49話「不可侵域」
「来たか」
「お召しにより参上いたしましたわ、陛下とお食事だなんて何十年振りかしら」
呼ばれた部屋に入ると、既に女王は座して待っていた。
にこにこと笑みを携えたカルセが淡い水色のドレスの裾を持ち慣れた所作でカーテシーをする。
それに倣うように正装したスメイラとサイフィルも頭を下げ、示された場所にそれぞれ着席した。
一番の上座にディアマントがおり、次席を開け次の席は『聖女』の役職のついたカルセが座り、スメイラ、サイフィルと並んだ。
「…ガーネ、さすがにいないか」
食事が配膳される中でサイフィルが小さく呟き、スメイラは小さく頷く。
『あんなこと』をして、いくら状況を理解した上で『別に怒ってなどいない』とは言いはしても、国で一番高貴な人物を相手にしでかしたことを思い返すと思えば、という気持ちもあった。
「ガーネなら起きたら来る。安心せよ」
どうやらかなり離れたこの距離の小声でも聞こえていたらしく、サイフィルは緊張したように「そうですか」としか返せなかった。
配膳された料理は、見た限りでは至って普通の食事であった。
「今宵はお前たちへの労いじゃ。存分に、好きなものを食すといい」
ディアマントが一口食べてから、ようやく三人も食事に手をつける。
「カルセよ、浄化の儀はどうじゃ」
「ええ、特に滞り無く。無事に済んでございますわ」
昔からの顔馴染みというのもあってか、ディアマントとカルセを中心に当たり障りのない会話が進められる。
カルセの聖女としての巡礼の話しや、スメイラの遺物研究の話し、サイフィルの鑑定についてと、それぞれが女王より与えられた任務についての報告も兼ねた食事となった。
特に不審な点は、今のところない。
「…お前たち、そんなに固くならずとも良い。妾とて、純粋な気持ちであのような大変な遺物をここまで運搬した功を労いたい気持ちあってこそじゃ」
妙に優しく響く、ディアマントの声。
「い、いやぁ、だってそんな、女王様みたいなお美しい方との食事だなんて僕緊張しちゃいますし…」
「ふん、正直な小僧よ。悪くない」
サイフィルの苦し紛れの軽口に、ようやくある程度の緊張が全員ほぐれた。
メイン料理が配膳される少し前に、数回のノックの後に入口の扉が開かれた。
「失礼いたします。参上が遅れましたこと、深くお詫び申し上げます」
コツコツと革靴が床を叩く軽い音が室内に響く。
スメイラには見慣れた官服ではあったが、他のメンバーに倣ってか正装した出で立ちで現れたガーネの姿を見て、サイフィルはフォークを床に落としてしまった。
「はー!?聞いてないんだけど!?え、なにその格好!」
「サイフィルくんうるさい」
「え、サイフィルさんもしかしてガーネ様のお立場、ご存知無かったんですの…?」
『いつもの』様子のサイフィルの横を通過して、ガーネは女王の傍へ歩み寄り膝をついて最敬礼の姿勢を取った。
「ガーネか。待っておったぞ、体調はどうじゃ」
「此度は格別のご高配を賜り、十分に静養することが叶いました。ご配慮、誠に痛み入ります。にも関わらず参上が遅れました非礼、深くお詫び申し上げます」
「ふむ、大分顔色も戻ったな。楽にしてよい」
ディアマントは満足そうに笑みを浮かべると、彼女に一番近い空席を指差した。
「お前の席はここじゃ」
指された席は空席の、誰もが勝手に『ヘルソニアの席』だと思いこんでいた場所であった。
スメイラやサイフィルだけでなく、給仕もその指示には驚いた様子で一瞬動きが止まる。
ガーネは立ち上がり、指し示された席を見て普段からは想像もつかないような上品な笑みを返す。
「陛下のお傍に列するのみでも過分の栄に存じます。このような席次、身に余る光栄にございます」
サイフィルは見たこともないガーネの姿に目を丸くする。
