390話「母」
「……ックソ…!」
忌々しげに盛大な舌打ちを漏らし、大聖堂内に静かに反響した。
未だ腰を抜かしたまま立てないでいる特務の面々を一瞥し、床に突き刺して膝を折らないように掴んでいた剣を抜くと鞘に納め、深く息を漏らしてから声をかけた。
「お前ら、怪我は」
「な……ない、……ごめん、なさい」
スメイラも堪らずボロボロと涙を溢れさせ、恐怖心に身体と声を震わせながら小さく返答をした。
「謝るな。……アレはやばい、俺も普通に殺されるかと思った。…とにかく、怪我が無くて良かったのと色々と話もあるしお前らも聞きたいこともあると思うが、今は黙ってろ」
「ガーネ…」
サイフィルの何とも言い難い物言いたげな眼差しを受け、小さく溜息を漏らしたガーネはスメイラとラズリを見て再度口を開いた。
「存外早く答え合わせのタイミングが来た。お前ら全員、命令だ。城の中で『俺の名前』、赤坂ミナトを口にするな。わかったな」
立て、と短く声を掛け、震える足のままながらなんとか全員が立ち上がるのを確認するとガーネは特務を引き連れて大聖堂を出た。
先程まで中にいた衛兵と警察官は訳がわからないままガーネを見上げ、ガーネは少しだけ悩んで口を開いた。
「先程中にいた人間全員に、特務総監権限の『箝口令』を発令する。中であったことは俺が通達を出すまで口外することを禁ずる。いいな」
「は、はい」
「特務は引き上げる。引き続き現場の警戒と、異変があれば至急報告を上げろ。大司祭か衛兵総監の命令が出るまで大聖堂への立ち入りを禁ずる。教会職員も含めてだ」
「かしこまりました!」
「行くぞ」
ガーネは左掌から血が滴るのもそのままに王城へ向けて歩き始め、特務の一同も無言で後ろをついて歩いた。少ししてようやく落ち着き始めたらしいラズリが「ガーネ、手」と短く声を掛け隣に並び顔を見上げたところで思わずぎょっとして息を飲んだ。
過去に見たことがない程に冷えた無感情な顔をしており、ラズリは小さく息を詰めながらガーネの官服の袖をそっと引いた。
「……ガーネ…」
「…………ん、あ?なに、どうした」
「…顔……怖い」
「そうか、生まれつきだ仕方ねーわ」
何とも形容出来ない重い空気のまま王城に戻り、広間の方向へと揃って歩いた。途中の回廊での分岐で、スメイラたちは特務室の方向へと向かおうとするものの、ガーネがそれを制止した。
「全員着いて来い」
「…え?どこに」
「喋るな」
無言で改めてガーネに着いて廊下を進み、評定の間の後方の入口へと向かいガーネは控えの近衛が特務を一瞥するのも構わず扉を乱雑に開き中へと進んだ。
扉が勢いよく開いた瞬間、評定の間の会話が止まり後方の出口に視線が集まった。入室したガーネが部屋の奥の予備机と椅子を顎で差し座るように促すのを見て、そこで小さくざわめきが湧き始めた。
「スメイラ以外喋るな。命令だ、いいな」
「…わ、わかった」
特務の一同は王城全責任者だけでなく魔女も女王側近のヘルソニアも女王ディアマントもいる物々しい空気の中、居心地が悪そうに指し示された場所に腰を下ろして緊張した顔で正面を向いた。
自席に戻るガーネの足音だけが静かに響き渡り、少ししてディアマントはガーネの怪我に気が付き勢いよく腰を上げた。
「ガーネ!その怪我…!」
「今はそんなことはどうでもいい。状況が変わった。『全部』だ」
「……どういうことじゃ」
何事かと視線が集まる中、ガーネは置きっぱなしにしていた自席に配膳されたグラスの水を半分程一気に飲んで雑に机に置いた。ガン、と乱暴な音が響き、何人かがビクリと肩を揺らしたところでガーネのすっかり据わりきった目を見て一層空気が張り詰めていった。
「七律冠、第一席『謙譲』。対象の名前はミカ・イェヘルト・リオン、種族は魔族。……陛下、ヘルソニア様、この名前と均衡連中の階級はご存知ですか」
「………七律冠…だと」
ディアマントの手の中の扇がみしっと歪むような音がした。
「その様子だと、ご存知のようですね」
