407話「堪忍袋の緒が切れる」
小一時間半ほどしてから、アメジが「あと1時間くらいであたしたちも『日課』の時間だけど、陛下どうしましょ」と書いたメモ紙を回して来た。スメイラは順に回ってきたその紙を見て、『まるで授業中の手紙回しみたい』とどうでもいいことを考えながら余白に「予定通り、『日課』こなそう。先輩はガーネくんの点滴の用意、普段通りして来るでしょ?」と書いてラズリに回した。ラズリもその紙を見て小さく頷き、妙にしんとした室内でそれぞれの一応ある仕事をこなしていると、ガーネが外出から戻って来た。
「たでーま、寒かった」
「お帰りなさいませガーネ様、なにか温かいものご用意いたしましょうか」
「白湯だけくれ」
外套を脱いだガーネが自席に向かうと、部屋の奥のソファにディアマントと困り顔の侍女長女官長の姿が見え、一気に表情が冷え込んだ。
「まだいらしたんですか。陛下、ご自分のご公務は終わったんですか」
「わ、妾は…お前と話したい!」
「それは『業務』ですか」
「違う!」
「でしたら朝お話しした通りです。業務でないのならご遠慮させていただきます」
自席に腰を下ろしたガーネが机に書類と地図を広げ直したのを見て、ディアマントはシロクマをソファに置き、立ち上がってガーネの傍に駆け寄った。
「ガーネ!話がしたい!」
「どんな話ですか」
話を聞く気があるのかないのか、ペンを握ったガーネが素っ気なく返したのを聞いてディアマントは言葉を選ぶように少しだけ視線を泳がせた。
「わ、妾が休むなと言ったのは、妾の…わら、わ…妾が…」
普段謝るということを一切しないディアマントがなんと言葉にしていいかわからない様子で、声音に涙の滲んだ音を乗せドレスをきゅっと握った。
「…や…休むなと、言って、あの、…嫉妬…えと……あと、あの、ガーネに…怒鳴ったから、あの…ガーネ」
ディアマントの並べた単語を聞いたガーネの手がピタリと止まり、ディアマントはようやく話を聞いてくれるつもりになったのかとほんの少しだけ表情が晴れた瞬間、ガーネの手元でペンがばきっと音を立てて折れた。
「……お前、本気で言ってんの?」
静かなガーネの声が特務室内に響き、立ち上がったガーネはディアマントを酷く冷えた目で見下ろした。
特務の一同は、ガーネの『この様子』に覚えがあり口を噤んだ。数ヶ月前に、ガーネが元交際相手に対してブチギレた時に見覚えがあったからである。
こんな目でガーネに見られたことがないディアマントは、一層なんと言葉を紡いでいいかわからずに瞳を揺らし、逃げるように視線を宙に漂わせて泣きそうに震える声で必死に何かを言おうと言葉を並べた。普段の自分に向ける目付きが悪いながらもどこか優しさを孕んだ目でもなく、かつて自分が言葉を間違えて必要以上に線引された時の職務だけを全うする時の目でもない。怒りや苛立ちと失望に似た何かが混ざった冷ややかな目に、ディアマントは小さく喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
「ガ、ガーネ、…妾は……ちが、…だから、おまえの」
「俺はお前のこと、なにも考えなしに一時的な感情で抱いたわけでも『付き合う』って決めたわけでもない。考えたからこそ、あんなクソめんどくせぇ手続き踏んで継ぐ気もなかった家督も継いでんだよ。あの家は継げば公爵相当、女王であるお前に縁談の申し込みをしても相応な家格だ。いいか、家を継いだ理由の大半はお前との将来を考えたからだ。だけどそれ以上に、俺がいくら政治に興味関心がないとかそういうのはどうにでもなるにしても絶対に付き纏うのは『世継ぎ』だなんだって子供の話だ。…俺はお前になんて言った?俺は、自分が『忌み子』だと言われた血を出産のリスクを背負わせてお前に産ませたくないって話を再三してたはずだ。それが伝わっていない挙句5歳のガキにしょうもないやきもち妬いて自分の感情で怒鳴り散らして『休むな』だぁ?」
「ガーネ、妾は」
「この際お前の『言葉のあや』なんかどうでもいい、今に始まったことじゃないからな。対象が俺だからまだ良いが、お前は女王の癖に自分の感情で臣下に『休むな』だの無茶を言ってんだぞ。わかってんのか」
「だから妾は」
ディアマントが何かを言おうと口を開くも、『違う』とも『そうじゃない』とも、『そんなつもりじゃない』も、口から出ようとする言葉はどれも違う気がしてなお何も言えずに唇を結んだ。
「…そんなに結婚したいのか。そんなに子供が欲しいのか」
「ガーネ」
「だったら俺はそれを叶えてやれない。…俺は、身を引いた方が良いのかもしれねーな」
「ガーネ…!」
「お前はほんとにそれがわかんねーバカ女なのか!ふざけんな!」
初めて自分に向けて怒鳴ったガーネの声が腹の奥に響くような感覚に、ディアマントはビクリと肩を跳ねさせて困惑した顔でガーネを見上げた。
「…おい!連れて帰れ!」
ディアマントに視線もくれずに侍女長と女官長に怒鳴りつけると、再度ディアマントの肩がビクリと揺れた。
現場で不特定多数に向けて怒鳴る声が、今は対象が自分のみに怒鳴りつけられている。単純に怖くて何も言えなくなったディアマントのシロクマをそっと抱き上げた侍女長がディアマントの肩にそっと触れ、「戻りましょう」と静かに声をかけ、なんとか涙をこらえながら小さく頷いたのを見て女官長と共に特務室を後にした。