「こ、こんなの俺の知ってるガーネクソ野郎じゃない…」
「……アレが…『名代ガーネ様』…なるほど」
一時噂になった例の『名代様』をここで見ることになるとは、と、スメイラは妙に感心した様子である。
「早く座れ。皆を待たせておるのがわからぬか」
「……では、恐れながらお言葉に甘え、拝座仕ります」
改めてガーネは一例してから、空席に腰を掛ける。
「給仕。ガーネも揃った、例のアレを皆に振る舞え」
「かしこまりました女王陛下」
ガーネが着席したことで、先程一瞬和やかになりかけた空間に再度別の意味の緊張が走った。
ディアマントとガーネがそのまま言葉を交わし会話を始めた様を見る限り、サイフィルたちの件の暴挙に対しての心配は払拭されたかと目配せをし合う。
ガーネも勧められた食事に口を付け始めたところで、サイフィルはようやくスメイラに小声で話しかけた。
「スメイラさん、…ガーネって何者だったの?名代ガーネ様、って」
未だ事情を知らないらしいサイフィルに説明しようと、スメイラはちらりとガーネに視線を向ける。
「…何者、って…そのままの意味だよ。あの子本人はああいう感じだから私もこんな感じで話してるけど、権力的には…国では三番目くらい、の序列に相当するんじゃないかな」
「そうですわ、わたくしも自分で言うのもなんですけれど、正直立場的にはわたくしよりも全然上の方でいらっしゃいますのよ」
「もっと早く教えてほしかった!」
サイフィルは数々の彼への暴言を思い出し、要所要所で返された「殺すぞ」が本当のことになりかねないと顔を青くした。
「あ、それは大丈夫でしょ。あの子それがデフォルトだし…ナチュラルに口のきき方がなってないのよ」
そんなある種『いつもの』会話をしている最中、それぞれの前にワイングラスが置かれ順に深紅に輝く葡萄酒が注がれた。
ディアマントはグラスを手にすると色味を確認するように軽く揺らし、鼻先を寄せる。それから唇を寄せて一口、静かに口に含んで喉に流し込んだ。
スメイラたちも、酒はそれなりに好んでいた。
特有の芳醇で重い香りに、まるで血を思わせるような深く鮮やかな色味。
一口含めば酸味も渋味も角がなく、驚くほど滑らかに喉へ落ちていく。
────それなのに、抜けたはずの香りが舌先と鼻の奥にわずかに残り、重みだけが静かに居座った。
「わ…美味しい」
思わず漏れる感嘆の声に、ディアマントは満足そうに笑う。
「これは妾の『とっておき』じゃ。お前たちが気に入ったようで妾も満足じゃ。……ガーネ、お前は無理に飲まずとも良い。ただでさえ酒が飲めぬ上に病み上がりじゃ、気にするなら舐める程度で構わぬ」
「……お心遣い、恐れ入ります」
ガーネは形だけ同じようにワイングラスに口を付け、一口だけ口に含んで喉に流し込んだ。
「……」
一瞬、ほんの僅かにガーネの眉が動く。
それから確かめるように、視線はディアマントの手元へと流れた。
「……陛下。御指にご負傷が。ご処置はお済みでいらっしゃいますか」
ディアマントの指先に、小さな切り傷を見つけたガーネは恭しく声を掛けた。
「まあ、陛下。わたくしが治癒魔法をおかけしましょうか?」
ガーネの言葉にディアマントの指先の怪我に同じように目を向けたカルセだったが、ディアマントはふ、と目を細め異様に優しく笑いかける。
「…何処かで切ったか。大したことではない、案ずるな。……ガーネ」
「はい」
ディアマントがいつものように名前だけを呼んで指先で『来い』と暗に示すと、ガーネも当たり前のように立ち上がり傍へ歩み寄った。
「舐めろ」
ガーネは彼女の傍に跪くと、差し出された小さく華奢な手をまるで硝子細工でも扱うかのようにそっと手に取り、なんの躊躇いもなく唇を寄せて言いつけの通りに傷口を舐めた。




