『恐怖政治』で民に厳しすぎる身分序列など作った覚えはないのじゃ!!」
「……だとよ、聖女サマ」
ようやくガーネが差し出した水にカルセが手をつけて一口喉を通過させ、小さく息を漏らしたところで、ディアマントが今までよりも少し落ち着いた優しい声音で名前を呼んだ。
「カルセ」
「はい、陛下」
「ガーネと付き合う前に散々悩んで、まるで小娘のように悩んで特務の女たちに縋った妾がこんなことを言うのは、どこか少し偉そうに聞こえるかも知れぬが、聞いてくれるか」
「もちろんですわ」
「……相手の男の好意は、素直に受け取らねば必ず後悔する。妾は『昔』、それが出来ずに拗れてしまったことがある。『今回も』危うく何度か拗れかけた。それは妾が未熟だったからじゃ。……だから、妾はガーネが、妾のことを好きだと、可愛いと言ってくれるその言葉は絶対に疑わぬ。妾もガーネのことが好きで、大切だからじゃ」
「…はい」
小さく素直に頷くカルセを見て、ディアマントはちらりとガーネを見てから柔らかく微笑んだ。
「カルセ、ジェレイドのことが好きか」
ディアマントの率直かつ端的な問いかけに、カルセはハッとした顔をしてガーネとディアマントを見つめた。
スピネルのような鮮やかな赤い瞳がほんの少しだけ揺れて、じわりと水の膜が覆った。滲んだ涙が零れそうに集まって、ひとつの雫となってぽたりと落ちるのと同時に、カルセは小さく観念したように頷いた。
「……好き、です。好きです…っ」
「ふふ、なら、それを本人に伝えてやるとよい。命令じゃ、可及的速やかにジェレイドへ申し伝えよ。……明日からは外遊じゃ!忙しいのじゃ!」
「はい!……やっぱり、ガーネ様と陛下に相談して良かったですわ。ありがとうございます」
「俺はさておいたとしてこんな小娘で良かったのか」
「小娘だなんて。わたくしの、憧れの『先輩カップル』ですわ」
「……あこがれの……せんぱい、かっぷる…」
カルセが退室したあとに部屋に残ったガーネとディアマント。カルセの言葉にじわじわと嬉しさが込み上げてにんまりと笑みが滲み出たディアマントを見て、ガーネは思わず肩を揺らして笑っていた。
「お前、自分はくだらん恋愛小説やらゴリゴリの官能小説読んで必死に恋愛偏差値上げる無駄な足掻きしてる癖に。……で?『昔』、『どの男に絞め殺された』んだ」
ガーネの黒みがかった深い紅色の瞳がまっすぐにディアマントを捉え、細く華奢な首筋に左手の指先を絡めて低い声で問いかけた。
ディアマントはにこりと幸せそうに笑みを浮かべ、淡いピンク色に光る宝石が鎮座した婚約指輪の嵌った華奢な左手を添えて甘えるような視線でガーネを見つめ返した。
「今度『お前を殺す』のは、妾じゃ」
「はは、可愛い女。おいで」
誘われるままにいそいそとガーネの膝の上に乗って満足そうにするディアマントを抱き締め、桃とジャスミンが絶妙に調和した香油の甘い香りをふわりと纏う肌に頬擦りをして深く溜息を漏らした。
「はー、いい匂い。可愛い。……ほんとお前可愛いよな、恋愛相談されて得意気な顔してお姉さんぶっちゃって」
「ふふん、妾は『あこがれのせんぱいかっぷる』のお姉さんじゃ」
「はいはい、お姉さん。一回だけシてもいい?」
「お前は一回で終わらぬからだめじゃ。さっさと仕事を終わらせて、夜に妾をいっぱい構って、妾と一緒に寝るのじゃ」
「はぁ?生意気言うようになりやがって。……キスだけ。だめ?お姉さん」
「し、仕方がないのじゃ。キスは許してやるのじゃ」
「チョロ」
「ちょろくないもん!」
