38話「開いてはいけない」
広大な湖の水面に満月と星が反射して映り込み、風で時折揺れた。
真っ白な洗礼服を纏ったまま、腰まで浸かる。
そのまま跪くように水の中で膝を折り、肩まで水に浸かったところでそっと首から下げた聖環のペンダントを握るように指を組んで小さく祈りの言葉を呟いた。
「……はやく、なんとかしないと。わたくしも────…『開かれて』しまう」
*****
村の小さなレストランは、遺跡の発掘調査員や研究員で存外賑わいを見せていた。
不機嫌そうに眉を寄せたままピラフを機械的に口に運ぶスメイラを見て、ガーネはバツが悪そうに肩を竦めサイフィルはその剣幕になんと声をかけていいかわからない様子で、この三人の卓だけまるで葬式のようであった。
「次やったら『告げ口』するからね」
ようやく口を開いたスメイラは、あろうことか女王への告げ口を示唆した。サイフィルだけが誰に告げ口をするのか、二人の立場や背後を知らないため理解していない顔でいる。
「だーから、悪かった・つい、って言ってんだろ」
「つい、じゃないのよ。…一回、然るべきお方からご指導を入れてもらおうかしら」
「悪かったって!しつけーなクソババァ!大体、あの人が『この程度』で俺に怒るわけねーだろ!」
「……」
スメイラは、ガーネの反論に何か引っかかりを覚えて閉口した。しかし何に引っかかったのか咄嗟にはわからず、これ以上同じ件で責めても彼の言う通りしつこいかと話しを終わらせる合図のように小さくため息を漏らした。
彼はそこまで馬鹿ではないと、理解しているが故だった。
「おいガーネ、スメイラさんみたいな美しい方捕まえてクソババァはねーだろクソガキ!」
「貴様は黙ってろ」
「ひゃい…」
とんだとばっちりを受けてサイフィルは服装の厳つさとは真逆にしゅんと落ち込んでちびちびと酒を飲んだ。
「つーかサイフィル。お前飯食わねーのか」
「あ、もしかして……エグかったもんね。この子容赦ないから」
サイフィルの前には酒の注がれたグラスだけがあり、食事やつまみの類は一切口にしていない様子であった。スメイラは、日中の魔獣の死体の山や盗賊連中への容赦のない攻撃と、あとに残った現場の悲惨さや凄惨さと鼻につく独特の匂いを思い出し食欲がないのかと思い至り、純粋に心配そうにする。
「いや、まあ…確かにドン引きはしてるけど、そうじゃなくて。スメイラさんこそ平気なの?」
「私はまあ…仕事柄、主たるものは遺物研究だけど色んな所に携わってるお陰でああいうのには割と耐性あるから」
「俺は張本人だし」
「ガーネには聞いてない!」
「そうじゃねーなら食えばいいだろ。食わねーからそんなガリガリで不健康なナリしてんだろうがよ」
「…食べると、僕は許されないから」
「ハァ?誰に」
「いいから!後で食べるから、気にしないで」
なんとなく腑に落ちないガーネと、無理をしているのかと心配するスメイラに愛想笑いを向けながら、サイフィルは煽るように酒だけを飲んで過ごした。
翌朝、一行は朝食を摂りに昨夜と同じ飲食店に足を運んだ。
しかし、昨夜同様に朝食も食べようとしないサイフィルにスメイラは心配そうな目を向ける。
「具合悪い?今日は遺跡に行かないで、宿で休んでたらどう?」
「大丈夫大丈夫、そんなんじゃないから!僕、外で待ってるから」
「……なんだアイツ」
「例の出土品に『当てられた』とかあるかな。ほら、鑑定してたし。…でもそんな感じでもなさそう、なのよね」
「まーな。とりあえずさっさと朝飯食おうぜ」
ガーネは昨日と同じ椅子にどっかりと腰を落とし、心のどこかに引っかかる何かに意識を向けた。
「……ガーネくん?」
「なに?」
「…君も、ほら。昨日無理させたし、疲れてるなら休んでたら?」
どうやら少しぼんやりしていたらしく、スメイラが僅かな申し訳なさと後ろめたさのようなものを感じてガーネの身を案じた。
「いや、悪い。全然平気」
説明のしようのない引っ掛かりを言語化出来ずにいて平気だと誤魔化し、注文した朝食を頬張った。
「あれ、この石…」
