前編
ノルデン出立の翌日午前10時過ぎ、ガーネは約3週間振りに王都へと帰って来た。
そこから王城への道のりと、門衛を通過し、正面玄関ホールまで辿り着いた頃には11時になろうという頃合であった。
「……はぁ、やっと帰って来た」
すっかりこの場所が『帰る場所』になったなと、初めて王城に呼ばれ王命を授けられ半ば放牧のように城外へ放り出された日のことを思い返した。当時はまさかあの見たことがないほどの美人でかつ自国の女王陛下に一目惚れし、それをかなり経ってから部下からの指摘でようやく自覚し、好きと伝える前に手を出し、相手から結婚の話をされて拒絶し偉そうに『恋人なら』と告げて付き合い、死の淵に立ってようやく彼女に『好きだ』と告げ、それから他人のモノにされてしまいかねない状況にようやく自分の立場を痛感して自分勝手に求婚の予約をしてまた1ヶ月近く1人にしてしまった。
「……小娘に会いに行ってやるか。アイツ拗ねるしな、1番に顔出さねぇと」
軽くポケットを叩きながら小さく『建前』を呟き、女王の執務室へと足を向けた。
大階段を登り、長い廊下を進み、回廊をいくつか通り抜けてようやく辿り着いた部屋の扉の前で立ち、少しだけ緊張した顔で扉をノックした。
室内から応答する声が聞こえ、ゆっくりとドアノブを下げて扉を押し開けた。
「ただいまノルデンより戻りました、陛下」
「……!ガーネ!」
視線が絡み合った瞬間に、ディアマントがぱあっと嬉しそうな顔をして椅子から立ち上がった。
「…ただいま、ディア」
「おかえりなさい…!」
駆け寄って来たディアマントを抱き留めて力いっぱい抱き締め、久しぶりの感触を堪能するように髪に鼻先を埋めてから頬を寄せた。
「……ちゃんといい子にしてたか」
「妾はいつでもいい子じゃ!」
「変わりはなかったか」
「うむ!」
「ただいま」
頬に手を添えて愛おしそうに顔を見つめてから、ガーネはようやく唇を重ねた。
約束通りの『ただいまのキス』を実行し、幸せそうに笑みを浮かべるディアマントを再度抱き締めた。
「…はぁー……可愛い…ちっさ…ほっそ…いい匂い」
しみじみと小さく呟いたガーネにディアマントも堪らず笑いながら胸元に頬を寄せて抱き返した。
「……ガーネ」
「うん?」
「今日の夜は、妾と一緒?妾に、いっぱいお土産ある?」
ちょこん、と首を傾げた愛らしさに全部の仕事を擲って今すぐ寝所に連れ込んで抱き締めて唇を重ねて肌を撫で回して抱き潰してから余韻に浸りつつ抱き締めて眠りたい気分に当然のようになりはしたものの、それをしてはせっかく諸々準備をして来たことが全て無駄になってしまう。
ものには順序がある、と小さく首を振って名残惜しそうに白く滑らかな頬を撫でた。
「夜は約束出来ねぇ。例の導師の件と、翡翠の腕輪の件とその他諸々の処理やら報告がある。…だから次顔出す時に、今回の土産持ってくる。その時は時間取れるように調整するから」
「…妾と仕事と、どっちが大事じゃ!」
「お前。お前が世界一大事だからこそ、仕事片付けてくる。な、お姉さんは我慢出来るだろ?」
「わ、妾お姉さんだから我慢出来るのじゃ」
「よし、いい子。…俺だってお前と一緒にいたいよ、どれだけ離れてたと思ってんだ。今夜は徹夜してでも、なるべくさっさと片付けてくるから」
「…うむ」
改めてディアマントの両頬に手を添えて包み込み、小さく美しく愛らしい顔を堪能して目に焼き付けてから名残惜しそうに唇を重ね、ものすごく渋々といった顔でから身体を離した。
「……じゃ、仕事して来る」
「うむ。…うん?待て、お前外遊から戻って休みなく後処理をしてすぐノルデンに出張して先程戻ったのであろう、純粋に休まぬか」
「いや、やることいっぱいあるから。普通に」
そう言ってガーネはディアマントの髪を優しく撫でて社畜のように部屋を出てすぐに仕事に向かってしまった。
「…あの男は本当に、呆れるほど仕事男じゃ」
ディアマントは執務机に向かい直し、椅子に深く腰を下ろして息を漏らした。