*****
「あの、……ジェレイド様」
近衛詰所に顔を出したカルセが、最終準備で忙しそうにする中申し訳なさそうな顔で声をかけた。
「は、はい。いかがなさいましたか」
「今、少しだけお時間よろしいでしょうか。外遊の準備で忙しい中、申し訳ございません」
「いえ、……すまない、少し出てくる」
ジェレイドが振り返り近くの近衛隊士に声を掛けると、何かを察して空気を読んだ顔で笑みを浮かべ挙句親指まで立てる始末であった。
「問題無いです!もう最終確認も終わっておりますので!どうぞ『ごゆっくり』!」
苦笑いで礼を述べながらカルセを連れ、なるべく人目を気にしなくて済むように城の外の公園へと向かった。
時間帯もあり人気は疎らで、ジェレイドはどこか安心したように細く息を漏らしながらカルセへと視線を落とした。
「あの、ジェレイド様。先日は、『お返事をしに来た』と言っていたのに曖昧に『まだわからない』などと言ってしまって、申し訳ございませんでした」
「……いえ、その件でしたら……色々とお気になさらず。私の方は、もう『諦め』も『覚悟』も出来ておりますので」
「…ごめんなさい」
カルセの謝罪の言葉に、自然と足が止まった。釣られてカルセも歩みを止め、ジェレイドに向き直り顔を見上げると、苦い顔をして笑うジェレイドと視線が絡んだ。
「…はい。『お返事』、誠実に返して下さり感謝申し上げます。お時間を取らせ申し訳ございませんでした」
「いえ!違うんです!あの、わたくし…!」
カルセの『ごめんなさい』の言葉がすっかり『告白の返事のお断り文句』だと捉えられていると気付いたカルセは慌てて言葉を紡ぐものの、ジェレイドは小さく首を振って柔らかく紳士的に笑みを浮かべて軽く頭を下げた。それを見て途端に何も言えなくなってしまったカルセは、『早く言わなくては』と思うのになかなか言葉後出てこない。
「……ただ、私の方は気持ちの切り替えが出来るまで少しばかり時間が掛かるかと思いますので、もう少しだけお慕いする気持ちを持つことをお許しください。仕事に私情は挟みません、すぐに気持ちを切り替えられるように善処いたします。……ああ、父が、私もいい歳なので見合いでもと言っていたので、前向きにそうしてみてもいいかもしれませんね。……私の烏滸がましい貴女への好意など、忘れてください」
「忘れません!わたくし以外に、その気持ちを向けないで!」
カルセの声が公園内に響き、ジェレイドは言われた言葉の意味がすぐには理解出来ずに目を何度か瞬いた。
「わ、わた、……わたくしも、……ジェレイド様のこと、好き…っ好きです…!」
「えっ」
「すき、です」
すぐに会話が途切れ、風が木々を撫でる音だけが静かに奏でられる。
ジェレイドはカルセの声が脳内に反響するような感覚に、その言葉を噛み締めて視線を向けた。
「か、……カルセ様」
「カルセですっ!!」
「…カルセ」
「……はい」
「…抱き締めても、いいですか」
「はい!」
緊張で震える腕がゆっくりと伸ばされ、カルセの身体を包んだ。
たったの数ヶ月前に、ガーネへの気持ちのケジメとして好意を伝え、『最後に抱き締めて欲しい』とオネダリをしてガーネに抱き締めて貰った。
ガーネも、よく鍛えられた筋肉質で骨張った『男性』の身体をしていたが、ジェレイドも日頃の鍛錬が見えるような逞しい腕や胸板をしており、ガーネよりも幾分か背が高かった。
爽やかで嫌味のないコロンの香りに、カルセはそっと瞼を伏せて幸せそうにジェレイドの背中に腕を回して抱き返した。




