416話「ゆきちゃん」
「おう、お疲れさん」
「ひ、人使い荒くない…!!?」
約2時間後、へとへとになって特務室へと戻って来た一同を書類の整理をしながら出迎えたガーネは、時計を見て横柄に背もたれに寄りかかった。
「今夜の夜勤は誰だ」
「あたしとカルセちゃん…」
さすがのアメジも疲労困憊といった顔で自席に突っ伏しながら返答し、カルセも椅子に腰を下ろして疲労たっぷりの吐息を漏らした。
「そうか、ならサイフィルとラズリとスメイラ。王城周りを全力疾走で一周、歩いてもなんでもいいからクールダウンでもう一周の合計二周したら上がっていい。寝る前はしっかりストレッチしてゆっくり休め」
ガーネの容赦のなさ過ぎる言葉に名前を呼ばれた3人は絶望したような顔をして膝を折った。
「ま、まだやるの…!?」
「やらなくてもいいが、走るのと俺と組手どっちがいい」
通常時であってかつ今の『弱体化した』ガーネ相手であっても、組手などしてまともにガーネに勝てるはずがない。スメイラの想定ではあるものの、おそらくこの『特訓メニュー』もゆくゆくはガーネと組手まがいのことをせざるを得ないであろうとは覚悟しつつも、今ではない。今のこの状態でガーネと組手だなんて、命がいくつあっても足りたものではないと、3人は顔を見合わせて覚悟を決めたように小さく呟いた。
「は、走ります…」
「アメジとカルセは訓練場を15分全力疾走して夜勤に入れ。そんで明日の休みは1時間王城周りを走ってストレッチしたら上がって明日はそれ以外なにもしなくていい」
「ガーネ、性格悪いって言われない?」
「残念ながらよく言われる」
肩を竦めて鼻で笑いながら指先でペンを回して手元の書類に視線を落とした。
くるくると回したペンを持ち直して紙にペン先を走らせ始めたのを見て、全員諦めた顔をしながら夜勤の2人は訓練場へ、退勤予定の3人は言いつけ通り外へと向かって行った。
*****
「────…で?なんだよ呼びつけて」
仕事がある程度片付いてガーネは約束通りディアマントの私室に訪れ断りも無くソファに座ると、ディアマントは得意げな顔をしてシロクマのぬいぐるみを見せた。
「名前が決まったのじゃ!」
「そーですか」
ぬいぐるみや人形に名前を付ける行為を幼少期にした経験のないガーネではあったが、『愛着行動』や『安心感』などの心理でそういうことをすること自体は理解はしていたし、実際見た目や実年齢にそぐわない程に精神年齢が幼いところがあるディアマントであるためそれに対して馬鹿にしたり否定したりをするつもりは一切なかった。
現に、実際にいくつなのか少なくとも4000年と23年以上はこの世界で生きている彼女であるが、その期間で城の外に出たのは僅か16回程度。鋼鉄製の箱に入れられた超絶箱入り小娘であり、世間知らずなだけでなく甘やかされて育っている。
「お前可愛いよな」
「なんじゃ突然!妾は美しく愛らしいのじゃ!可愛いのも当然じゃ!」
「はいはい女王様。で、そのクマのぬいぐるみの名前なんて言うんですか女王様」
「『ゆきちゃん』じゃ!」
「ゆきちゃん?なんで?」
「ふふん」
ディアマントはシロクマのぬいぐるみを大切そうに抱き締めてガーネの膝の上に座って甘えるように凭れかかった。
「白いからじゃ!」
「ぶ、…それだけ?」
思わずといった顔で吹き出したガーネがディアマントの腰に手を添えて身体を支えた。
「それだけではない、ゆきちゃんを買ってもらった日は雪が降っておった!それと、妾がガーネに贈ったネックレスも雪の結晶じゃ、あとはガーネにもらった石もアイスブルーム、雪の宝石じゃ!だからゆきちゃんじゃ!」
「へぇ」
ガーネにしてみればただのぬいぐるみではあるものの、ディアマントにとっては名前を付けるほどに大切なのかと思うと与え甲斐のある喜び方をするものだとガーネも小さく笑った。
「なぁ」
「?なんじゃ」
「俺とそのクマ、どっちが大事なの」
「…は?」
「なぁ、どっち」
「ガーネじゃ、でもガーネにもらったゆきちゃんも大事じゃ」
「フーン。俺だけじゃねぇんだ」
「な、なんでじゃ!ガーネが一番大事じゃ!」
「当たり前だろ」
あまりにも慌てふためいた顔をしたディアマントを見て肩を揺らして笑いながら、ガーネはそっとディアマントの小さな顎先を指で持ち上げた。
「俺のこと、何番目に愛してんの?」
「何番とかはない、ガーネだけ愛しておる」
「ふ、合格」
至近距離で視線を絡ませ、ディアマントの蜂蜜色の瞳を見つめながらゆっくりと唇を重ねた。
唇が触れ合うとディアマントの双眸が静かに伏せられ、瞼の縁を飾る長い睫毛が少しだけ震えていた。
「キスしにくいんだけど。クマ邪魔」
「クマじゃない、ゆきちゃんじゃ」
「フーン、あっそ。じゃあもうキスしない」
「な、なんで!」
「邪魔、降りろ」
「嫌じゃ嫌じゃ!」
「ならクマ退けろ」
「ゆきちゃんじゃ!」
「あーあ、忙しい中時間割いて部屋来てんのに。クマ以下か俺は。仕事戻ろっかな」
「いやじゃ!一緒に寝るのじゃ!」
加虐的な色に染まったガーネの双眸が真っ直ぐにディアマントを捉えると、妙に傲慢で意地悪な口調で背もたれに腰を支えていない方の手を置いて肘をついた。
「なら、どうやって俺にオネダリするんだ?どうやって俺に乞うのか、わかるだろ」
ディアマントは素直に小さく頷きながら、両手でシロクマをソファの座面に座らせるように置いてから『教え込まれた』所作でガーネの首元に腕を回し、自分から唇を寄せてガーネにそっと口付けて薄く唇を開いた。
「よく出来ました」
満足そうに重なった唇の隙間から言葉を漏らしたガーネは、ディアマントの『ご所望通り』に舌先を唇に這わせてから丹念に味わうようにその柔らかく小さな唇を甘噛みして口付けを深めた。




