485話「緊張」
昼食を兼ねた休憩を終え、ディアマントを始めとした会談参加者は正装へと着替えに下がった。
ガーネは机の上に聞き込みで走り書きをした資料を雑に投げ置き、洗面所に向かうと蛇口を捻って冷水で顔を洗った。
幾分か頭がスッキリすると、小さく息を吐いてからシャツを脱いで真新しいものへと着替えた。
袖を通し、ボタンを留め、裾を仕舞い、ベルトを締めてからロイヤルブルーのネクタイを結ぶ。
腰にホルスターと剣帯を締めてから飾著や肩章、徽章を佩用して羽織り、ボタンを留めてマントを付けた。
最後に腰に拳銃を差して剣を佩いてから、儀礼用の白手袋を嵌めて鏡を確認した。
鏡に映る顔は珍しく緊張しており、最後まで導師タマス・シャーパハの情報が何も洗い出せなかったことが妙に引っかかっていた。
意図的に情報を消されたのか、そも、『タマス・シャーパハ』が存在しないのか、偽名なのか、色々な憶測が頭に過ってガーネは手袋を嵌めた手を見下ろした。
『特訓』は結局、『手を触れずに砂時計の砂を重力を無視して上げて、そこに留める』という初級の中の入門編らしい内容までしか習得出来ていない。その事実もまた、ガーネに大きな焦りをもたらしていた。
『また』、役割を全う出来ない役立たずになってしまったらどうしよう。
役に立たない、噛み付け無い犬扱いをされ、『捨てられたら』、『もういらない』と言われたら。
ガーネの中の蓋をした一種のトラウマのようなものが、じわじわと滲み出てくるのを感じた。
────また、『お前の顔など見たくもない』と、あの目を向けられたら、どうしよう。
少し呼吸が浅くなるのを自覚し、無理矢理小さく頭を振ってガーネは部屋を出た。
真っ赤な絨毯の敷き詰められた廊下に、ガーネのブーツの靴底が触れる音が吸収されて鈍くくぐもって響いた。
ディアマントの滞在する部屋の前に立ち止まり、扉をノックする。
中からいつもの水晶のような美しく澄んだ声で入室を促す声が聞こえると、ガーネはひどく安堵してドアノブを下げて扉を開いた。
「陛下、お迎えに上がりました」
「…うむ」
深紅のドレスに琥珀色のサッシュ、きっちりと編み込み入りのローノットでまとめられた髪にティアラを冠して立っていた。
「ガーネ」
「ん?どうした」
なぜかいつもよりも優しい声が出て、ガーネ自身一瞬戸惑ったものの、ディアマントに呼ばれて入口から傍に歩み寄った。
「アクセサリー、昨日の真珠を付けたい」
恐らく以前の開庭招宴の際に、まだ自分が家督を継ぐ前だったために『一臣下として』贈ってもギリギリいやらしくない100万前後のロイヤルブルーサファイアのチョーカーを着けようとして『女王がそんな安物を着けるな』と説教をしたことを覚えているのだろうと思わず笑いがこぼれた。
「お前、その真珠買ってやった時傍にいたのに値段見聞きしてねぇのか。超希少で最高品位の瑞月真珠、地金24金、ペンダントとピアスセットで1億2000万だ。全然着けていいよ、値段だけなら。…でも今日のドレスには『可愛すぎ』なんじゃねーの?無難にダイヤとかにしたら?」
「いやじゃ、ガーネに貰ったものがいいのじゃ」
「はは、なら真珠がいいな。可愛いから」
侍女長がケースに入ったペンダントとピアスを敢えてガーネの元に持って来ると、ガーネはケースからピアスを取ってディアマントの小さな耳へ丁寧に付け、ペンダントを手にしてディアマントの背後に回り、正面に腕を回してペンダントを首の後ろで留めた。
正面にある大きな姿見越しに、深紅のドレスに映える白い肌と白銀の髪、細い首元から普段よりやや少し深めに開いたデコルテラインを飾る瑞月真珠と美しい顔をより華やかに主張するように、小さな耳から揃いのピアスが繊細に揺れていた。
「今日も綺麗だ。可愛いよ」
「うむ。…ガーネ」
「うん?」
鏡越しに視線の絡んだガーネの髪と瞳の色がリンクする深紅のドレスを纏ったディアマントは、ガーネの左手をそっと取り手袋の下で自分と揃いのサファイアのブレスレットが輝くのを見て満足そうに笑みを浮かべた。
「…だいすき、ふふ」
「はぁ?なんだそれ、可愛い」
「緊張しておるのか」
「んー、まぁ。…緊張っつーよりは、得体の知れないマインドの連中が得体の知らないポイントで得体の知れない爆弾ぶん投げて来たらどうしようって懸念が強いかな」
ガーネの返答に、ディアマントも表情をやや曇らせて少しだけ目を伏せ小さく息を漏らした。
「正直な話し、あの場ではああ言ったが…さすがの妾も少し引いておる。妾も自分で自分を比較的容赦の無い方だと思っておったし、妾の愛犬も妾以上に容赦ないと思っておったが、あの話を聞くと我が愛犬が急にチワワに思えた」
「まぁそのチワワも節操なしに殺し回る殺人鬼じゃなくて、一応お巡りさんだからな。お前の謎配慮で警察身分は死んでないから、現役の」
「ふ、ぴったりではないか。『犬のお巡りさん』じゃ」
「差し詰め、お前は迷子の子猫ちゃんか」
互いに冗談を言い合って小さく笑ったところで、ディアマントは近くのソファーにちょんと座らせたシロクマのぬいぐるみを一瞥し、ガーネの顔を見上げた。
「子猫ちゃんの妾、ゆきちゃんも連れて行きたい」
「駄目だろ。お前、さすがにわかってて聞いてるだろ」
「妾が納得出来る理由を言えば、今日は大人しく引き下がる」
「また化学の授業して欲しいならしてやるけど。まぁ今日は時間ないから真面目な理由で言うと、『人形の類は媒介にされる可能性が高い』から絶対駄目。魂の器にされる」
「フン!」
「言い返せないでやんの。……クマは留守番させて。ここはカルセが結界張ってるから安全だ」
ガーネはディアマントの隣に移動し、手を差し出した。
「さ、『女王陛下』。時間です、行きましょうか」
「…うむ」
ディアマントは差し出された手にそっと自分の手を重ねて、部屋を出て控えていた警備のジェレイド・エーリックを始めとした一同と合流し、会談会場である迎賓館東館、大広間へと向かって歩いた。




