389話「七律冠」
王都中央区、ゴテス大聖堂。
国で一番大きな教会であり、祝祷教の総本山とも言える場所。
規制線を囲むように野次馬である一般人が既に多数集まっており、何事かと憶測が憶測を呼びざわめきが広がって行った。
息を切らせたガーネの登場に、一層ざわめきが大きくなり、ガーネは邪魔そうに小さく舌打ちを漏らしてから規制線を潜って衛兵に指示をした。
「封鎖区画もう少し広げろ、なるべく野次馬散らせ。邪魔だ」
騎士に就任してから一層黄色い声を浴び注目されることが増え、現場には『特務総監が来た』という声から野次馬が野次馬を呼ぶ状況に煩わしそうにしながら大聖堂へと向かった。
「中にいる連中、『動けない』とはどういう状況なんだ。怪我してる訳じゃないとは聞いているが」
「それが、我々にもわからず…我々は『中に入ることが出来ない』状況でして」
「……?どういうことだ」
入口へと向かう階段の中腹辺りで、ここまで状況を共有して共に歩いていたはずの衛兵の足が止まった。
「……わかりません、『これ以上進めない』んです」
術式の気配は無い。気配を隠匿する程の高等な術式であったとしても、痕跡は必ずどこかにある。しかしその気配も痕跡も何も感じず、ガーネも階段中腹を過ぎた辺りから、言い様のない違和感としか表現の出来ない何かが全身を纏うようにのしかかって来たのを感じた。
「…外の全員、『待機』。いいな」
「はっ」
コツコツと石段を登る音が妙に響き、右手を懐に差し入れ銃に手を掛けながら左手で観音開きの扉を押した。
キイ、と甲高く小さな少しだけ錆び付いた蝶番の音が鳴り、厳かなステンドグラスで天井と四方の壁の高い位置を彩る、少し古びた白を基調とした礼拝堂の光景が広がった。
中央の祭壇に、白髪の黒衣を纏った女が悠然と足を組む中で、しんと静まり返ったその空間で警官の制服と衛兵の隊服、見慣れた特務の後ろ姿が見えた。
短く喘ぐような震える吐息が明確な『恐怖』や『怯え』を表しており、中央の女の圧倒的な『異物感』にガーネも思わず息を飲み手が震えてしまった。
──── 銃が、抜けない。
懐に差し入れ抜くために握った銃を、取り出すことが出来ない。理由まではわからない。恐怖やその類ではなく、他の行動は出来る。『攻撃体制を取る挙動が一切できない』でいた。
「こんにちは、ようこそ。お待ちしておりましたわ」
異様なまでに甘ったるくまとわりつくような女の声が鼓膜にこびりついた。
身体が動かせないわけではない。銃から手を離すことは出来、足を動かして前に進むことも出来た。
一歩、また一歩と足を踏み出す度に、聖堂の中で靴底の触れる音が反響して響いた。
そこで、『異質』で『異常』な光景にガーネは思わずぎょっとして不快感と嫌悪感に喉の奥が絞まるような感覚に小さく喉を鳴らした。
『動けない』と聞いていた特務含めた13人全員が、女に向かって膝をついていた。
それは確かに跪礼の形をしていた。
しかし、ガーネはその所作については初見だった。
左手を自らの喉へ添え、もう片手を床へ置き、僅かに首を傾けたその姿は、敬意というより『供物の作法』に見えた。
「……お前ら全員、何してやがる」
誰からも返答は無い。口を開けないのか、相変わらず短く弾むような浅い呼吸を繰り返していた。
「初めまして。特務総監様。『呼び出し』に応じていただいて、ありがとう存じます」
にっこりと品良く笑みを浮かべた女が組んでいた脚を少し揺らして、跪いた面々と同じように少しだけ首を傾げた。