「…知っておる。邪教の幹部じゃ。ただ、個人名や種族までは妾もヘルソニアも知らぬ。お前が今まで始末してきた序列下位の上、中位。中位を束ねる上位。その『上位』を『眷属』として使役し上に立つのが、『七律冠』。それらを束ねるのが…」
「『神』と、言っていました」
ガーネの発した『神』という言葉に、評定の間はざわめきが広がった。
『この世界』に神という存在も概念もない。それを信仰し崇めるのは、『邪教』のそれだからである。
ディアマントは忌々しげに舌打ちを漏らし、椅子に腰を下ろして不機嫌そうに脚を組んでガーネを見た。
「それでお前は、怪我だけさせられて戻って来おったのか」
「怪我は『させられて』はいません。あの女に『膝をつかないために』自分でやりました。……スメイラ!状況を説明しろ」
ガーネに唐突に名前を呼ばれたスメイラは、特務がこの会議に突然押し込められた理由はそういうことかと理解し慌てて立ち上がり緊張で唾を飲み込んだ。王城全責任の視線が一気に集まり、僅かに手が震える中で口を開いた。
「は、はいっ!……えっ、えっと…衛兵からの初報で、『ゴテス大聖堂での立てこもり、ただ普通の立てこもりとは異なる、身体の制御が一切利かない』とのことで、術式か異界異物の可能性を考慮して現場に向かいました。『中に入れない』と訴える衛兵数名に周辺の区画整理と封鎖の依頼をし、私たちは中に入りましたが…その、均衡の女が『特務総監はいないのか』と…『呼びに行けと命令をしろ』と言われ、理由はわからないのですが抗えず……伝令の通りです。『手に負えない、無理。下手したら全員即死』と伝えました。……特務総監でなければ無理だと判断しました。その後、『特務総監が来るまで跪いてもらおうかしら』と言われ、そのまま跪かされました。…これ以上の説明が、できません…申し訳ありません」
「スメイラ。『あの姿勢』はなんだ、アレはあの女の指示か」
ガーネの詰めるような物言いにスメイラは慌てて勢いよく首を振り否定し、思い出される恐怖感に思わず声が震えた。
「ち、……ち、ちが…ちがう…!あんな、あんなの、私たち全員、『跪け』って言われた瞬間に『何故かあの姿勢』を取らされてた…!自分の意思じゃない!!」
あの気丈なスメイラが場の空気だけで涙ぐむ訳もなく、この評定の間と評定そのものの独特の空気感と緊張があったことは否めないものの、震えた声と表情が明確に『得体の知れない恐怖』を訴えていた。スメイラの様子に引かれたのか、他の一同も涙ぐんだり青ざめたりと表情を変え、室内は異様な雰囲気になりガーネは忌々しげに再度舌打ちを漏らして前に向き直った。
「…俺が現着した時には既に全員、見たことのない所作を取っていました」
「どういう姿勢じゃ」
「……跪礼の形ではありました。 左手は喉、右手は床、そして首を傾けて……俺の目には、『敬意で取る姿勢』ではなく『自らを供物とする』作法のように見えた。首を捧げるような」
ガーネの言葉にしんと嫌な静けさに空気が重く沈んだ。
「…途中、あの女は衛兵と警察官だけ『人質はもういらない』と解放した。俺の権限で正式通達を各所に出すまでは口を開くなと箝口令を命じています」
「無難な選択じゃ」
「……ここからが本題、連中の『呼び付けの理由』ですが」
ちらりと周辺を見回すと、リエーブとアミュでさえもどこか真面目な顔をしてガーネを見ており、ガーネは再度特務に目を向けた深く溜息を漏らした。
「…ガーネ?」
「失礼しました。……『今日は挨拶だけ、1年の休戦を』と」
「…ほう?休戦。なかなか舐めたことを申すものじゃ」
「今の俺を殺すことは易い、ただし今の俺を殺すことは同時にリスクもある。『暴発』されても困る、だからせいぜい1年の間に有り余った力を使えるようになっておけと。ただ、俺の力に関しては向こうも想定外のようなことは言っていたので、相応の準備は整えさせてもらうと」
そこまで話しながら、ポケットからハンカチを取り出して左掌の切傷にキツく巻き付けて歯で端を引いて結び目を締めた。すぐに白いハンカチにじわりと血が滲んだが、ガーネは構わず意を決した顔で再度口を開いた。
