533話「私用」
「ガーネ様、お時間よろしいでしょうか」
翌日、『飽きた』と言って帰るアミュを見送ってから蔵で資料を漁っていたガーネの元に管理人として常駐し結果元通り執事長として返り咲いたウェイゼがガーネの元にやって来た。
「…頼んでた件か」
「はい」
「少し待て、片付ける。部屋で聞く」
「かしこまりました。では、お飲み物を用意して参ります」
数代前の当主の記録から翡翠の腕輪の件を調べていたガーネであったが、午前中のうちにはそれらしい記録は見つけられずに一区切り付けようとしていたタイミングであったため引っ張り出した資料を棚にしまい直して屋敷へと戻った。
埃まみれの手を洗い、応接室へと向かうと丁度ウェイゼが温かい蜂蜜レモンティーを淹れて部屋へやって来た。
「頼んだものは入手出来そうか」
「はい。多少無理はしましたが、グリーチェウトの管轄下で問題無く」
「金はいくら積んでも構わない。全て家の金じゃなく俺の個人の資金を使う」
「ご予算は」
「まぁ、3億くらいまでなら無理は無いかな。こないだ1億使ったしな」
「おや……失礼ですが何を」
「オエィセで瑞月真珠のネックレスとピアス。確か1億2000万くらいだったかな」
「……私費の方は問題無いのでしょうか」
ウェイゼが提示した資料をパラパラと眺めながらいくつか目星いものに印を付けたガーネは、少しだけ心配そうな声色の問いかけにちらりと目線を向けてから肩を竦めて小さく笑った。
「あ?余裕余裕。王城勤務で役職手当やら危険手当やらアホみたいに出てるし、家継いだお陰で領主としての家業も触ってるから数ヶ月かからずその程度すぐだ。いやー、家の運営上手に出来て良かったな」
「ほっほっほ、確かに仰る通りで。爺も失礼ながら多少心配しておりましたが、帳簿の管理くらいでほとんど仕事がありませんよ」
「引退したジジィ相手にあれもこれもさせる訳にはいかねぇだろ。結局『執事長』に置いたわけだし。あの母上の相手も大変だろ」
「奥様は昔とちっともお変わりございませんので」
再度資料に目を落としたガーネは、片手でティーカップを持ってゆっくりと蜂蜜レモンティーを飲み小さく息を漏らした。
「……前にルース買ったとこ。ここがいい、研磨も早かったし品質も良かった。至急呼べるか」
資料をテーブルに置いてとんとんと指を差しながらガーネが言うと、ウェイゼは眼鏡を直しながらにこりと笑みを浮かべた。
「恐らくそう仰るかと思いまして、調整してございます」
「さすが。仕事がはえーな爺や」
「こちらは先代様も贔屓になさっておいででしたので、1番融通が利きます。坊っちゃまの仰る通り、仕事も品質も地域で1番です」
「坊っちゃまはやめろ。とりあえず至急だ、俺も長々ここにはいられない」
「本日の夕方か、明日にでも」
*****
ガーネがノルデンに来て、早3週間が経過した。
本人の言葉通りただの休暇の帰省ではなく仕事で来ているため、全く休む気配もなく朝早くから夜遅くまで資料を漁ったり隣区に聞き込みに出掛けたりと忙しなく動いて過ごしていたある日の夕食時、リエーブはくたびれた顔でポークソテーを頬張るガーネを見て声を掛けた。
「ガーネ、今回は随分長くいるのね。母様は嬉しいけれど。でも貴方、結局忙しくしていて母様との語らいの時間をなかなか設けてくれないわ」
「だから仕事だって言ってんだろ。それに一応晩飯は一緒に摂るようにしてんだろーが。……でも『私用』の方の目処がついたし、明日の夜には戻るよ」
「……その、私用って何かしら。貴方遊びにでも行っていたの?」
「そんなんじゃないっつの」
「でも、明日帰るのなら母様に『見せて』くれるかしら。半月は過ぎましたよ」
「無詠唱じゃさすがに出来ねぇけど」
「誰が無詠唱で出来るようになりなさいと言いましたか。アミュやわたしとは歴が違うんですよ貴方は。魔力量こそわたしたちより多いかもしれないけれど、扱い方がわかっていないから山を消したり土地を殺したりするんです」
「わーってるっつの。……おい、水。コップに1杯」
ガーネが控えていた侍女に横柄に指示を出し、3週間前と同じようにコップに瓶からなんの変哲もない水を注いでガーネの前にそっと置いて下がった。
リエーブの食事が終わったのを見計らってガーネもカトラリーを置くと、コップの縁に指先を添え神経を集中させるように目を細めた。リエーブは同じようにカトラリーを置いて、ガーネを見守るように腕を組んで静かに手元に視線をやった。