黒いドレスの深く入ったスリットから真っ白な肌が覗き、艶めかしくガーネの前で見せ付けるように脚を組み直して白髪の長い髪を耳に掛け、特徴的な尖った耳と頭部の角をまるで手入れするように細い指先で撫でて白髪に妙に映える漆黒のオニキスがあしらわれたフェロニエールを整えた。
「……魔族か」
「あら、種族差別?悲しいわ。特務の聖女様だって、混血じゃない」
「種族差別じゃなくてテメェ差別だ、いいか俺は忙しいんだ。くだらない呼び付けなんてしやがって」
「うふふふ、でも来て下さったじゃない。ねぇ?『ガーネ・ディーム・ロット』」
名前を呼ばれた瞬間、ガーネの身体がまるで重力に押し潰されるかのように唐突に重くなり思わず『膝をつきそうに』なって僅かに膝が折れた。
「貴方たち、邪魔ね。出て行っていいわ、人質としての用事は済んだ」
女が妖艶に笑みを浮かべて指先を向けた衛兵と警察官の呪縛のようなものが解け、姿勢を崩すと恐怖に滲んだ様子の顔で身体が動くようになった者同士で顔を見合せてから指示を仰ぐようにガーネへと目を向けた。
「……動ける連中は、さっさと聖堂を出ろ。外で待機。何も喋るな」
ガーネの命令で震える足で立ち上がった一同は小走りで聖堂を出ていった。
ようやく『邪魔者は出ていった』とばかりに女がガーネの元に歩み寄り、まるで値踏みするかのようにガーネを見つめてにっこりと笑みを浮かべた。
「…ふぅん、さすがね。名呼び程度では、貴方の膝を折るのは難しいみたい。……改めて、初めまして」
女は一歩だけ前に進んでドレスの裾を持ち上げ、カーテシーの姿勢をとって首は僅かに横に傾けた。
「ミカ・イェヘルト・リオン。七律冠、第一席謙譲の使者。……まぁ、貴方たちの言うところの『邪教』…そこの幹部ですわ。あたくしにしてみれば、貴方たちの方が余程『異端』で『邪教』で『不均衡』なんですけれどね。ガーネ・ディーム・『グリーチェウト』」
本名の方で呼ばれた瞬間、先程よりも『膝をつかねば』という得体の知れない強制感に膝が震えた。
──── なんの術式だ、どんな魔法か。無詠唱?それとも名を呼ぶ縛りのみの高等術か。もしくは、『権能』か。
その瞬間、魂が直接揺さぶられるような、これもまた得体の知れない感覚に意識を引き戻すように何かと共鳴するのを感じた。
ガーネは咄嗟に腰の剣を抜いて構え、床に力いっぱい突き刺して杖代わりに両手で柄を握って足を踏ん張った。
「…やだ、なにその『呪い』。穢らわしい」
「は、はは……存外嫉妬しいな可愛い女の『祝福』だな」
首に下げたネックレスと親指に嵌った指輪と、右耳のピアスの石がそれぞれ共鳴し反応しているのを感じ、ガーネは剣の刃に左手を滑らせて痛みで意識の乗っ取りに思われる違和感を無理矢理払拭させた。
「幹部だかなんだか知らねぇが、俺の部下によくわからん姿勢取らせんなクソアマ。そんなに供物が欲しけりゃ、俺が貴様をこれから供物にしてやる」
「やだわ、特務総監様。今日は『ご挨拶』がしたかったの。呼び出したこと、怒っているのかしら。だってあたくしたち、あの『偽物の均衡』のお城には入れて貰えないんでもすもの」
「……、ご挨拶…だと…?」
視線だけは辛うじて動かせるらしい跪いた面々が、縋るような泣きそうな目をガーネに向けた。サイフィルは既に泣いているのか涙と鼻水で顔が濡れており、カルセもカタカタと肩を震わせ助けを乞うようにガーネに濡れた双眸を向けてきた。
その光景にガーネは盛大に舌打ちを漏らし、ミカと名乗った女に冷ややかな目を向けた。