サイフィルが飲食店からほど近い川原を散策していた際、一つの石に目が止まり拾い上げる。くすんではいるが、水晶の原石のようであり、この地に満ちる聖女の祈りの清廉さを一身に取り込んでいた。
「へぇ、すごい。これは」
────おいしそう
そう思うや否や、サイフィルは口を開けて石に齧り付いた。
ぼりぼり、がりがりと咀嚼音が周囲に響く。
もう一口、と口を開けた際、サイフィルの犬歯がきらりと輝く。
ダイヤモンドで出来た犬歯を使って水晶に歯を立て、噛み砕く。
そうして大して大きくもない水晶の原石はたったの三口であっという間に完食された。
「ふう、美味しかった。…でもそろそろ『普通の食事』も摂っておかないとかな」
ぺろりと唇を舐めた際に、舌を飾る青い宝石のピアスが差し込む太陽の光を反射した。
乾いていた身体の奥が、満たされるように静かに軋んだ。
「とりあえずはあの危険なブツをどうにかする前にやっぱり聖女に会うべきか」
「そうだね、じゃないと君がまた余計なことするから」
「………あ、すんませーん。これおかわり」
バツが悪そうに目を逸らしたガーネは、近くを通りかかった店主にジュースのおかわりを要求してその場を誤魔化した。
スメイラは呆れたようにコーヒーを飲みながら目を細め、小さくため息を漏らす。
「はい、おまちどうさん。オレンジで良かったかな?」
「何でもいいよ、…あのさ、聖女ってどこ行ったら会える?」
おかわりのジュースを持ってきた店主からコップを受け取り、ついでとばかりにガーネは例のすれ違い聖女の所在を尋ねた。
「聖女様?そうだな…俺も詳しくは知らんが、その特性上同じところにはとどまっていられないらしくて。この周辺にこれだけの期間いることも稀らしいぞ。せめてもの、ってことで、この村にいたり南の村にいたり、それこそ湖にいたり祠にいたり遺跡にいたり」
「聞けば聞くほど落ち着きがねーな…今は?この時間だとどこにいる、とか」
「そうさなぁ…うちの村に滞在してる調査員さん達の話しだと、この時間帯だと大体は遺跡にいるっぽいけどな。まあ、確約は出来ねぇぞ」
食事を終え、飲食店を後にする。
相変わらず村を包む空気は清々しく、異常なまでに澄んでいる。どういうわけか、ガーネの腕の噛み傷も綺麗に塞がって治癒していた。
聖女の力の作用────そう考えるのが自然なはずなのに、何故かそれだけではない気がして、先程と同じ言語化できない引っかかりが再び顔を出しガーネは無意識に眉を寄せた。
「とりあえず、あの不健康野郎拾って遺跡行くか。そんな広く無いとは言えまた外れたらめんどくせーな」
「湖一周歩いて約二時間、ってとこか。私はか弱いからちょっとしんどいかな…まあ、そこはほら。君の野生の勘で」
「誰が野生の犬だよ」
「…犬は言ってない…」
遺跡方面に向かう道を歩いていると、満腹そうに腹を撫でたサイフィルと合流した。
「お、丁度良かった二人とも」
「なんか食ったのか?とりあえずこれ、ほら」
ガーネは先程の店で包んでもらった握り飯をサイフィルに差し出して持たせた。
「…え、お前『こういうこと』すんの…?」
「そ、意外だよね。こういうこと、平然とするのよこの子」
「食わねーなら俺が食うんだけど。なんだよこういうことって」
「まあまあ。それよりどこ行く?湖?遺跡?対岸の村?」
「………遺跡」
またガーネだけがよくわからない理由で蚊帳の外にされたような心持ちで少しだけ不貞腐れた顔をし、顎でしゃくるようにして進路を指す。
道中は「そもそもあの遺跡はなんなのか」という学術的な説明をスメイラが見たことがないほどに目を輝かせて饒舌に語るのを興味が無さそうに右から左へ聞き流していたガーネであったが、目的としていた遺跡が目に入ると遠くにまた異質な存在が目に入った。
それを異質と感じたのは、ガーネだけではない。スメイラとサイフィルも同じである。
異質と言っても、昨日例の遺物に感じたような『悪いもの』では全く無い。むしろ真逆の空気を纏っていた。
真っ白な衣装に身を包んだ人物は、背丈からして女性と思われる。
雰囲気だけで、それが誰なのか明白であった。




