410話「本性」
「……もう、食べたくない」
「ほとんどお召し上がりになっていらっしゃらないですよ」
「……味がせぬ」
食事のほとんどを残してカトラリーを置いたディアマントは溜息混じりに呟き静かに立ち上がった。
実際に味がしないわけでも、味がわからないわけでもない。
ディアマントの中で色々と思うことがありすぎて、喉を通らなかった。
交換日記を書類に挟んで渡したのが朝、そこから数時間経過し、夕餉の時間も終わり、湯浴みも済ませ日付けが変わろうとしていた。
こんなにも1日が長く果てしなかったのはいつぶりだろうかと、ディアマントは侍女長が気を使って淹れた温かく甘い蜂蜜レモンティーを飲み、私室のベッドの縁に座ってぼんやりとシロクマのぬいぐるみを眺めていた。
「……陛下、昨日もほとんど眠れていないでしょう?早くベッドに横になりませんと、また明日も1日優れない中で過ごすことになりますわよ」
「…ん」
ふぅ、と女官長が溜息を漏らし、隣の侍女長に目配せをした。
女官長から『明日の公務は調整する』と指先で合図を受けた侍女長は小さく頷いたところで、ノックも何も無く扉が乱雑に開かれた。
一同、ビクリと肩を揺らして開いた扉を見ると、感情の読み取れない無表情のガーネが雑に扉を後ろ手に閉めたところだった。
「…ディアマント、そこに座れ」
ガーネの低い声と共に顎でソファを示され、ディアマントは戸惑った顔でシロクマを抱き締めてガーネを見上げた。
「聞こえねーのか、座れと言ってる」
「と、特務総監様!なんですか、ノックも挨拶も無しに突然陛下の部屋に!」
女官長がさすがに苦言を呈するように割って入って声を上げるも、ガーネは知ったことかと言わんばかりの冷ややかな目を女官長と侍女長に向けた。
「俺は今『騎士』でも『特務総監』でもない、『この女の交際相手』として来ている。口を挟むな、部屋から出ろ」
「…特務総監様」
「聞こえなかったのか、命令だ。部屋から出ろ。……ディアマントお前はさっさとそっちに座れ」
まるで尋問をしている時のような声の圧に、ディアマントはシロクマを抱き締めたまま大人しく立ち上がってガーネが指し示したソファにちょこんと腰を下ろした。
侍女長が女官長の肩に触れ目配せをし、一礼をしてから部屋を出ていくとようやくガーネとディアマントは2人きりになった。
ガーネが小脇に抱えた交換日記のページを捲り、最後にディアマントが書き記したページを開いて叩きつけるようにディアマントの目の前のローテーブルに雑に置くと、ガーネの剣幕に少し怯えたディアマントはビクリと肩を揺らしてガーネを見上げた。
何度も言い訳のような何かを書いてはぐしゃぐしゃに書き消した跡で黒くなったページは、数箇所何かの雫が落ちたように紙がふやけて歪んでインクが滲み、下部の余白にディアマントの字で小さく『ごめんなさい』と一言だけ書き記されていた。
「お前は一番よくわかっていると思うが、俺は女相手だからと容赦しねーぞ。泣いたからと言って絆されると思うな。わかったな。わかったら、何についての謝罪なのか説明しろ。お前の口で、何が悪かったと思ったのか」
「……わ、わ……妾、が…やきもちを、妬いた…でも、それで怒らせたのではなくて、あの、……妾、……妾が…、妾は、さみしかったと、すなおに、…一緒にいたかった、好き、大好きだからッガーネの、いちばんがよかったから…だから、妾、よくばったから…!っわ、わらわは…、『結婚したい』のではなくてッ……『ガーネだから一緒にいたかった』からっ、妾はガーネと、ずっといっしょに、いる、ひっく…だって、ずっと、いやじゃ、だって…!妾はずっとずっと、ずっと好きだったのに!だから、『前は出来なかった』からお前と『契約』を結びたかったから、それが、結婚だった、けどっガーネのきもちをないがしろにしたかったわけじゃない、うまく言えなくてっ、ッふ…すき、だからッかたちがほしくて、よくばったけど…!ごめ、なさっごめんなさい、ごめんなさい…!」
話せば話すほどに上手く言葉に出来ずにしどろもどろになっていき、遂には耐えきれずにぼろぼろと大粒の涙を溢れさせて嗚咽を漏らし始めた。