「連中の『1年』という言葉を鵜呑みにするつもりはない。とは言え向こうも俺の力の暴発は怖いらしいからある程度の余裕は多少なりともあるとは思う。────半年だ。半年後には『仕掛けられてもおかしくない』想定で動く」
「具体的に何をするつもりだ」
ヘルソニアが少し怪訝そうな顔でガーネを見て口を挟み、ガーネは後方に押し込めた特務の面々を顎で指し示した。
「今日のでよくわかった。今のままじゃ『特務全部』使い物にならん」
無慈悲にも聞こえる声できっぱりと言ってのけ、評定の間が小さくざわめいた。
「陛下」
「なんじゃ」
「ゲルブ辺境伯、トーパスを『然るべき時に』いつでも動かせるように、事前通達を陛下の名前で出していただけますか」
「いいだろう」
「ま、待ってガーネくん!なんで『あの人』!?」
ガーネの言葉にスメイラが思わずと言った様子で口を挟んでしまい、すぐに『しまった』と口を押さえて視線を泳がせた。
「『なんで』?あの野郎が『最後の1人』だからだ。それと、特務。お前ら全員、4ヶ月で俺がしごき倒す。いいな。吐くまでやるぞ」
「え…!?」
「異論は認めない。今のままじゃ犬死にだ。…それと、スメイラ。もしくはラズリ」
ガーネが短く名前を呼び、スメイラとラズリと視線が合うとガーネは再度口を開いた。
「Return to your rooms. As ordered, absolute silence. Debrief comes later. Make sure nobody says a damn thing.────いいな」
スメイラが小さく頷いたのを確認してから、それ以上の言葉は聞く気がないとばかりにガーネは正面に向き直り改めてディアマントに視線を向けた。
────この後は部屋に戻れ、さっき命令した通り『誰も何も喋るな』、答え合わせは後でする。誰にもいらんことを喋らせるな
この国の、『この世界の』言語ではない『英語』は当然室内の誰も理解出来た様子はなく、ヘルソニアとディアマントに関しては『理解してもしなくてもどうでもいい』とばかりに姿勢を正した。
「……陛下、ここからは個人的なお願いを申し上げてもよろしいでしょうか」
「…聞くだけ聞こう。申してみよ」
「俺を2ヶ月で、使い物になるようにしてください」
「………妾が?」
「俺の霊力の『種類』が近いのはヘルソニア様ではなく陛下です、理由は俺の魂の座標がどこにあるか、これ以上はありません。それと、多分ヘルソニア様より陛下の方が容赦ないでしょ。なにより…この国で、霊力の扱いにおいて貴女以上を俺は存じ上げません」
ディアマントは少しだけ考えるように腕を組み、ガーネを真っ直ぐに見つめた。
ガーネの言う通り、魂の固定箇所が『自分』の側である以上仕込むのであればヘルソニアよりも自分の方が適任であると理解し、小さく頷いた。
「いいだろう。特務は4ヶ月でお前は2ヶ月でよいのか」
「最初の2ヶ月は俺は何もしません。今までなあなあにしてましたが『身体を戻す』方向に専念します。まともに霊力も魔力も練れないし、体力そのものも落ちてます。まずはそこを元に戻します」
「わかった。ならば、愛犬の世話は飼い主である妾が責任をもって躾直してやろう。しかし魔力の方はどうする、妾は魔法はそんなに得意ではないぞ」
「陛下、確認ですが俺含めた『特務全部』の叩き直しは『対均衡対策』の王命で間違いないですね」
「当たり前じゃ。妾がそこまで手をかけてやるのに結果を出せないは許さぬぞ」
「なら話は簡単だ」
その言葉に思わずと言った様子でガーネは鼻で笑い、ガーネを注視している魔女2人へと視線を投げた。
「魔女が2人もいるだろ。聞いていたな、『王命』だ。『王命を受けた王命執行最高責任者』として嚆矢の魔女リエーブと終焉の魔女アミュに命ずる」
「アミュ、めんどくさい。でもガーネ、ちょっとだけいい目になった。アミュ、ガーネのその目だいすき。いいよ、アミュがあそんであげる」
「……」
リエーブはなんとも返事が返せず、無言で戸惑いの滲んだ眼差しをガーネに向けた。
ガーネはその視線を受け、見たことがないような目をリエーブに向け静かに言った。
「嫌とは言わせませんよ、『母上』」




