408話「なみだの味」
「陛下、夕餉の支度が整いましたよ」
「……食べたくない」
「…かしこまりました。お召し上がりになれそうでしたらお声がけください、ご用意し直しますので。先に湯浴みをいたしましょうね、支度して参ります」
多少仕事は残ってはいたが、とても仕事になるような状況では無くディアマントは私室に籠ってソファで膝を抱え泣きそうなのをひっそりと耐えていた。気付けばあっという間に夕餉の声がかかる時間になっていたが、到底食べられるような気持ちになれずディアマントが拒否を示すと、侍女長もそれを見越していたかのような返答をして再度部屋を出て行った。
無駄なプライドもあり泣くことはなんとか堪えてはいるものの、自分に向けたガーネの怒鳴り声を思い出すと心臓が鷲掴みになるような感覚に陥る。ガーネのあの怒鳴り声自体は何度も聞いたことがあった。しかし、現場指揮や他者への叱責以外で直に自分にそれを向けられたのは初めてで純粋かつ単純に怖かったのと同時に、日頃ガーネがいかに自分に優しく、配慮をしていたのかというのが今更になって思い知らされるようでシロクマを抱く腕が震えた。
そうさせたのは自分だということもとっくにわかっていたし、頭の片隅ではガーネが何に怒っていたのかなんてもっと前からわかってはいた。
それを上手く言語化出来ず、素直になれずに時間が過ぎれば過ぎるほど、どんどんとそれが拗れてしまい、遂には『身を引いた方がいいのかもしれない』まで言わせてしまった。
その言葉は恐らく、半分は本心であろうと想像にかたくない。
少しして、侍女長が普段と同じような声で湯浴みの用意が出来たと呼びに来て、ディアマントはようやくソファから立ち上がった。
侍女長と共に脱衣室に入り、控えの侍女数人がディアマントの宝飾品を丁寧に外し、ドレスを脱がせ、コルセットと下着を順に外していった。
ディアマントを椅子に腰掛けさせた侍女長が、丁寧に長い髪にブラシを通してからシャンプーで地肌を丹念にマッサージしながら洗髪をし、泡が残らないように濯いでから香油で髪を整える。
その間に他の侍女がディアマントの全身をまるで繊細な硝子細工の手入れをするように、首筋から足の指先まで洗い上げた。
一時からまるで『見せつける』ように、侍女が毎日丹精込めて磨き上げた白い肌に刻まれた所有印のような鬱血痕は、首筋も背中も胸元も、下腹部も、内腿からも、すっかりどの痕も薄まって跡形もなくなっていた。
全身の泡を湯で流し、ディアマントはようやく湯船に身体を沈めた。
「夕食をお召し上がりになっていません、飲み物と果物を一緒にお持ちして」
「かしこまりました侍女長様」
侍女長が控えの侍女に命令をして下げさせ、ディアマントの長い髪を丁寧に布で包んで整えた。
「陛下、今日はあまり長湯をされませんように」
「……うむ」
声に覇気がなく、『先程』のことを引きずっているのは目に見えて明らかであった。
別の侍女から受け取ったジャスミンティーと苺を近くに置き、他の侍女を全て下げさせ侍女長が近くに控えた。
ディアマントは小さく息を漏らしながら苺を指先で一粒摘み上げ、何も言わずにそのまま齧り付いた。再び少し泣きそうになり、きゅっと瞼を閉じて無理やり涙を押さえ込み苺を飲み込むと、溜息で誤魔化すように震えた吐息を吐き出して湯船に口元まで身体を沈めた。
「……陛下、そろそろ上がりましょう。逆上せてしまいますわ」
「……ん」
素直に小さく頷き、浴槽から身体を上げた。侍女長の手を取り立ち上がり、控えの侍女が布で身体の水気を拭った。
そのまま全身を化粧水や香油で整え、下着を身に着けて椅子に腰を下ろした。
新しいグラスに冷えたレモン水が用意され、ディアマントがゆっくりとそれを飲んでいる間に侍女長が髪を丁寧に整えて乾かし、他の侍女も爪の手入れをし始めた。
「陛下、御夕食はいかがなさいますか?軽くにしましょうか」
「……あまり、食べとうない」
「いけませんわ」
「…だって……あの男は、食べておらぬ…!」
「だからと言って陛下がお召し上がりにならない理由にはなりません。雑炊で構わないので、お食べ下さい」
「でも!」
「でもではございません!いい加減になさいと朝から何度も申し上げております!」
再びビクリとディアマントの肩が揺れるのと同時に、普段穏やかで声を荒らげることのない侍女長の叱責の声に他の侍女も同じように僅かに肩が揺れた。
「あなた、厨房に雑炊を用意するようにお伝えして」
「か……かしこまりました、侍女長様」
再び無言でディアマントの髪を整えてから寝着を着せ、侍女長はそのままディアマントを私室へと促してソファへと座らせた。
少ししてから盆に載せた雑炊と数品の小鉢を侍女が配膳し、侍女長はそれを確認してからディアマントに一礼した。
「わたくしは下がっておりますので、お食事が終わりましたらお声がけください」
ぱたんと扉の閉まる音が妙に大きく響き、ディアマントは匙を持って雑炊を掬い上げた。
ふーと息を吹き掛け一口口に食み、ゆっくりと咀嚼して喉を通過させた。
「……しょっぱい」
ぽろりと一粒だけ押さえ込み切れなかった雫が蜂蜜色の瞳から零れ落ち、小さく鼻を啜ってディアマントは雑炊を食べた。