ずっと『女王として』泣くことを耐えていたディアマントであったが、ガーネが瀕死の淵から目を覚ました時にも泣き顔は見たことはあってもこんなに子供のようにしゃくり上げて泣いたのを見たのはさすがに初めてであった。
だからと言ってガーネは表情を何一つ変えず、恐らく初めてか言ったにしても数千年振りに発したであろう『ごめんなさい』という単語を何度も紡ぎながら泣きじゃくる顔を見下ろし、相変わらず冷えた顔で腕を組んで見下ろして落ち着くのを黙って待っていた。
泣かれるだろうとは想像していたが、ここまで子供のように泣くとは思っていなかったからである。
「……落ち着いたか」
「…………」
こくんと小さく頷き、目元を真っ赤に腫らしたディアマントと視線が絡んだ。
「俺はお前との結婚を全く考えていないわけじゃない。子供が考えられないだけだ。することはしてるわけだし、もし孕ませちまったらそりゃ当然男として責任は取るつもりだ。でも俺は自分の『忌み子』の血を大事なお前の血縁として引き継がせるのも、それを『出産』という身体的リスクをお前に背負わせることを考えると怖い。……俺は、その気持ちはお前は汲んで理解してくれていると思ってたよ」
「……、…」
そうじゃない、と言いかけて開いたディアマントの唇が震え、何も言えないままに再び口を噤んだ。
据えた灸が多少キツすぎたかとガーネは小さく息を漏らし、目を細めてディアマントを見下ろした。
視線だけでビクリと肩が震えたのを見て、そろそろ十分かとトドメを刺すことにしてガーネは口を開いた。
「先日も言ったが、お前が『結婚』や『出産』を望むのなら俺は身を引く。これで終わりにしよう」
「い、いやじゃ!いや!ごめんなさい!」
「お前は『昔も』俺に舐めたこと吐かしたよな。『もう知らない』だっけ」
「ちがう!いやじゃ!!」
「何がどう違ぇんだよ、言ってみろ」
ガーネの左手がディアマントの細い首を掴み、僅かにギリッと力を込めた。
「お前は『また』俺を捨てるのか」
「ち、が…ッかは、…っガーネ…!」
「『昔みたいに』お前を殺して、俺も死のうか。そしたらずっと一緒にいれるな。どうする。……昔みたいに他の野郎に手篭めにされるくらいなら、俺はお前が女王だろうとなんだろうと容赦なく殺すぞ」
苦しさと恐怖に、金色の双眸が再び涙で潤むのを見てガーネはようやく満足して乱暴に手を離してディアマントの身体をソファに押し倒した。
「俺から逃げられると思うなよ、お前は俺のモンだ。俺だけがお前を愛しているんだ。わかってるな」
「げほっ!かは、ごほっ、ゴホ…!」
「ああ、可哀想に。こんなに噎せて。怖かったか」
ディアマントは噎せ込みながらガーネに縋るような視線を向け、ガーネに腕を伸ばして身体を起こし、ガーネのシャツを控えめに握った。
ガーネはその様子を見て満足そうに息を漏らし、ディアマントの顎先を掴んで真っ直ぐに顔を見つめた。
「……ディア、俺のこと好きか?愛してる?」
「すき、愛してる…!だから妾のこと見捨てないで、妾とずっと一緒にいて、もう1人はいやじゃ!妾、っ…わらわは、ガーネじゃなきゃいやじゃ…!!ごめんなさい、もう知らないなんて言わないからっごめんなさい…!」
「おいで」
隣に腰を下ろしたガーネの膝上に座ったディアマントは、子供のようにガーネの首元に両腕を回してしがみつき何度も小さな声でごめんなさいと呟きながらしゃくり上げた。
「…怖かった?」
「こわ、かったっ」
「ディア」
「な、……なんじゃ」
「お前は俺のことだけ愛してりゃいいんだ。子供なんて、俺以外に愛を向ける対象なんか望む必要はない、いいな」
涙で濡れたディアマントの目元と頬を掌で拭ってやりながらまるで幼い子供に言い聞かせるように妙に優しい声で言ってのけるガーネに、ディアマントは酷く安心したように顔を緩めて何度もこくんと頷いた。
「ディア、愛してる。……次はねーぞ、殺すからな。お前を殺して、俺も死ぬ」
「…愛してる、ガーネ」
ディアマントがガーネの首元に腕を回して抱きつき首筋に顔を埋めると、ガーネもまたディアマントの華奢な身体を抱き締めた。
そうして、酷く醜悪かつ満足そうな笑みを零しながら目の奥を光らせ1人静かにガーネは舌なめずりをして柔らかな髪を撫でて普段よりも念入りに甘やかした。