一番大変なところはほとんど臣下が動いたとは言え、自分自身も慣れない王城外の、それも環境も全く異なる場所での数日間と長距離移動。外遊期間中も気が抜けることはなく、辺境伯との懇談に外遊と接待、神殿視察、それから戻ってからも後処理と並行して通常業務。加えて自分の近侍であるガーネの長期出張での不在。
張り詰めていた気持ちがふっと緩むのを感じて、ディアマントは再度深く溜息を漏らしてから机の上の魔法鈴を鳴らした。
少しして、侍女長のミモゼが部屋にやって来た。
「お呼びでしょうか、陛下」
「オエィセで求めてきたミントティーが飲みたい。温かいのを淹れてくれるか」
「かしこまりました。オエィセ式に甘くいたしますか?」
「んー、…いや、そのままでよい。…少し眠い、スッキリしたいのじゃ」
「でしたら、お茶請けにチョコミントも添えますわね」
「うむ」
翌朝、いつもの近侍朝伺の時間に『表面上の土産』の入った紙袋をいくつも抱えてディアマントの執務室を訪れたガーネは、ディアマントの前に大量の土産を並べた。
「…なんじゃこれは」
「土産」
宣言した通り、前日昼前に帰城してから徹夜で報告書をまとめ後処理を済ませ、そんなものよりも重篤な書類の用意まで整えて時間に余裕を作って朝一番で顔を見に来た。
「木彫りの熊…」
「それは鮭を咥えたやつ」
「妾、木彫りの熊は可愛くないからほしくないと言った」
「まぁそれは半分冗談だ」
「半分は本気か」
「これはジャム、紅茶に入れるとノルデン式。それとお前も気に入ってた無花果の蜂蜜漬け。琥珀の髪飾り。あと楓のシロップと、白樺燻製蒸留酒。酒はよくわからんからリエーブセレクトだけど」
「いっぱいじゃ!すごい!これはなんじゃ!」
「チョコ」
「これは!?」
「ノルデン刺繍のリボン。…いつもと趣向を変えた土産はご満足いただけましたか、お姫様」
「うむ!」
にこりと笑ったディアマントの顔を見て、ガーネは微妙な違和感に気が付いて頬に触れた。
「…?ガーネ?」
「具合悪い?」
「まぁ、さすが特務総監様。目敏いですわ」
傍に控えていたミモゼが感心したように声を上げ、ディアマントがすかさず「しー!」と唇に人差し指を当てた。
「ですが陛下、隠してもこうしてバレてしまったではないですの」
「珍しいな、どうした。生理か。生理痛?腹痛いの?」
「と、特務総監様…貴方デリカシーというものがないんですか」
「俺がノンデリかどうかなんかどうでもいいんだよ、そういうのも含めたコイツの体調も見てるんだ俺は。…で、どういうふうに具合悪いんだ」
「…月のものは来ておらぬから、そういう体調不良ではない。…昨日の夕方くらいから少し胸の辺りがむかむかして、異常に眠たくて少し気持ち悪いのじゃ。昨日の夜と今朝は少し戻してしまったが、医官も外遊の疲れが今になって出たのではと言っておった。大したことではない」
「まじか、少し寝とけ。…え?まじか」
「?ガーネ?」
「まじか」
「ガーネ、どうした」
「まじか…え、あ、あー。まじか…そうか……あの、女官長、侍女長。今日は陛下の公務の調整出来るのか」
「ええ、そうしましょうとお話しをしていたところですわ。外遊関係の後処理もほぼ終わりましたので、その疲れですわ」
「なら、今日は休め」
「そうする」
ガーネはディアマントの頭を柔らかく撫でてから、無言で部屋を出て行った。
「…あの男も、少し休ませねばならぬ。ほぼ休まずノルデンに出張に行って、昨日帰ってきて徹夜で仕事を上げておるのじゃ」
「まぁ、でしたら陛下と一緒にお休みをしていただいた方がよかったかしら」
「でも侍女長様、特務には優秀な女性陣の目がありますので、さすがに無理そうでしたら彼女たちが休ませるでしょう」
「それもそうじゃ。…なら、妾は今日は少し眠る」
ディアマントは私室に戻ってお気に入りのゆきちゃんを抱き締めてベッドに寝転び、ガーネは思い詰めた顔のまま特務室へと戻って行った。




