505話「キス」
「ガーネ、妾本当にもう平気じゃ。妾の命令無しに離れることは絶対に許さぬ」
ディアマントは身体を起こし、ガーネの服を掴んだまま目元のタオルと頬のタオルを外した。
「……まだ少し腫れておりますわ。ラズリ様に、治癒術を掛けていただきましょうか」
「うむ。だが、アレは所詮気休めじゃ」
「それでも、呼んでまいりますわね」
侍女長が部屋を出ていき、ぱたんと小さく扉の閉まる音が聞こえると、ガーネは水桶にタオルを浸して絞り直し、ディアマントへと差し出した。
「…陛下、もう少し冷やしていてください」
「ガーネ」
「はい」
「名前を呼んで、抱き締めて、キスをして欲しい」
思い詰めた顔をしたガーネの頬に手を伸ばし、縋るような眼差しを向けた。
「…ディア、…ディアごめん、ごめんな」
ガーネが掻き抱くようにディアマントの身体を抱き締めてから小さく呟き、ディアマントはガーネの性格を思い返して小さく息を漏らした。
「……はやく、キスをしろ。お前は妾の犬じゃ、主人の命令にはワンと鳴いて従うのじゃ」
「…ワン」
「ワンは比喩じゃ。はやくキスをせぬか」
ガーネはディアマントの腫れた頬をそっと撫でてからそこに口付け、視線を絡ませてからゆっくりと唇を重ねた。
少ししてから扉を叩く音が聞こえたものの、ガーネはそれを無視してディアマントの身体を抱き締めてキスを繰り返した。
ややあって扉が開かれると、ラズリと侍女長がその光景を目の当たりにし『なにを』と言いかけたものの、ディアマントではなくガーネの方が泣きそうな顔をしていることに気が付いてラズリは唇を結んだ。
「…………一旦離れな、クソガキ。治癒術かけるから」
「……さっさとしろクソババァ」
「ハイハイ」
ディアマントの口紅が口元や顎先にだらしなく付着したまま、ガーネは渋々といった態度で身体を離して背もたれに寄りかかった。
ラズリがディアマントの頬の具合を確認し、頬に軽く触れて治癒術を施した。
「……アンタならわかってると思うけど、所詮気休めだからね。ちょっと身体の霊力回路に触れて霊力注いで活性化させるくらいの治癒術しかアタシは出来ないから」
「妾とてその程度しか出来ぬ」
「ていうか、このクソガキ霊力有り余ってるんだからそんなにベロベロキスしまくってるなら吸えばいいじゃない。治り早まるでしょ」
「…………なにそれ」
ガーネがラズリの言葉に反応して顔を向けると、ラズリは少し悪い顔をして肩を竦めた。
「高等呪術のひとつよ。ま、禁術に近いかしらね。……あ、一般人相手にやっちゃダメよ、普通に死ぬから」
「…『魂吸い』か。出来なくはないが、今この男に倒れられても困る。ここは城ではない故、妾も通常とは感覚が異なる。他者の力の流れが普段よりも読み取れぬ」
「多少だったら、この子相手なら平気じゃない?それに、『そんなこと』でアンタの怪我治るなら多分ガーネは寿命も全財産も全部差し出すわよ」
「…『今は』よい。この後、皇国の使節団の見送りがある。敢えてこの状態を見せつける。治癒はそのあとじゃ、今は痛みが引けばよい」
「そ。なら、そこの犬の口周りベッタベタだから拭いてやったら?飼い主サマ」
ラズリが立ち上がって部屋を出ていくと、ガーネはディアマントと侍女長の顔を交互に見て小さく首を傾げた。
「ベッタベタって、なに」
「……お顔を拭くもの、ご用意いたしますわね」
侍女長が再度部屋を出て行くと、ガーネは小さく首を傾げつつディアマントの顔を見た。
冷やして治癒術をかけたおかげで多少赤みと腫れは引いたように見受けられるが、ディアマントの打算通り『敢えてこの状態を皇国に見せ付ける』のは、女王としてさすがとしか言いようがなかった。
ディアマントはガーネの口元に指を伸ばして紅を拭うと、ガーネもようやく『口紅か』と理解して改めてディアマントの唇に自分の唇を重ねた。
侍女長が別の手拭いと、ディアマントとガーネの軽食を持って戻って来た。
「もう少しお召し上がりになれそうでしたら、皇国使節団のお見送りが終わったあとにおやつをご用意いたしますわ。なにが食べたいですか?」
「……妾、街にあったサボテンの砂糖漬けが食べてみたい。買いに行く」
「いけません、下の者に買いに行かせますわ」
「ガーネと、一緒に行く。だめ?」
「……ヘルソニア様のご判断を、仰いで参ります。お食事をお召し上がりになってお待ちください」
ガーネが手拭いで口元や顎先を拭い、ディアマントの顎を指でくいっと持ち上げた。
「…ディア、あーんして」
「?あーん」
大人しく開かれた口の中を覗き込み、小さな歯が歯並び良く整列する奥、叩かれた頬の内側を確認した。
特に口腔内が切れている様子も無いのを確認し、オエィセ風の辛味噌の塗られた小さな焼きおにぎりとサボテン果肉のサラダ、ミントのスープの乗ったトレーをディアマントの前に差し出し、「食える?」と小さく声をかけた。
「妾、食べられる」
こくんと頷いて焼きおにぎりを手にしたディアマントは、小さな口ではぐはぐとおにぎりを頬張り食事を始めたのを見て、ガーネも食事に手を伸ばした。
王城で、ディアマントの部屋に泊まった翌朝に並んで食事をするのと同じように隣で食事を始めた。
「……おいしい!」
「そうか、良かったな」
「このおにぎりも美味しいし、サボテンのサラダも美味しいし、ミントのスープもスッキリして美味しい。ガーネはどれが好きじゃ」
「全部嫌い。おにぎり辛いし、サラダ得体の知れない味するし、スープすーすーして不味い」
「……子供舌め」
少しだけ、いつも通りになったガーネの様子に安心したディアマントはにっこりと笑みを浮かべてガーネを見つめた。




