397話「距離感」
仕事を片付けてから前日の夜中に王都を出立し、ガーネがノルデンに到着したのは夕方のことであった。
「ただいま」
ノルデンにあるグリーチェウト家本邸の玄関でガーネの声が響き、元執事であるウェイゼがガーネを出迎えた。
「お帰りなさいませ、御当主様。到着時間のご連絡いただけましたら馬車でお迎えに上がりましたのに」
「馬車に乗るような距離じゃねぇ、疲れた」
外套を脱いでそのままウェイゼに手渡したガーネは自分で荷物を持って自室のある方向の階段に向かって歩いた。
一応、『帰る』と連絡はしていたために部屋もきちんと整えられており、ガーネは座っているだけでも疲れる15時間の長旅にうんざりしたように雑に荷物をソファに放り投げて腰を下ろして深々と寄りかかった。
少ししてから部屋のドアをノックする音が響き、ウェイゼの妻であり元侍女頭のシャルヴィアが温かい飲み物と茶菓子を持って部屋にやって来た。
「お帰りなさいませ、寒かったでしょう。もうじき夕餉の時間ですので、茶菓子は軽いもので用意しております」
「サンキュ」
ソファ前のローテーブルにティーセットと小さなクッキー数枚を乗せた小皿を置き、ガーネの荷物を手にしてクローゼット前の棚に置き直した。
ガーネは湯気の立つ紅茶に角砂糖を数個落としてからゆっくりと飲み、小さく息を漏らしてから片付けをしているシャルヴィアに声を掛けた。
「あの人は」
「奥様でいらっしゃいますか?お部屋でお休みになっておられます。お食事は一緒にされたいと仰っていましたよ」
「フーン、まぁなんでもいいけど。鞄から封筒出して、書類入ってるから」
「かしこまりました」
クッキーを1枚手にして頬張り、さくっとした歯ざわりと口の中でほどけていくような感覚に『やっぱクッキーってこれだよな』と妙に堅く甘ったるく形の歪なクッキーの味を思い返した。おそらく『初めて作ったあの味』は二度と味わえないだろうなと堅く歪で甘ったるいクッキーを寄越した恋人の顔を思い浮かべ、小さく溜息を漏らしながらシャルヴィアから受け取った封筒を開き書類の確認をした。
「お食事の用意が整いましたら、またお声がけに参ります」
「ああ」
ぱたんと静かに扉が閉じ、妙に静かになった室内で暖炉の薪が燃えるぱちぱちという音だけが穏やかに響いていた。
冬らしく窓の外は夕方ともなればすっかり暗くなっており、時折吹き付ける風が窓硝子を僅かに叩いた。
数ヶ月前にあれだけ苦労して色々整えたのにまたかという気持ちが複雑に絡み合い、やや面倒になって書類を机に放ってソファに深く寄りかかって目を伏せた。自分でわかっていて、こういうことも覚悟の上で家督を継いだにも関わらず、どうにも様々なことが折り重なって面倒で仕方がない。
無理矢理片付けてきた仕事のことや、自分のこと、怪我のこと、そして何よりも今回何も言わずに置いてきた恋人のことを思い返し、何度目かの深すぎる溜息を漏らした。
少しして再度部屋のドアがノックされ、「お食事の用意が整いました」と声を掛けられ少しまどろんでいた意識が浮上した。
小さく欠伸を漏らしながら立ち上がりドアを開けると、ウェイゼが少しだけ申し訳なさそうな顔でガーネを見た。
「お休みになられていましたか、申し訳ございません」
「いや、平気だ」
食堂に向かい、テーブルセットの用意された上座の席で椅子を引かれ腰を下ろした。少しして部屋で休んでいたというリエーブもまだ少し眠そうな顔のままやって来てガーネの右斜め前の席に腰を下ろしたところで、なんとも気まずい空気が流れた。
「…思っていたより、早かったのですね。帰ってくるの」
「タイミングが今が一番動きやすかったからな」
「左手の怪我は、まだ良くならないのですか」
「そんな浅い怪我じゃなかったし、普通に縫ってるからまだかかるんじゃねぇの。ラズリに聞かなきゃわからん」
「ラズリ…あの小さいお嬢さん?」
「お嬢さんって歳じゃねぇよ。アレはどっちかっつーとアンタと歳近いんじゃねぇのか。32、3だし」
「あら、てっきり10代半ばかと」
「見た目だけな」
ぽつぽつと当たり障りのない会話をしているところに食事が配膳され、じゃがいものポタージュと白身魚の香草焼き、温野菜と牛肉の煮込みと焼き立てのパンとチーズが配膳された。
「…こうして奥様と並ばれると、先代の旦那様を思い出しますわ」
「そうか?」
しみじみと呟いたシャルヴィアの言葉に思わずと言った様子で首を傾げたガーネを、リエーブも同じように見つめた。
「…目元はルイにそっくり」
「あんまり覚えてねーよ。父上が死んだのなんて俺が4つの時だし。…随分とまぁ、目付きの悪い男だったんだな」
「口の利き方は誰に似たのかしら。わたしもルイも、そういうところは厳しく躾けたはずだけれど、随分と傲慢で横柄な喋り方をするようになって」
「そらどーも」
存外よく喋るリエーブの様子に一層気まずさが増したガーネはそれを誤魔化すようにカトラリーに手を伸ばして食事を始め、『残すとうるさそうだ』と嫌いな野菜から先に口に押し込んでいつものように水で丸飲みをしていった。
「…軍務寄りの『こういう』仕事をするようになって。誰に似たのかしらね。ルイはあまり運動神経の良い方ではなかったけれど。頭はどちらに似ても悪くはないはずですけれどもね」
「義務教育も官職課程もほぼ首席で出てるっつの。官職は飛び級してるし、それなりじゃねーの」
「あら、なら義務教育出てすぐ王城勤務している訳ではないの?」
「……官職課程出て警察官やってたんだよ。アンタのはとこと同じとこで」
「警察官?」
「そういう話はあとでいいだろ、さっさと食えば。冷めるだろ飯が」
煩わしそうな顔でパンを頬張ったガーネに促され、ほんの少しだけしゅんとした顔をしながらようやくカトラリーを取ったリエーブを見てガーネはなんとも言えない気持ちになり、それを見ていた管理人夫妻は微笑ましそうな顔で2人を見ていた。




