406話「おいしいごはん」
その日の昼過ぎ、ガーネは机に広げた地図と書類を照らし合わせて書き込みを加えながら小さく唸りつつペンを指先で回して考え込んでいた。
「どうしたのガーネくん」
「完全に自責だが、座標が合わん。測定し直しだ。寝不足は駄目だな」
スメイラが声をかけガーネがとんとんと指先で地図を叩いた。
ほんの2、3日前にガーネが自分で結界監査を行ったものであるが、完全に思考力や集中力その他が低下していることが顕著で深々と溜息を漏らした。
「この後、暗くなる前にもっかい行って来るよ。戻ってきたらお前らが走ってヒーヒー言ってるところ見物でもするかね、回路回復の点滴しながら」
「代わりに行くよって言ってあげたいけど、結界監査はなぁ…」
悩ましそうに呟いたスメイラの言葉に、ラズリがちらりと『魔導師』であるアメジを見遣るもののすぐに鼻で笑って肩を竦めた。
「本来魔導師の仕事だしね。アメジは出来ないみたいだけど」
「あたしはそういう難しいのは無理なの、だって『戦う魔法少女』だから」
「あっそ…」
嫌味も通じず呆れたような声で返答したラズリの耳に、カリカリと何かを削る音が届いて音のした方向へと耳を向けた。
右手でペンを持ち書類と地図に交互に書き込みを加え、左手でナイフを持って岩塩を削るガーネの姿が目に入った。
視線は書類に向けたまま机に置いた岩塩を削り、指先で集めて直接塩を舐めてから同じナイフでバターを一口分切り分けてナイフに刺して口に運んでいた。
あまりにも異様なここ数日のガーネの『食事』風景に、ラズリは眉を寄せて正面を向き直った。
ラズリ自身も特務の業務が無くても医官としての仕事は多少あるため、空き時間にカルテをまとめたりと自分の作業をしていたが、丁度今日週一の回路焼損治療用の点滴を投与する予定のガーネのカルテを眺めて、深々と溜息を漏らした。
再び耳に岩塩を削る音が届き、不快そうに目を細めているところに特務室のドアが小さく数回ノックされた。
「はい、……まぁ、いかがなさいましたか、『こんなところ』に」
応対に出たカルセの驚いたような声と共に、3人分の足音が特務室に入ってくる音がパーティションの向こうから聞こえガーネ含め一同はそちらに視線を向けた。
性格的にそろそろ来る頃合いかと読んでいたガーネは、他の特務の一同が酷く驚いた顔をしているのをよそにペンを置いて形式的に一礼をした。
「カルセの言う通りです。なんのご用ですか、貴女の立場のような方が来る場所ではありませんよ。女王陛下」
「…妾の城じゃ、妾が城内のどこを歩いてどの部屋に来てなんの問題がある」
「いえ、ございません。私は『仕事で』外出しますので、ご自由にお過ごしください。…スメイラ、さっき話した通り俺は出てくる」
「え、あ、ハイ」
椅子に座り直して書き途中の文字の続きを書くべくペンを走らせつつ、流れ作業のようにナイフに刺したバターを直接齧って岩塩を舐めてからキリの良いところでペンを置いた。ナイフの油分をペーパーで拭って刃をしまい、広げていた地図を畳んで書類と共にまとめて外套を羽織った。
「茶が欲しかったらカルセにでも頼んでください。失礼します」
必要以上のことは言わずにディアマントの横をすり抜け部屋を出ていくガーネを、付き添っていた女官長と侍女長は一礼して見送り扉が閉まるとディアマントに向き直った。
「陛下、戻りましょう」
「…いやじゃ」
「特務の皆様の邪魔になりますわ」
「いやじゃ!ガーネが戻るまで妾は動かぬ!」
「陛下!」
事情を知っている特務の面々と侍女長女官長がそれぞれ視線を絡ませ、互いにごく小さく溜息を漏らした。
「…ガーネは、いつも『あんなもの』を食べて過ごしているのか」
「そうよ、どこぞの女王様が、ウチの特務総監様に『休むな』って命令したもんだからね。命令通りよく働く犬で良かったじゃない、陛下の命令通り、寝ることもなくぶっ通しで働いてるわよ。1週間ずっと」
「わ……妾は、…そういうつもりで言ったのではない…」
か細いディアマントの言葉に、ラズリが苛立ちを露わに一歩踏み出したのをスメイラが制した。
「陛下、不敬を覚悟で申し上げます。以前の更迭の時と同じですよ、彼が『額面通り言葉を受け取る』のなんて、今に始まったことではありません。でも今回は『それ』が原因ではないの、おわかりですよね」
「妾は…妾、は」
「何よりも誰よりも、貴女を優先している彼の気持ちも行動も、そんなに理解出来ないんですか。彼が、何が嫌で何が不安で何が地雷だったのか、貴女本当にわからないんですか」
「……ガーネと、…話したい…」
「ガーネくんは、『陛下が来たから出かけた』わけではなく元々出かける話を直前にしていました。そんなに時間はかからず戻るとは思いますが、具体的に何分くらいで戻るかは私たちもわかりません。それでもよろしければ、ガーネくんの言葉通り『ご自由にお過ごし』いただいて私たちはなにも問題ございません。ただ、通常業務はそれぞれありますので普段通り過ごさせていただきます」
「…構わぬ」
「……陛下…」
スメイラが比較的珍しくディアマントに少し強めの口調で物申したところで、女官長も侍女長も特に咎めることはせず妙にしおらしくしょげた顔つきのディアマントにやや呆れたような顔を向け、申し訳なさそうに眉を下げて特務一同に小さく会釈をした。
見かねたカルセが「どうぞ」と部屋の奥のソファ席へと案内し、いつものように優しく柔和な笑みでディアマントの足元にしゃがんで泣きそうな顔を見上げた。
「お茶とおやつ、ご用意いたしますわね。陛下のお口に合うと良いのですが」
「聖女様、わたくしもお手伝いを」
「よろしいんですのよ侍女長様、お客様ですもの。おかけになってお待ちくださいまし」
部屋に来る前にたっぷりと侍女長と女官長に説教をされてすっかり泣きそうに双眸に涙の膜を張った、シロクマを抱き締めたまるで子供のまま成長していない小娘然としたディアマントの正面のソファに侍女長と女官長は腰を下ろして再度小さく息を漏らした。




