479話「ワインのシミ」
ウィースト・オエィセの極西区は隣国メイジーエ皇国と隣接する辺境の地である。
この地を管理・守護する、ロウブス・グレインズ・シューツェン辺境伯の住まう邸宅へと招待されており、一同馬車に乗り込み移動した。
「そういえばガーネ」
「なんですか」
ディアマントが馬車内で思い出したように声を掛け、正面に座っていたガーネはディアマントへと視線を向け返答した。
「お前、少し前に『ここの辺境伯はトーパスの派閥だ』と言っておったな。シューツェン辺境伯はゲルブ辺境伯のような『面倒くささ』はあるのか」
「あー。そうですね、ぶっちゃけ『あの派閥』はトーパスが厄介なだけで他は多分普通だと思いますよ。ただ、辺境の地の守護の要を担うゴリゴリの軍事派なので脳筋で上下関係は大体厳しいかなとは思いますけど。陛下より上の人間なんかこの国にはいないんでそこまで気にしなくていいです。つーか今更ですけど、周りから見えるトーパスの厄介さは別としてですけど、陛下もヘルソニア様も『あの男がなんで厄介なのか』は別次元の別問題だってわかってるでしょ。シューツェンはそういう意味での厄介さとか面倒臭さは皆無なんで、礼を欠かなければ特に問題ないですよ。メイジーエと直接睨み合ってる辺境の地の守護なんで、頭は悪くないし腕っ節は間違いないと思います」
「ふむ、お前がそう言うならそうなのか」
「ほら、前にトーパスの王都邸宅招かれたでしょ。陛下が認識してるかどうかはわかんないですけど、あの時いましたよ。ダーツやってウィスキーをロックでガバガバ飲んでた体格のいいデケェオッサンです。直接話はしてないけど、他の貴族との会話聞いてた感じ『情に厚く礼を重んじる』って印象です」
「……其方、よく見ているな」
「あの時絶賛『好き避け』発動してましたからね。意図的に小娘視界に入れないように目合わせないようにしてたらいつも以上に周辺の会話拾ってましたわ。まぁあの派閥連中に警戒してたのもありますけど、ビリヤードとポーカーっつーお遊びとは言えトーパスは完膚なきまでに叩き潰したんで、あの野郎より『俺の方が上』です。俺自身も爵位持ちじゃないけど、家の家格で見ても辺境伯如きより俺のが上なんで色々と問題無いです。あの野郎がどう思ってるかは別ですけど。でも、新年拝賀でのトーパスの俺への態度見たら一目瞭然でしょ」
ガーネが妙に詳しく貴族の情報を語る様子に、ジェレイドは改めて感心したような恐怖したような、自分自身も貴族であるために何とも言えない顔をしてガーネを見た。
「…毎度思うがガーネ、君のその情報はどこで仕入れて来るんだ」
「どこって、まぁ色々かな。元々の俺の警察としてのコネもあるし、その手腕を駆使しての事前調査もあるし、個人的に飼ってる『耳と目』もあるし、あとはグリーチェウトの名前を継いでからはそっちのツテも色々と使えるし。家督継ぐのなんかめんどくせえと思ってたけど、あの名前は『裏』でも幅利くからなぁ。便利になったよ」
悪どい顔をして笑ったガーネにどこか薄ら寒い何かを感じたジェレイドは、『ガーネが敵でなくて良かった』と小さく息を漏らし、その様子にディアマントとヘルソニアは薄く笑みを浮かべた。
「妾は本当にいい犬を飼育しておる」
「いい餌下さいね、陛下。俺の誕生日の時のどエロい下着は最高に可愛かったなぁ、またあんなの着て下さい」
「考えておこう。今度、妾の足でも舐めさせてやろうか」
「めっちゃご褒美じゃん」
小さく鼻で笑ったディアマントは、言葉と表情の妖艶さとは裏腹に膝に抱いた揃いのリボンをあしらい直したシロクマのぬいぐるみのリボンを整え直し、毛並みを整えるように丸い腹部の辺りをふわふわと指先で撫でた。
「陛下、貴女ぬいぐるみは晩餐の場には禁止ですからね。別室で食事をする誰かに預けなさい」
「いやじゃ、妾のゆきちゃんじゃ」
「いけません。また没収しますよ」
「いやじゃ、ヘルソニアのばか」
「陛下、クマ白いんだから汚しますよ。俺預かります」
「いやじゃ、妾が連れて行くのじゃ」
面倒そうな顔で小さく舌打ちを漏らしたガーネは、少し考えて脅す方向にシフトチェンジした。
「うっかり者の給仕が、シロクマにワイン零したりして」
「えっ」
「特務に預けてたら、別室だし護衛任務中だし、連中は水しか飲まないから飲み物のシミが付くようなことないと思いますけどね。俺は陛下の護衛はしますけど、うっかりワインがかかる可能性があるぬいぐるみの護衛までは出来ない。俺が守るのはぬいぐるみじゃなくてお前だからな。ワインのシミは取れねぇぞ、アントシアニンのフラビリウムカチオンが酸化的縮合を経て高分子化し、タンニン由来オルトキノンとの共重合体を形成することでセルロース基質への多点吸着および準共有結合的固定化が進行するからな」
「????」
ガーネはディアマントを言いくるめるためにわざと難しく分かりにくい説明をしたが、案の定ディアマントは頭の上に疑問符をいくつも浮かべて困惑した顔をした。
プライドから『なるほど全くわからん』とも口に出せずに助けを求めるようにヘルソニアやジェレイドへと視線を向けるものの、ヘルソニアはガーネの機転の効かせ方への感心を露わにしており、ジェレイドもディアマントと同じようにガーネの説明が全く理解出来ない顔をしていた。
「わ、わかった。そこまで言うのなら仕方がない。妾も、あん、アントシア……ええと、タンニンの固定じゃ!」
「そうそう、さすが陛下。赤ワインによる繊維汚染が難除去性を示す主因は、ワイン中に高濃度で存在する縮合型ポリフェノール、主としてプロアントシアニジン由来タンニン類およびフラビリウムカチオン骨格を有するアントシアニン色素群が、空気中酸素および微量金属イオン存在下で逐次的な酸化重合反応を起こすためなんで。よくご存知ですね」
「しゅくごうがたぽり……、ぽ…ぷろ……フラビ、えっと、そうじゃ!妾もそう思う!ガーネは妾ほどではないが、そこそこわかっておるようじゃ、妾もそう言おうと思っておった!」
「なら、シロクマは俺が特務のスメイラかラズリに預けますね。あの2人が一番安心なんで。カルセは俺らと一緒の部屋だし」
「うむ!」
まんまとガーネがわざと小難しく説明したお陰で言いくるめられたディアマントは、知ったかぶりをしたのを必死に隠した顔をしつつようやく見えた辺境伯邸宅へと馬車の窓越しに視線を投げて誤魔化した。