────この女は『やばい』。
本能的に理解出来る。スメイラの言っていた『全員即死』なんて、まだ生易しいとすら感じる。
剣の柄を握る右手にじっとりと嫌な汗が滲み、左掌の痛みだけがなんとかギリギリ意識を繋ぐようにドクドクと心臓の拍動に合わせて痛みのリズムが刻まれた。
「特務総監様。休戦いたしません?」
「は?休戦……?」
「そ、休戦。…お互いのため、ですわ」
「どういうつもりだ」
「だって、貴方を殺すことは容易いわ。でも、『今の貴方』を殺すことは同時にあたくしたちにもリスクが大きいの。暴発でもされたら困りますもの」
ミカはガーネの頬に手を滑らせ、そのまま首筋に手を触れて喉笛に長く伸ばした爪の先を押し当てた。
「1年。貴方たちに、1年の猶予をあげる。その間にせいぜい、その有り余った力……きちんと使えるようになって下さる?あたくしたちを楽しませて。そこのお仲間もね。……今まで貴方が無駄に殺してくれた敬虔な教徒たちとは、あたくしたちもあたくしたちの眷属である配下・序列上位以上は比較になりませんことよ。……ただ殺すだけでは意味が無いの、『正す』必要があるの。歪転した『貴方たち』を、きちんとした手順で魂を在るべき場所に、在るべき姿へ」
「そうか。……ただ、お前らが1年と言うのを誰が信用すると思う?不穏の芽は摘むべきじゃねぇのか。今すぐお前はこの場で殺す」
「うふ、聞いてらした?あたくしは、七律冠、第一席『謙譲』。あたくしの他にも、優しくないのがあと6人……それとあたくしたちを束ねる、神がいらっしゃる」
ミカはガーネの喉元から爪の先を下に滑らせ、首元に掛かるネックレスのチェーンに触れる。しかし触れた瞬間、触れていられないと察したのか反射的に手を引っ込めたのをガーネは見逃さず、冷ややかに目を細めて目の前の女を見下ろした。
「つまり、この場で俺が『相打ち覚悟でお前を殺してもあと6匹の猿と1匹のお山の大将がいる』と、そういうことか」
「その言い方はとんでもなく気に入らないけれど、まぁいいでしょう。そういうことですわ。ただ、そうねぇ。信憑性に欠ける、って貴方が懸念するのもよくわかるの。だけどそこはほら、信じてもらわないと。こちらも信用第一でやってるからこそ、これだけの敬虔な信徒が集まっているの。わかるでしょう?ねぇ?」
「ペラペラとよく喋る女だな。仮にこの場で俺がお前を処理して俺も死んだにしても、ヘルソニアもディアマントも一筋縄どころじゃないからお前らも4000年手出し出来ずにいるんだろ」
「違いないわ。あの女、昔からあたくしたちも大嫌い。神様ぶって、半端な人間風情が穢らわしい。……そうね、だけど……貴方の力、正直そこまでとはあたくしも想定外だったのは否定しないわ。貴方を殺さず生かしておく将来のリスクも懸念するけれど、『制御出来ていない』爆弾をつつくことの方がよっぽど恐ろしいわ。だからこちらもそれなりに準備をしないと。だからお互い様よ。せいぜい、『傲慢』な振る舞いをなさっているとよろしくてよ、──── 赤坂ミナト」
「……くく、やっぱりな。『そういうこと』か。よくわかった。良いだろう。…後で今日俺らを殺さなかったこと、後悔させてやる」
ミカがぺろりと唇を舐め、楽しそうに笑みを浮かべてぱちんと指を弾いたと同時に、跪いていた特務の姿勢が崩れた。ほんの僅か一瞬視線を特務に向けてミカの姿を視界の端にずらした刹那、ミカの姿もまるで煙のように消えていた。




