401話「スポーツドリンク」
ノルデンに来てから3日目の夜、リエーブとの予期せぬ『デート』のせいですっかり家や蔵の整理、書類の確認などが半端になってしまい予定が大幅に狂っての夜の出発となり、管理人夫妻は寂しそうな顔でガーネを玄関に見送った。
「馬車は本当によろしいのですか」
「すぐだろ、乗り降りの時間考えたら歩いた方が早い。それより帳簿と母上頼むぞウェイゼ、人雇ったら一報入れろ」
「かしこまりました。お気を付けて行ってらっしゃいませ」
「坊ちゃま、またお帰りの際はご連絡くださいね」
「坊ちゃまはやめろっつのシャルヴィア」
同じように玄関まで見送りに来たリエーブも、ガーネが買ってやった真新しいショールで肩肘を覆いながらガーネを見つめた。
「無理はしないように、好き嫌いも程々になさい」
「はいはいわかりました、…多分、数カ月後に戻る」
「ええ、その時は容赦しない方向でいいのですね」
「当たり前だ。ただ死んだら元も子もないから適度に」
「わかっています。…それまでは、しっかり身体を治しなさい」
しんしんと雪が降る中で、降り積もる雪が踏みしめる度にぎしぎしと足元で音が鳴り、夜の静寂に溶けるように音が静かに吸い込まれていった。
吐く息は白く、とにかく寒い。
ガーネはやはりこの地域は好きじゃないなと独り言ちながら、荷物を抱えて軍用路線のホームに向かい、汽車に乗り込んだ。
「はー、無駄に疲れた」
記憶にある『母親』と随分と乖離が大きく、戸惑いばかりでこれでもガーネなりに気を使って気を張っていた様子であった。
幼少の頃はとにかく『怖い』が先行していたが、ウェイゼもシャルヴィアも『昔と特に変わりない』と話していたことから、幼少時の自分が必要以上に萎縮していただけだろうと思いはする。改めて、自分がそれだけ大きくなったということなのだろうと思いはするものの、とにかくどう接していいかわからず、仕事とはまた違った疲労感に知恵熱でも出そうな感覚であった。
ソファ席の座面に寝転がり、荷物を枕にして寝る体勢を取り、天井を眺めて小さく息を吐き出した。
順当に走行すれば、王都への到着は翌日の昼過ぎ。
とりあえずは寝るかと目を伏せ、『特務の連中はサボらずに走っているだろうか』『本当に均衡の連中関連の案件は発生していないだろうか』『不在の間に書類はどのくらい溜まっているのだろうか』と仕事のことを強引に考え、とにかく『何も言わずに置いてきた』とちらつくディアマントのことを無理矢理頭の片隅に追いやり、疲労感もあってか比較的すぐに眠りについた。
鉄製の車輪がレールに触れる振動が全身に響き、それが妙に懐かしいような感覚と嫌な感覚がせめぎ合うようだった。
『あの女』がわがままで自己中心なのは今に始まったことではないし、自分を中心に生きてきた割には聞き分けは存外いい方だとは思われた。しかし、幼子のようなある種の『試し行為』の一環なのか、必要以上にわがままを言う様子は多少目に余ったため今回は仕置きも兼ねてのあしらいではあったが、やはり気になるは気になる。拗ねているのか、泣いているのか、怒っているのか、しょげているのか。だからと言ってその程度で好きではなくなるような思いで抱いた訳でも付き合うと決めたわけでも無いため、帰城した際に彼女がどういう反応を取るかによって何かが変わることも正直無いが、多少なりとも『わからせる』必要はあるだろうとうっすら考えながら眠っていたためか寝付きも夢見もあまりよくはなかった。
『ミナトのばか!もう知らない!』
遠い昔にも、似たようなことを言われたなと夢の断片だけ記憶に引っかかりながら最悪の気分でガーネは目を覚ました。
「……もう知らないってなんだよ。そうやって『また』俺のこと捨てる気か、あの女」
起き抜けに小さく舌打ちを漏らしながら前髪を掻き上げ、深く溜息を漏らした。
無性に腹立たしいような、寂しいような、悔しいような、苦しいようななんとも形容し難い感情に、首元に下がる雪の結晶のモチーフのネックレスを思わず握り締めた。
不思議と嫌な感情が沈んで鎮まる感覚に安堵しつつも、『早くあの女に捧げなければ』という感情が湧き上がる。
ガーネはそれを、『忠誠と愛情』だと思い込んで再び目を伏せて息を吐き出した。
