552話「セクハラ」
初めて足を踏み入れる『女王の私室の湯殿』に、ガーネは思わず小さく息を飲んだ。
色々な感情があるとは言え、大部分を占めているのはやはり『好きな女が日頃使用している風呂場に自分が全裸で入り込む』ことと、『婚約したとは言え一応は今は一臣下の立場である分際で女王のプライベートなところに踏み込む』ことであったが、そこまで考えて一番プライベートな寝室に何度も寝泊まりし挙句好意を持った交際相手とはいえ女王陛下である国で一番高貴な女を何度も全裸にひん剥いて好き勝手抱き潰していることを思い返し、自分の感情をどこに置いていいかわからなくなりながらネクタイを緩めた。
一般的な家庭の10倍近くありそうな広さの浴室内は、広い洗い場にゆったりとした椅子や小さなテーブルと、小ぶりなバスタブと大きな湯船があり、ちょっとした旅館の控えめな大浴場のような誂えであった。
これが『女王が王女時代から使用している湯殿』から『女王夫妻の居住区画の浴室』にアップグレードされると一体どうなるのかと、自分自身もそこそこの生まれ育ちではあるもののやはり『王族』との生活の違いに落ち着かない様子で頭からシャワーを浴びた。ご丁寧に用意されていたシャンプーとボディソープを使い、自分1人ならばわざわざ使わない入浴剤の入れられた大きすぎる浴槽に身体を沈め、深々と息を漏らした。
「……俺は今温泉旅館に来ているんだ」
自分に言い聞かせるような小さく漏らした呟きが湯殿に静かに響き、改めてとんでもない女にプロポーズしてしまったものだと天井を仰ぎ見た。
少ししてから浴槽から身体を出して、風呂場から出たところでタオルを手に待機するミモゼと視線が絡み合った。
「お湯加減いかがでしたでしょうか」
「いやいやいやいや、アンタなにしてんの」
「入浴後のお手伝いに。……こんな年増よりも、娘のエナの方がよろしかったですか?特務総監様、年上が好きと仰っておりましたので『年上』のわたくしが」
「よろしくねーよ!!!それと俺の年上好きを悪用するんじゃねーよ!!!」
「冗談ですわ。エナ含め若い侍女に貴方のご入浴のお手伝いだなんて刺激が強すぎますもの。…あらまぁ、お噂通り『ご立派』ですこと」
「どの界隈で俺のナニが噂になってんだよ!やめてくんない!?セクハラって女から男に対しても適用されるんだからな!それとディアマントにだってそんなまじまじと全裸見せたこと無いからな、早くタオルを寄越せクソババァ!!」
半ば強奪するようにタオルを毟り取ると開き直ってその場で身体の水分を雑に拭って着替えを済ませた。
「いけませんわ特務総監様。御髪が濡れております」
「自分で出来る!」
「いいえ、出来ていないから濡れているのです。お風邪を召されますわ」
「違うところに召されそうだよ!!触るな!!」
髪が濡れたまま逃げるようにディアマントの部屋へ駆け込むと本を読んでソファに寝転がっていたディアマントの身体を抱き上げて膝に乗せてあらゆるものを阻止した。
「なん、なんじゃ。なにごとじゃ」
「お前は俺の身体を他の女に見られて平気なのか」
「?湯浴みは侍女が世話をするものじゃ」
「そうだな!お前の感覚はそもそもそうだもんな!」
「髪がびしょびしょじゃ。ミモゼに拭いてもらわなかったのか」
「自分で!出来る!!」
「出来ておらぬから濡れているのじゃ」
珍しくペースを乱されたガーネは深々と溜息を漏らしてディアマントにタオルを押し付けて頭を差し出した。
「……お前がやって…」
「あまえんぼじゃ!妾がお姉さんだからって、仕方がない小僧じゃ!」
何故か得意げに機嫌が良くなったディアマントが嬉々としてタオルでガーネの頭を包むと、慣れないぎこちない手つきでわしわしと髪を拭い始めた。
「うふふ、では陛下、わたくしは『王配殿下』のお飲み物をご用意して参りますわ」
「うむ、ガーネなにが飲みたい」
「…………水でいい」
「ガーネはいちごが好きであったな、いちごを入れさせるか」
「んな小洒落たことしなくていい、水でいい!」
「かしこまりました」
まるでトリミング後に大型犬が飼い主に身体を拭かれているような光景にミモゼも思わず笑いながら一礼して部屋から退散した。
「……ディア」
「なんじゃ」
「お前、あとで覚えとけよ……」
タオルの隙間から恨めしげに見上げたガーネの顔を見て、ディアマントは『入浴は侍女に世話をされるのが当たり前』で過ごしてきたためになにを怒っているのかまるでわからずきょとんと首を傾げた。
「ミモゼではなくエナの方が良かったのか」
「そういう話じゃねぇ!百億歩譲って世話されんならババァにしろ、なまじ若い女にそういうことさせようとするんじゃねぇ!」
「ふむ……たしかに、妾とてお前が拒むからお前の身体は隅々まで見たことがない。妾はあんなところもこんなところもひん剥かれたのにじゃ」
「お前意味わかって言ってる?いや、ひん剥いたけど!」
「ラズリはお前のあんなところもこんなところもそんなところも見たと言っておったな」
「アレは医者だ!医療行為だ!それと俺も意識が無かった!!」
「まぁ医者であれば致し方あるまいか、妾も医者にはあんなところもこんなところもそんなところもどんなところも見せておる」
「どんなところだよ!!」
「妾、お前の全身見たい!見せよ!」
「見せよって言われて『はいどーぞ』って見せねーよ!!小娘が!!!」
「妾はなぜ怒られておるのかわからぬ…」
きょとんとしたディアマントと、冷えた水を持ってきたミモゼが互いに目を合わせて肩を竦め合ったのを見て、ガーネは再度深く溜息を漏らした。