「──── …『ベー・トーチ』、『レ・ティーチャ』」
ガーネの低い声の静かな詠唱が室内に響き、ゆっくりとコップの縁から指先を離した。
何の変哲もない、湯気も立っておらずコップに曇りもひび割れもない、ただの『コップに入った水』そのものである。
そのままガーネは手元のスプーンをコップの中に投げるように入れると、突沸が起こりバシュッと勢いよくコップの中から熱湯が吹き出した。
「ヒッタ・カレルーテ」
突沸で熱湯が吹き出ることまで想定していたガーネがコップにスプーンを投げ入れるのとほぼ同時に『冷却』の詠唱を唱え、周辺に降り注ぐ時には『冷水』になってテーブルの上を濡らした。
「どーですかね、母上」
「……文句の付けようもないわ。さすが、わたしの可愛い息子」
満足そうに薄く笑みを浮かべたリエーブの表情に、ガーネは無意識に安堵したような吐息を深く漏らした。
「王都に帰ってからも励みなさい。次の宿題を出します。……ジュン兄さんが王都に行くタイミングで、母様も王都に挨拶に行くわ。愛息子の面倒を何年も見てくれたんだもの、そのお礼をしなくてはいけないし。その時、成果を見せてちょうだい」
食後、しばらくして入浴も済ませたリエーブが部屋で本を読んでいると扉が静かにノックされた。
「……どなた」
「俺」
「まぁ。……どうしたの、お入りなさい」
リエーブの声でガーネが部屋のドアを開けると、リエーブは珍しそうな顔で首を傾げて本を閉じた。
「母様と一緒に寝たいとわがままを言いに来た時以来じゃないかしら、こんな夜に。まさか母様と一緒に寝たいのかしら」
「冗談だろ」
リエーブの正面のソファに断りもなくどっかりと腰を下ろすと、ガーネはワイングラスを2脚とリエーブの好みの軽めの赤ワインのボトルを2人の間のローテーブルに置いた。ガーネが無言でラベルにナイフで切り込みを入れて剥がし、そのままナイフをコルクに垂直に刺して軽く捻り回して引き抜いた。
ワイングラスにゆっくりとボトルの中身を注ぎ、珍しく自分のグラスにもワインを注ぐとテーブルに置いてグラスを持ち上げた。
リエーブも無言でグラスを手に取り、ガーネのグラスと軽く合わせると、硝子の触れ合う軽やかな音が静かに室内に響いた。
互いに言葉を発することもなく、グラスに口を付けてワインを半分程飲み、ガーネが小さく息を吐いてから口を開いた。
「……母上」
「なぁに」
「話があります」
「…なにかしら、改まって」
ガーネは再度煽るようにグラスの中のワインを飲み干し、空になったグラスをテーブルに置いてから少しだけ姿勢を正した。
「………結婚したい女性がいます」
「……そう。別に、母様はなにも言わないわ。だって貴方が好きになった相手でしょう?…その代わり、覚悟はしっかりお決めなさい。母様に伝えている時点で決めてはいると思いますが、…誰の伴侶になるのか、『好き』だけでどうにかなる立場ではないこと、…そのうえで、半端は許しません」
「はい」
「これは母様からの、相手と同じ『女』として貴方に課す約束です。娶ると決めたのなら、貴方の命が終わるその瞬間まで彼女を……ディアマントを、きちんと愛してあげなさい。ルイがわたしにそうしたように」
その言葉に、ガーネは空になった互いのグラスに再度ワインを注ぎながら肩を竦めて小さく笑った。
「は、……こちとら、『前世』からあの女のこと愛してるんだ。『俺』が死んだ後に、また来世なんてあるのかは知らねぇが…あったとしても、俺はまたあの女を地獄の果てでも探し出して俺のものにする覚悟がある程度には、あの女のことを愛してる」
リエーブは再び満たされたグラスの中身を飲みながら、母親の顔でもあり魔女の顔でもあるような表情でガーネの瞳と同じ色のワイングラスの中身を見つめて笑みを零した。
「……やっぱり、貴方の魂ってそういう魂なのね。だから、母様も言ったでしょう?貴方は忌み子ではないって。『そんなもの』より、もっと業が深い、傲慢な魂をしているわ」
「はは、そりゃどうも」
翌日夜、予定通りガーネは王都へと戻るために汽車へと乗り込んだ。
オエィセからの帰城後3日目にノルデンに発ち、その約3週間と少し経過してようやく、外遊での後処理をほぼ終えることとなる。