*****
昼を過ぎ、まだ日が高い時間帯。冬のため日が沈むのは早いものの、てっぺんから少し西に傾いた頃合いに、ガーネは王城へと戻って来た。
まっすぐに特務室に向かうとそこは無人で、ガーネの言い付け通り『走り込み』の時間かと感心した顔で特務への土産である菓子箱を雑に自席に置いてそのまま自分の私室へと向かった。
荷物を置き、ディアマントの元に顔を出すかどうかを土産の紙袋を見下ろして少し考え、外套とスーツを脱いでいつもの細身の軍用パンツとシャツ、ブーツに着替えて部屋を出ると特務が走っているであろう訓練場へと向かった。
「さっ、みんな!あと30分よ!がんばってぇ!」
走りながらでも軽快過ぎるアメジの声が訓練場に響く中、ガーネは静かに2階の観覧席から特務を見下ろしていた。
アメジに余裕も余力もあるのは見て取れるのはもちろん、サイフィルも相変わらず『上手にサボって』初日よりは余裕がありそうであった。
意外なのはラズリが『サボり方』を覚えたらしく、肩で息をしているのは変わらないながらも自分の体力の限界値を一番理解している様子で時折足を緩めつつも止まらずに動き続けることが出来るようになっていたことだった。
そしてカルセは相変わらず真面目に走り込んでいて息は上がって苦しそうではあるものの、『3時間走る』体感が染み込んだのか3時間走り切れる分配で上手く走っており、スメイラも相変わらずではあるものの初日よりは明らかに走り続けることに『慣れ』が出始めているのが見て取れた。
アメジがあと30分と告げていたことから、ガーネも自分の時計を確認して時間を見ながら一度その場を離れた。
食堂に向かい、先日顔見知りになった『同い年』の顔を見つけると雑な態度で声を掛けた。
「おい、そこの『同い年』」
「え?あっ、えっ!?と、特務総監様!?」
「お前厨房担当だったよな、鍋貸せ。それと冷えた水。蜂蜜と檸檬と塩。あと少しだけ湯を寄越せ」
「えっ?えっ??」
「早く用意しろ同い年なんだろ」
「は?は、はい!」
ガーネのよく分からない同い年アピールに戸惑いながらも、先日成誓式で同席していたガーネと同い年の厨房の料理人見習いに指示をした。
鍋に少量の湯を入れ、そこに蜂蜜を溶かしてから冷えた水を入れ、塩を適当に入れて混ぜた。
檸檬も数個雑に半分に切ってから横着して手で握って果汁を絞り、中身を混ぜてからカートに鍋を置いた。
「あとで返しに来る。ありがとな同い年」
「ぼ、ぼく同い年って名前じゃ」
「またな同い年」
抱いていた印象よりは『怖くは無い』ものの、何を考えているのかよくわからない掴み所の無さだけを残し、料理人見習いの『同い年』は困惑した顔でガーネの背中を見送っていた。
「30分経ったか、お疲れ」
訓練場に戻ったガーネの声に、弾かれたように全員が顔を上げた。
「きゃん!ガーネ様っおかえりなさぁい!エイミー寂しかった!」
「あっそ」
「素っ気ない!素敵!抱いて!いや、抱く!?」
「殺すぞ。ほら、差し入れ」
アメジ以外の全員がフラフラとした足取りでガーネの傍に寄り、鍋の中を覗き込んだ。ガーネは「よく頑張りました」と初めて特務一同を褒めてからコップに鍋の中を注いで渡してやった。
怪訝そうな顔でコップの中身を覗いた一同であったが、限界値を超えているスメイラが一気に中身を飲み干した。
「……!?なにこれ!?懐かしい!!」
「即席スポドリ。この世界無いだろこういうの」
「うわ!懐かしい!美味しい!おかわり欲しい!」
「あとテメェで注げ」
感激するスメイラに触発され、他の面々もちびちびと中身を飲み味を確認してから一気に喉を鳴らして飲んでいった。
「初めて飲んだけど、美味しい」
「わたくしも初めての味ですわ」
「僕も初めて飲んだ、エイミーちゃんは?」
「あたしは覚えがあるようなないような…?」
「つーことは、スメイラと俺はおおよそ同じくらいの年代の生まれ、アメジがその少し前、他はもっと前の年代の生まれ育ちってことだな。スポーツ飲料って日本に入ってきたの1970年代くらいだった気がするから。ところでアメジ、お前まだ動けるか」
「あたし?見ての通り、余裕」
「そうか、ならちょっと俺の相手しろ。手加減しろよ、本気のお前とやり合ったら今の俺じゃ普通に勝てないし下手したら死ぬ」
ガーネがアメジを顎で指しながら軽く肩と手首と足首を回して訓練場の広いスペースに移動した。




